12月6日


アジア大会女子マラソン
タイ、スタート時気温:25.5度
福岡国際マラソン
福岡、スタート時気温:14度
(ともにテレビで観戦)

 高橋の驚異的な記録は、日曜の朝、8時半(現地6時半)からのテレビ観戦でボケていた頭に、いきなり冷たい水をかけてくれるような衝撃でした。気温が最高で30度にあがり、湿度は90%にも達する、おそらくこれまでの酷暑マラソンの中でも最悪のコンディションだったと思います。わたしと同じにテレビ観戦をなさったみなさんも、なんだかわからないけれど、朝っぱらから大変なものを見てしまった、と眠気も吹っ飛んだに違いありません。特にゴールした高橋が、「どーうもお!!、ありがとうございましたあ!!」と、笑いながらポカリスエットを飲んでいるのを見るに至っては、もう唖然とするしかないのではないでしょうか。
 高橋というランナーの強さ、高橋という女性の強さ、これまでの取材の中から書いてみます。
 なお、「MY WORKS」の中には高橋の原稿もありましたので、これも一緒に参考になさってください。

アジア大会金メダル第一号となる女子マラソンが6日早朝行われ(日本時間8時半)、日本記録保持者の高橋尚子(25=積水化学)が、2時間21分47秒と自らの日本最高記録を4分短縮する驚異的な記録で大会金メダル第一号となった。この記録は世界歴代5位の記録。甲斐智子(京セラ)も、ゴール前でキム・チャン(北朝鮮)にかわされたが銅メダルを獲得した。

 男子では国内のトップクラスが勢ぞろいした福岡マラソンが行われ、ケニアのガビガが2時間8分42秒で優勝。日本人では旭化成の佐藤信之が2時間8分48秒で2位に入った。復活を期待された渡辺康幸(ヱスビー食品)は34キロ過ぎに途中棄権、昨年2時間8分9秒をマークした早田俊幸(熊本陸協)は12位に終った。
 来年はシドニー五輪の前哨戦となる「世界陸上」(スペインのセビリア)が行われる。アジア大会は選考レースではないが、高橋の走りには現時点でマイナスがない。過去の流れから言っても、陸連は高橋に世界陸上の座席(5人か6人が代表)を与えることになるのではないだろうか。

「練習よりは楽に違いない」

 これまでの日本女子マラソンの中で、いわゆる酷暑マラソンの好記録、とされるトップ3の記録がある。
 最初は91年東京世界陸上、これは山下佐知子(当時京セラ)が銀メダルを獲得した時の記録で2時間29分57秒、次に有森裕子(リクルート)がアトランタ五輪で銅メダルを獲得した際の2時間28分39秒、さらに昨年鈴木博美(積水化学)がアテネ世界陸上で金メダルを獲得した時の2時間29分47秒、この3つの記録が酷暑といわれる中で2時間30分を切った記録として高く評価されてきた。
 この日の高橋の記録は3レースと比較しても暑く、いかにすさまじい記録だったかがわかる。マラソンには記録を更新するための3つの条件があるといわれる。
 まずは天候、風や湿度の関係はあっても10度前後が良いとされる。次にライバル、自分の記録に近い選手、上を行く選手、実績のある選手、これらが集団にうまく交ざっていると良い、と言われる。最後が自らのコンディショニングである。もちろんコンディションが悪ければ先の2つに恵まれても記録は望めないが、この日の高橋は、自らのコンディションだけで走り切ったことになる。
 しかし、女子マラソンの関係者は意外にも冷静にこの記録を受け止めているようだ。なぜなら、高橋がいかに「練習で」強いか、いかに練習ですさまじい記録をマークしているかを熟知しているからだろう。
 テレビでハイライトを見ていたという世界選手権銀メダリストの山下佐知子(第一生命監督)は「自分たちの時代とはまったく別次元のマラソン。私が追い込んだと思ったスピードを彼女たちはほとんどジョッグでこなしてしまう」とレベルアップを実感としてとらえた上で、ボルダー(米国コロラド州、標高1600メートルの高地)で高橋の練習を見た印象を話す。

