2003年10月11日
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サッカー
ルーマニア×日本
(ルーマニア・ブカレスト、ディナモ・スタディオン)
ルーマニア |
日本 |
1 |
前半 1 |
前半 0 |
1 |
後半 0 |
後半 1 |
16分:ムトゥ |
柳沢 敦:58分 |
<試合後のコメント>
ジーコ監督(一部のみ抜粋)「収穫は、こうした厳しいアウェーでの戦いで自分たちの進んでいる道は正しいとわかったことだった。欧州の強豪相手にも、自分たちのサッカーをすれば互角以上に戦えると肌で感じてくれた。特に中盤の争いは重要だった。
(柳沢について)周りからのプレッシャーが大きく、気持ちの面でプレッシャーがかかってしまう。しかしFWは1点取れれば落ち着く。グランドで意図が展開するようになった。点を取るだけではなく、中田との絡みでサイドに開いてもらったり、頭越しのパスを受けたり、持っているものを出せるようになってきた。
(中盤4人について)コンビがよくなっている。なぜもっと多くの選手を使わないのかという批判は知っているが、自分は、なるべく4人を一緒にやらせて、彼らのクオリティ、経験を一緒に使うことで引き出したい。しかし90分使えたのは、これが2回目(チュニジア戦)で、もっともっと連携が良くなることを望む。
(DFについて)後ろだけではなく中盤との連携で守ることができた。ひとつの収穫だった。ボールを放り込まれたとき、サイドバックが絞って守れるようになっている。中澤はこの2試合安心してみていられた。マリノスが好調なのは、後ろが中心となっているから。ほとんどのボールで負けることがなかった。しかしこれでいいと思ったら伸びなくなる。常にどん欲にいって欲しい。
(今遠征の収穫)全体的に意味のある試合だった。欧州で活躍している選手を呼ぶことができたし、出場機会を与えられなかった選手もいるが、練習での意欲は高かった。これからも切磋琢磨をしてお互いがよくなっていくだろう。これからもチャンスがあれば、彼らを呼びたいと思う」
川口能活(ノーシャラン)「立ち上がりがよくなかったし、日本の能力を思えば、もっとできると思う。こういう試合は勝つことにこだわったほうがいいし、予選では勝ち点だけのための試合になるから、もっと勝ちにこだわらなくてはいけないと思う。(1点取られた後はよかったのでは、と聞かれ)多少は打たれ強くなりましたね。頭は冷静に、体はアグレッシブに、それがあいてに脅威を与えることになる。先発は今朝いわれ、カンタレリコーチに、“マジ?”と返した。DFはよくやっているが、甘い雰囲気がある。予選はそんな甘いものではないと思う」(川口は試合後、デンマークへ戻った)
中澤佑二(横浜)「まだ難しい。いろいろと言ったらきりがないけれど、アプローチとかカバーリングとか、気がついたらやっている感じ(体が先に動いているのでもっと意図が必要だという意味)。でもアウェーだから、これでいいんじゃないかと思う」
稲本潤一(フルハム)「気候や雰囲気があり、多少ぼけている面があった。あの時間帯での失点は反省しなくてはならない。でも先に点を取られて、追いつけたというのはよかったと思うし、チェジアのアウェーでも、2試合でしっかり点が取れたのは評価できると思う。思ったよりもグランドが悪く、セカンドボールを向こうに拾われてしまってつながれた。全体的には悪くはなかったけれど、ラスト10分は、チームとしてのミスが凄く多く、あれはもっと意識をしっかりと持っていかないとならない」
小野伸二(フェイエノールト)「チャンスは何度かあったし勝てる感じはあったが、後半は押し込まれていたので凌げてよかった。(稲本とは)相手は4枚FWのような形だったんで、どちらかが下がるような感じだった。ラストパスが重要だとあらためて思った。今回は、短い時間でも一緒にやれることができたのが収穫だった。もっと調子をあげて臨みたい。修正するのは、もっと声を掛け合うこと。誰に持たすか、誰を動かすか、それを言っていかないと」
中田英寿(パルマ)「追いついて引き分けにしたのはそれなりに良かったが、2点目、3点目を取るチャンスがありながら、それを取りきれずに引き分けだったというのは、1戦目の(チュニジア)課題でもありましたが、精神的なものなのか、厳しい試合では(追加点をしっかり奪えなければ)取りこぼしも出てくると思う。(柳沢との得点)だれが出したとか、誰が決めたというのは関係がなく、チームとして点を取れればいいんで。(課題はあるか)このチームはあまりにも選手が話をしない。今日も(自分が)試合中に怒鳴っていたけれども、これを修正していかないと、予選に向けても、ずっと大きな問題を抱えたまま戦うことになってしまう」
