ハングリー、そしてアングリー
「ホントに来られますか? いいんですよ、無理されなくっても。多分……」
有森裕子(32=リクルート)は、多分、の後の「起きられっこないですから」という言葉を飲み込み、噴き出しそうだった。そこまで言われては後には引けない。
「這(は)ってでも行くから」
電話を切って朝6時30分、私は待ち合わせの東京・赤坂のホテルにまさに「這って」行った。
あれはアトランタ五輪の終わった冬だったと思う。どちらにしても朝からの取材になり、2人で朝練習をしてから行くことにした。
2つもの五輪メダルを保持するスーパーランナーと赤坂御所を2周する、思えば実に無謀な計画である。
ウインドブレーカーがこすれる音だけが静寂の中に響き、街はまだ闇に沈んでいる。トップランナーたちは、あの暗闇を裂いて、365日、寒くとも、雨が降ろうとも1人で、自分自身を追い込んでいる。
乱れ方は違うが、同じ呼吸のテンポで話を聞く、珍しい体験をした。彼女は驚くほど正確な呼吸を刻む。
ど素人と亀のように走るなんて、練習にならないはずだ。
「いえ、実はゆっくり走るというのはとても難しい技術なんです。ゆっくり走れば、どこに力が入っているか、体重移動がどうなのか、腕振り……欠点、すべて確認できる。だから、まじめに遅く走れば、これは相当疲れる練習なんです」
レース中一番苦しい、もうだめだ、ていう所は、どうやって乗り切るのだろう。
「練習でも、必死でもがくんですよ。もがいて苦しんで、力に変わるまでとことんもがく。そして乗り越えるしかないのです」
あれから2年と数か月、アトランタ以来、約3年ぶりの復帰レースに選んだのは、世界最古(103回)にして最高峰と言われるボストンマラソンだった。
よく言われることだが、決して走るための才能に恵まれたランナーではない。しかし、不思議な力も持っている。彼女をよく知る人たちの表現を借りれば、その才能は「どんな苦痛にも最後まで耐えぬく力」ということになる。
現状の自分には絶対に満足しないこと、そして常に「怒り」にも似た激しい自己追求の感情を、マラソンというスポーツに注ぎ続けること。
スポーツ界には、さまざまな意味で「ハングリー」な選手は多い。しかし、ハングリーに加え、「アングリー(怒り)」も兼ね備えている選手は、そうはいない。
バルセロナで銀メダルを獲得しても、アトランタ五輪で銅メダルを手にしても走り続ける。若手の台頭に「すでに終わった選手」などと表現をされたこともあるし、この1年はなぜか、夫とともに世間の批判を浴びた。しかしハングリー、そしてアングリーなランナーは、前進を止めない。
常に、「苦痛こそ最大のエネルギー」なのである。
19日朝、ボストンのホテルからレースに向かう姿を見送った。やせた背中はしかし、どこか力強かった。
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