 高橋は高地ながら連日、30キロ、40キロという距離を踏み、それでも尚1キロのラップをどんなに落として3分18秒くらいで刻んでいたという。単純に計算すれば2時間17〜18分の記録が可能である。山下は言う。「つまり練習で100以上の負荷を負って追いこんでいるんです。彼女は練習ではすでに何度も、計算できる世界最高を出しているに違いないんです。この日のレースはまさに練習そのままに、ライバルも条件も関係ない本能で走ってしまったということではないでしょうか」。
 高地で40キロ走を2日、間に30キロ走をはさみ、さらにクロカンをする、といったハードな練習からすれば、高橋にとって30度、平坦なコースのバンコクは軽い練習に過ぎなかったのかもしれない。
 ほかの競技ではいまだに暑さ対策は、暑いところに早く行き慣れるということのように言われるが、マラソンでは数々の失敗から、とにかく涼しいところでベストの体調を整える、そのために追いんで、疲労を抜いたところでレースに入る、これが常識と言われる。いかにいいコンディションでレースに入ったか、また、普段知ることのできないトップランナーの練習、その凄まじさがどんなものなのか、これらをストレートに物語るレースだった。
 高橋は走ることがどんなことよりも好きと公言する珍しいトップランナーである。「レースは待ちに待った発表会の日」と聞いたことがある。この日のレース後も「楽しかった」と笑顔で連発し、「酷暑は未知だったけれどもとにかく自分らしく、いつも通りに走りたかった」と笑っていた。本当にとんでもない発表をする選手だ。

「非常識のすすめ…」

 テレビのヒーローインタビューで「驚きましたねえ」と教え子の快走にも飄々と話していたヒゲの人、これが小出義雄監督である。もとは教員で佐倉高校から、市立船橋高校を経てリクルート、そして昨年から積水化学に移籍し新チームを作った人である。
 有森、鈴木、高橋、11月の東京でマラソンデビューをさせた宮崎安澄と、続々と選手を育て、ビッグイベントでは有森に銀、銅、鈴木に金とすべてのメダルを保持する。
 監督はつねに「指導は非常識に」をモットーにする。
「誰が何を言っても、自分でひとつ失敗するよりも実りあることなんてないんだよ。とにかく、指導の枠をはめない、選手を枠にはめない。こっちは、選手が気持ちよく走れることだけ考える」と話す。型やセオリ―にとらわれないためには、徹底した科学性や経験を積まねばならないことも事実だ。
 取材では色々な指導者には会うが、中でもとびきりユニークな人である。有森、高橋といった無名の選手を世界有数の選手にする秘密は、やる気最優先とでもいおうか。
「よく水飲み場に馬は連れて行っても水を飲ませることはできない、っていうでしょ。あれは間違い。うまい水をおいしく飲ませてやることを考えれば、馬はどんどん飲むんだよ。自分は選手と水飲み場に行って、おいしく水を飲ませてやる、それを仕事にしてるからね」と、非常にユニークな理論を持つ。
 自らは、箱根駅伝に出たくて出たくて、実家の農業を手伝う片わら猛練習をし、順大の選手として箱根を走った経歴を持っている。4年でケガをし走れなくなった経験が、指導者へ進むきっかけとなった。
 「小出手帳」と呼ばれるほどメモ魔。見た目の豪放磊落さとは正反対で、手帳には選手の体調から計時タイムからびっちり書き込まれているのは有名だ。選手は、ほめてほめてほめちぎる、これも小出監督のモットー。
 無名の有森を迎えたときにはほめるところがなくて、「才能もないのにこんなに練習するなんてお前は偉い」とほめたという。「とにかく怒ってけなしてのびる選手はいません。陸上でほめられなくても、お前のお父さんやお母さんはすばらしい人たちだねえ、とか、とにかく選手の琴線に触れることです」という。こうした独立性を育てるからか、監督が育てる選手がゴールして監督と泣く、などとのシーンは見ない。この日も、笑顔で握手とあっさりしたものである。
 そういえば市立船橋を高校駅伝で勝たせたとき、選手が監督を胴上げしようと探しても監督がいない。沿道で応援しているうちに、ついラーメン屋に入って、一杯やってしまって、テレビで選手を応援していた、なんていう話しもあった。
 破天荒さと超がつくち密さ、両方が小出監督の理論を支えている。

参考

高橋尚子Number 441から)

●シドニー五輪を目指すホープたち−高橋尚子ランナーズ'98年9月号より)

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