第6回 スポーツの原動力


 緑の芝生を敷いたピッチを増やそう、新たな財源の確保でこれまでにないスポーツの未来を築こう、と「トト」が始まった新世紀、スポーツそのものの存在価値が、過去に例を見なかったような脅威によって危機に瀕しているといったら、あまりに悲観的だろうか。
 9月11日の米国同時多発テロによって、多くの方がまったく理不尽に命を奪われ、その恐怖、悲しみや怒りは、今後どんなに時間をかけたとしても消えることはない。米国のプロスポーツの流儀ならば、スポーツの持っている楽観的な部分によってこれらが「救われる」ことはあるかもしれないが、むしろスポーツに限らず、芸術、文化あらゆるジャンルに対して「目に見えぬ圧迫感」が支配するようになってくるのはこれからではないか。
 現に、選手たちが出場を予定していた国際大会のいくつかは順延となり、これまでにない危険を前提としたとき、遠征も中止に追い込まれている。スポーツは確かに世界平和への貢献に対して誰も想像できないほど無限の可能性を持つ。しかし同時に極めて理不尽だと分っていても何かに屈する限界もある。

 あの事件以後、スポーツが持つ力を考えざるを得ないだろう。うわべだけの綺麗事を言うならば、スポーツが人々にもたらすものを美化し、「人間の営みとして決して終わることのない素晴らしさを信じたい」と謳いあげることはできる。人々に勇気を与え、悲しみの淵から這い上がろうとする人間の活力になるというわけだ。
 一方、スポーツは良心的な個人の営みとは別に、国家、民俗、といった集団での目標達成に対してとてつもない影響力を持った、つまり「政治」である。時に人々の憎しみを増幅させる手段にさえ、転じてしまう。
 ヒットラーのベルリン五輪、過去にもアフガン進行をめぐって片肺で行われたモスクワ、ロス両五輪にしても、スポーツは政治のプロパガンダとして、常に負の歴史を抱えてきており、「スポーツと政治が別であった」過去はない。経済的困窮に直面したとき、スポーツが真っ先に切り捨てられるのと似たような状況はいつでも起きる。仮に、世界200か国以上が参加するオリンピック、サッカーのW杯が行われていたとしても、すべてが一同に会する構図自体が非常に危ういものであり、むしろ「奇跡」と呼べる状態なのかもしれない。日々が危険なのではなくて、いつでも破綻する可能性があると言う点で危険なのである。
 実際、五輪はテロの標的にされてきた歴史を歩んでいる。
 72年のミュンヘンではアラブゲリラ「黒い9月」がイスラエルの選手団を射殺し、選手村で11人が死亡する惨事が起き、ソウル五輪を前にしたソウル金甫国際空港が爆破され5人が亡くなり、アトランタ五輪でも公園での爆破事件で1人が死亡している。
 正と負、その両方がねじれながらスポーツを支えていると考えたとき、真っ先にねじれの影響を受け、翻弄されるのは、無論、アスリートである。

「祈るしかありません」
 先日、ソルトレーク本番まで長期遠征に出てしまうスキーの五輪候補選手たちのための壮行会が早くも都内で行われ、席上、複合の荻原健司(北野建設)がテロへの恐怖、五輪開催への希望を聞かれてこう話していた。真実味と重みのある言葉だと胸が痛んだ。
 五輪に何か細菌が蒔かれたという脅迫がされただけでも、ソルトレーク五輪は瀕死の状態に追い込まれることは明白だ。祈る、とは選手ができる唯一の、悲しいほど無力でもっとも力強い信念の形かもしれない。

 イスラム諸国で初めて、陸上の世界選手権、オリンピックと、国際大会の金メダルを獲得した女性がいる。
 常にテロからの脅迫を受けて国際大会に挑まねばならなかった女性である。厳格なイスラム教から言えば素肌で手足を出して人前で女性が走ることなど許されるわけもなく、活躍すればするほどこうした中でも過激な団体から「試合で走れば危害を加える」と脅迫を受けていた。このため、多くの大会で彼女は巻き添えを配慮するため、選手村を避け単独で宿泊することさえあった。また、留守中に自宅を焼かれてしまったこともある。
 何度も取材をしてきたランナー、現在はIOC(国際オリンピック委員会)の選手委員会女性メンバーでもある。
「襲われることは少しも怖くはない」と彼女は言っていた。
「怖いのは、自分に危害が加えられることではなくて、自分が屈することで前進が停滞することだと思う」
 実際にテロの恐怖にさらされたアスリートから聞いた話は今も忘れることができない。見えない敵と戦う恐怖と、勇気について彼女に教えられたことは、混乱の中にあってスポーツに対して綺麗事を並べ「感動する」発想とは正反対のものであった。
 彼女が自らの身をもって示し続けた個人としての闘争、小さな喜びがスポーツの原動力であり、前進を支えているのだとすれば、スポーツにとっても憂鬱な新世紀のスタートへの力に、間違いなく変わる。延長線上には、望みも見えるかもしれない。
 今回は芝もスタジアムもない番外となったが、お許しを。

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