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※無断転載を一切禁じます サッカー 川淵キャプテンがドーハへ出発 日本サッカー協会・川淵三郎キャプテンがこの日、カタールのドーハで16日から行われるアジアサッカー連盟(AFC)総会に向けて成田空港から出発した。今回の総会では、順延となっている五輪予選の組み合わせが決定するほか、来年2月にスタートするW杯アジア予選の枠組みが検討される。
「サッカー流マニフェスト」 この日も自宅近所のサークル活動を行ってから空港に到着したキャプテンは、車の中でも「予習」に余念がなく、「原稿が(A4で)7枚もあってね、30分も話していると最後は舌が回らんよ」と苦笑いをした。 ビジョンアジアは、45か国となるアジア加盟協会の技術、環境などの向上を狙って行われる特別プログラムのひとつ。各国連盟の会長が揃う重要なイベントで、2002年W杯成功を大きく評価され「モデルFA」と認定されている日本を代表して、キャプテンの講演が行われることになった。 ドーハの悲劇にはじまり、Jリーグの発足と発展、W杯初出場、W杯開催と決勝トーナメント進出、また海外クラブへ移籍する選手の急増と、先月、日本サッカー協会が念願の自社ビルを持ったことなど、わずか10年での発展は各国でも注目を浴びている。今回は、こうした急進のリーダーとなったキャプテンが、できるだけ具体的な数字や事象を挙げて説明するだけではなく、じつは「隠し玉」も用意されていた。 川淵キャプテンは「ブラッター会長はその頃はもういらっしゃらないと思いますが……として、2050年までに日本はもう一度W杯を開催して必ず優勝する、と、今回は大言壮語をしてみようと思っている。誰かが、韓国だって負けじと2046に開催するなんて笑って言うのだけれど、僕は2050年までに必ずと言っているのであって、早ければ早いに越したことはないでしょう」と、原稿の一部を明かした。 こうして、具体的な目標設定をするマニフェスト発言の背景には、将来の運営、強化、何より選手たちに共通の目標、連帯感や、目標への意識を高いところで維持してもらいたいという願いがあり、いってみれば世界的にアピールという以上に、右肩上がりを続けるために国内へのさらなる結束を求める発言となる。 講演場所が、日本サッカー界にとって「新世紀」の出発地点ともいえるドーハであること、時期もほぼ同じ(ドーハの悲劇は10月26日)、と不思議な縁だろう。
(千葉・成田空港)
また、16日の開幕日に特別開催されるAFCビジョンアジアカンファレンスにはFIFA(国際サッカー連盟)のブラッター会長、UEFA(欧州サッカー連盟)のヨハンソン会長ら各国大陸の会長が出席。その中でアジアの「モデルFA」として認定されている日本サッカー協会のこれまでの進歩の足跡や、今後について、キャプテンが英語のスピーチ、ビデオ上映を含め、1時間半の講演を行う。
その後、17日にはFIFA理事会、19、20日はFIFA臨時総会が行われる。
五輪予選の組み合わせは18日に決定する。
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