第5回 エドモントンの芝の輝き


 驚いたのは、スタジアムの作りではなく芝の輝きのほうだった。
 1983年に始まり8回目を迎えた陸上の世界選手権(世界陸上)が、8月3日から初めて北米大陸で行なわれた。規模では、オリンピック、サッカーW杯と並ぶとされるビッグイベントはヘルシンキ、ローマ、東京、シュットガルト、エーテボリ、アテネ、セビリア、と欧州を転戦し、今回初めて北米大陸、カナダ・エドモントンにその舞台を移すことになった。
 日本からは、カナダの西海岸側、バンクーバーが最寄りの乗り継ぎとなる。88年冬季五輪が行なわれたカルガリーから近く、ロッキー山脈を臨む標高約600メートルの地である。
 年間通じほぼ6割を雪に覆われるそうで、冬の間には何度かオーロラも見られるという。湿度の低さは、東京から出掛けた者の喉と肌には良くはないが、さわやかで、澄んだ空気の心地よさは、これまでの真夏の、過酷な条件となった世界陸上とは大きく違い、選手を大いに喜ばせたのではないだろうか。
 かつてはユニバーシアードが開催されたが、今回はスタジアムを特設しなくてはならない。5月に関係者が下見を行なったときには、依然、アメリカンフットボールの地元チームが使用するコモンウェルスタジアムの改築が終わっておらず随分とやきもきさせたらしい。ローマ、ヘルシンキ、アテネのように五輪を開催した伝統のスタジアムとは違う、いわゆる仮設的な建築だと聞いていたために、気にしていたのは「器」のほうばかりだった。

 開会3日前に到着しすぐにスタジアムに足を踏み入れた時、まだ突貫工事は終わっていなかったが、芝の輝きに驚いた。
 エドモントンにも、フットボールチームがあり、スタジアムは大型テレビの配置も(選手の顔写真が出るような構造で、スローや引いた映像を出すような仕組みではない)、フィールドとスタンドが非常に接近している様子も、みな急造を思わせた。しかし、芝だけは違った。
「自慢の芝なんです」
 組織委員会設備担当者はそう教えてくれた。寒冷地のため、太陽からの栄養が重要な芝には条件が悪い。しかし、冬芝の長期育成をすることによって、もっとも北にあるチームのひとつでもあるエドモントンでも、芝の維持を可能にしたという。湿度が低いことは、病気などを招くリスクを減らす点で、わずかな救いだとも教えられた。
「そんな事情から、真夏のほんのわずかな時間というのは太陽を存分に使って成長を促進させるのですが、今年はこの大会のために、養生ができません。もっとも世界中のトップアスリートを迎える名誉との引き換えですから名誉ですが、いずれにしても仕事は難しくなるわけです。特にハンマー投げですね、今からどのくらいなものか心配はしていますが、ベストを尽くします」
 投擲種目では、芝にボコボコと穴をあけて行く。芝を直接的にも間接的にも傷めるといえばこれほどの行為もないわけで、日本では、例えば国立競技場ではハンマー投げは行えないことになっていた。サッカーなどほかの競技と並行しなければならないだけに難しい面もある。現在では関係者の努力によって、穴の開いた部分にすぐに取り替えができるように、国立競技場の脇でまったく同じ芝を養生している。それでも日本選手権の決勝、国際大会に限っての使用となる。
 今大会、ハンマー投げの予選突破設定記録が79メートル50とされた。決勝進出12人を選ぶいわばラインだが、結局これを突破できたのは2人。記録順に上から12人を選んでの決勝となったが、これだけ高く設定したのは本当のハイレベルでの試合でわずかでも芝を守ろうとしたのではないか、とそんな憶測や、芝をめぐる記事が地元紙に掲載されるほどだったから、やはりエドモントン市民にとっても「自慢の芝」なのだろう。

 さて、芝を痛めやしないかと街中が見守ったハンマー投げで、日本にとって歴史的な快挙が果たされた。
 室伏広治(ミズノ)が、決勝では82メートルの大台を3度も投げる圧倒的な安定力を見せ、82メートル92で銀メダルを獲得したシーンは、フィジカルに不利だとされる日本人のチャレンジとしても、また日本記録保持者の世界的スローワーを父(重信氏、中京大教授)とするドラマチックな面でも、大きな共感を集めたはずだ。82メートルを越えたのは、金メダルを獲得したジョルコフスキー(ポーランド)と、室伏の2人だけである。
それほどの距離で、輝く芝の上に、重さ約7・2キロの鉄球がドサっと鈍い音を立てて刺さって行く超ハイレベルな争いに、取材した記者たち、重信氏、もちろん、室伏本人もはみな興奮していた。
 しかし、ハンマーが落ちるたびに、極めて迅速にこれを引っこ抜き、すぐに足元を固める競技関係者の姿はどこかユーモアに溢れてるように見えた。「芝を痛めちゃ大変だ」という気持ちがにじみ出ていて、緊張だけが支配する名勝負にどこか息抜きのような一瞬を与えていて可笑しく思った。

 大会終了3日前には、芝の上に立って走ることもできた。
 メディア用の800メートル対抗戦があり、日本から参加した2人を応援に行ったのだが、芝の感触は実に柔らかく、大会終盤を迎えてもなお、輝きは失われていなかった。
 男子一万メートルで5連覇を狙ったエチオピアのゲブレシラシエがゲストでやって来て楽しんでいた。
「銅メダルでも非常にハッピーだよ。手術からまだ1年経っていないのだから。きょうは、だからこそこういうイベントも心から楽しめるんだと思う」
 普段着でフラリと遊びにやってきた彼と、裸足で心地良い芝の上に座りながらこんな会話をした時間も忘れられない。
 高く澄んだ空、透明な空気、力強い太陽、そして寒冷地だからこそ、輝く芝をシンボルとして守ろうとする市民の心。
 日本投擲界初となるメダルを獲得した室伏のハンマー投げの痕跡は、今もスタジアムの芝にかすかに残っているだろうか。

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