2003年10月28日

※無断転載を一切禁じます


総合

静岡「NEW!!わかふじ国体」
柔道 男子成年団体戦
(静岡・浜北市、グリーンアリーナ)

 2000年シドニー五輪柔道男子81キロ級メダリストの滝本 誠(28歳、武興)が、所属会社の所在地となる地元・静岡代表として成年男子に出場(団体戦、静岡は3位決定戦で高知に勝利)。今年3月以来10か月ぶりとなる公式戦で、アテネ五輪に向けての本格的なスタートを切った。
 滝本は来月16日に、来年のアテネ五輪選考対象大会としては最初となる「講道館杯」に出場することを決めており、今大会は、今年3月、9月に大阪で行われた世界選手権代表選考会に向けて始動した全日本選手権東海予選(試合中の怪我により棄権を余儀無くされた)以来のリスタートとなった。
 団体の中堅で登場し、初戦となった2回戦秋田県(雑賀俊行)との対戦では残り2秒で袖釣り込み腰による鮮やかな1本勝ちをおさめ、好調な滑り出しをした。しかし3回戦(千葉)、準々決勝(神奈川)、敗戦した準決勝(埼玉)、3位決定戦(高知)と、慣れない講道館ルール(国内ルール、試合は4分間など)と、団体戦勝利のためには防御を優先せざるを得ない状況にわずかな戸惑いもあったのか、すべての対戦で引き分けとなった。
 滝本は、金メダル獲得後、フランスへ留学。昨年11月も講道館杯81キロ級で、1年7か月ぶりに公式戦に復帰をし、ブランクを感じさせず4年ぶり4度目の優勝を果たしている。その後も再度、渡仏して今年7月に帰国、今大会からアテネ五輪に向けて残る1年間、再度頂点を目指した戦いをしていく気持ちを固めた。
「(競技の)ブランクはブランクだと思いますが、講道館杯まであと2週間、ライバルが誰というよりも、(自分の中での)完璧に近づけるようにしたいと思う。また、自分にケリをつける意味で、自分の柔道人生の集大成だと考え、悲壮感より本当に楽しんで現役を締めるつもりで精一杯やりたいと思う」と、この日、浜北市・グリーンアリーナでもあらためて話し、アテネへの第一歩を、静かに、しかし力強く踏み出した。

滝本(会場での囲み会見抜粋)「(1年7か月ぶりの実戦を振り返って)試合は久しぶりで、どうかな、という感じでした。国内ルールで(国際ルールと違うため)正直、相手に対して逃げるんじゃないよ、と思ったけれど、やはり(団体では)自分の負けがチームの失点になるので(慎重に戦った)。まだ組めなかったし、もう少し楽に試合ができたとも思うが、今日が(選考初戦となる)講道館杯でなくてよかった。国内ルールと国際ルールは全く別のものだということですね。
(フランス留学は)柔道のため、だけというわけではなかったので、中学生に稽古をつけるなどそれほど本格的な練習をしていたわけではありませんでした。柔道に関すれば、やはり日本人は強いなあとあらためて感じました。技術も高いし、技もある。技と力を融合したものを目指していて、向こうはやはりパワーが主体になっていると思った。
(アテネへ向けて81キロ級は)世界選手権でも見ていたが、自分は、秋山が優勝すると思ってみていましたし、あまり飛びぬけた外国選手がいるという印象も持たなかった。国内では81キロ級は実力の差はなく、ライバルはみんなといえばみんなですし、相手は誰ということではない。
 今は柔道を主にがんばるという(自然な)気持ちでいるし、シドニーが終わった後、正直、引退してもいいとも思っていた。(アテネは)自分にケリをつける意味で、柔道人生の集大成として、一度勝っているので、本当に楽しんで挑みたい。小さい頃からここまでやってきたのだから、意地というか、カッコよくいえば、有終の美を飾るつもりで行きたい。


「消したくても消せないもの」

 シドニー五輪、日本選手団の金メダリスト、読者の皆さんは何人を上げられるだろう。
 女子マラソンの高橋尚子(スカイネットアジア航空)、3度目の正直で金メダルを手にした柔道48キロ級の田村亮子(トヨタ自動車)、女性2人の印象点はおそらく抜群だろう。また、五輪2連覇の偉業を果たした男子60キロの野村忠宏(ミキハウス)、そして、母の遺影を表彰台で掲げた井上康生(総合警備保障)4人まではスムーズにあげられるはずだ。
 さて……、滝本 誠の名をすぐに挙げるのは難しいのではないか。
 もしかすると、中央競馬会に所属していた当時、文字通りの「ダークホース」で、あっという間に金まで獲得した、とか、金メダルをかけられた表彰台で、憧れのサッカーの日本代表FW、カズ・三浦知良(神戸)を真似て、胸に手を置いて君が代を聞いていた異端児、と書けば何人かの方が「あー、あの!」とうなずくかもしれない。

 この3年、稀有な金メダリストは「アテネ」への言及は一切せず、引退することまで密かに考え続けていたという。今年は地元での世界選手権が開催されたが、これも、怪我もあり不出場。五輪という大きな渦からは、一歩も二歩も引いたところでこの3年を過ごしていた。
 柔道での成果以上の何かを常に追い求めて、フランス留学まで果たしたのだから、彼の生き方において人々の評価や噂、過去の栄光といったものが重要ではないことは明らかだ。むしろ、美学として積極的に消し去ろうとしたふしさえある。
 ただし、消したくても消せなかったものがあるように思う。それはむしろ、意識しなかった分だけ、圧倒的な存在感を放ちながらこの日、甦ったように見えた。
 あの舞台への再挑戦を決め、公言して初めて立った浜北総合体育館の畳の上で、滝本の技にシドニーのような冴えはなかった。体重も現在は85キロと、あと2週間後に備えて、キレも動きのスピード感、迫力といったものも3年前を頂点とするならまだまだだろう。
 しかし、オリンピックという最高峰の頂き5試合で研ぎ澄ました「鋭さ」、身につけた「風格」は隠すことも消すこともできない。ダークホースが5試合で手にした金メダルの重み、風格、雰囲気は、2000年ではなく、今になっていっそうの輝きを得て、人々を引きつけていたように見えたから、不思議である。

 シドニー五輪の会見では、「自分の金メダル予想が30%とあった雑誌を見て、ふざけんなよ、このやろう! 金メダルを取ってやるぞ、と思ってました」と笑い、「憧れの人は」と、柔道家の名前を期待した報道陣に、「表彰式で真似したんですが、サッカーのカズさんに憧れています」と照れくさそうに披露した。
 28日の会見でも、「今自分は81キロ級でどの辺にいると思うか」と聞かれ、「真ん中あたり」と答えた。「謙遜でしょう」と再度振られると、「いや、本当に」と真顔で言う。
 待望の人が、帰ってきた。自らの集大成を楽しみたい、という姿を、楽しみにしたい。



読者のみなさまへ
スポーツライブラリー建設へのご協力のお願い


BEFORE LATEST NEXT