高原直泰(ハンブルガーSV)「前半はちょっと前に急ぎすぎた。だから単調になりましたが、とにかく負けないでよかった。来年の2月の予選まで、準備期間はなくなってきているが、チームとして前進していると思う。残りの期間、どこまで熟成するか。(柳沢とのコンビ)2人だけじゃないですが、全体がよくなかったが、後からよくなった。(柳沢は変わったか)別にないと思いますが、2トップはお互いがいい感じでできればいい。僕がポストに入るし、ヤナギさんは飛び出す。お互い約束事じゃないけれど、お互いのコミニケーションで2人で得点ができるようにしたい。カメルーン戦(11月)も一緒にやったほうがいい。ずっとやればお互いのことを理解できると思う、長くできればいい。お互い変化して、成長してそれを代表で出せればいいと思います」(高原はこの日試合後、そのままハンブルグへ帰った)
キヴ(ASローマ)「日本は思ったより強かった。強いとは聞いていたが、ここまでゲームの中でパスとかゲームメイクができるとは思わなかった。MFがとくに強くいいパスを出していた。」
日本で観戦した川淵三郎キャプテン「アウェー2戦で1勝1分は評価できる。ピッチコンディションなどから、戸惑いがあった状態で失点したかもしれない。後半からはパスがつながるようになり、柳沢の素晴らしいシュートで同点に追いついた。チャンスは何度もあり、いい形はできてきた。中田は攻守に活躍していた。柳沢は枠に何度もシュートを放っていた。今後に期待したい」
「奇妙な静寂」
ブカレストの中心街にあるキエボスタジアムは、黄金に染まるイチョウとアパートのベランダで休日を過ごす住人に囲まれ、ピッチにはルーマニアでありながら、日本のスポンサー、「生茶」なんて看板がズラリと並び、22度と秋晴れの素晴らしい天候に恵まれ、しかも相手は欧州選手権の望みが絶えたルーマニアで、ルーマニア在住の日本人会の方々は祭りハッピや浴衣で、暖かでのどかな声援を送り、楽器を使わない静かなルーマニアのファンは、ひたすらひまわりの種をペッと吐き出しながら試合を観戦する。
日本でテレビを見ていたファンも、恐らくアウェーで戦うAマッチの緊迫感より、牧歌的な、今ひとつ緊張感に欠けた雰囲気というのを感じ取っていたに違いないだろう。いつもの音がないからである。
チュニジア戦は、新しいメンバーが揃い、約束事も戦術もよほど徹底しなければ足元をすくわれるという危機感が漂い、試合中鳴り響いていたイスラム音楽の合間を縫っても、ピッチの声は聞こえていた。
ルーマニア戦はどこかのどかな雰囲気の中、楽器も声援もまばらで、逆にピッチで展開されるさまざまな音がよく聞こえるはずが、不思議なほど静かであることが、期せずしてわかる試合となった。
稲本は「ボケていた面はあったと思う」と立ち上がりの集中力の欠如を反省していたが、欠けていたのは緊張感と同様に、ある種の「熱さ」である。互いをさらけ出して、さらに融合をする、そんな温度の高さが見られなかったことが、引き分けとはいえ、この試合の評価を困難にしている。
中田は試合後、またも声が出ていないことを課題に、というより今の時期となってはもはや課題などといった可愛いいレベルの話ではなく「不安」として口にした。
「声が出ていないので試合中に怒鳴ってしまいました。このまま修正できなければ不が安を抱えたまま予選に臨むことになる」
これまでのどの試合よりも、スタジアムの静けさが際立った分だけ、代表がいかに「静かに」試合をしているのか、奇妙な静寂がそれを浮き彫りにした。中田の不満は、おそらく、ピッチではパスの交換のタイミング以前に、激しい口論さえ成り立たないことではないか。
小野の反省も同様だった。
「修正しないといけないのは、声を出すこと。誰に出すか、誰を走らせるか、これはもっと声で指示をし合わないとならない」
急速に上達したオランダ語は、彼がサッカーにおいていかに「言葉」を重要としているかの表れだろう。
チーム競技の場合、サッカーに限らず、バスケットボールでもラグビーでも、「声」は互いを結び合う、見えないザイルのようなものだと以前も書いた。声が危険を察知し、回避し、リスクを下げる。厳しい状況でも大きなチャンスを作り、得点を生み、互いを生かしあっていく。最近の山登りにおいては、難しい山であってもザイルをつながない、いわば個人の登山技術において「自己責任」を下山までまっとうするスタイルが多くはなっているという。
日本代表のスタイルもこれに似ている。確かに個人の能力も技術もたけており、1人で頂上を目指し帰ってくる、自己責任をまっとうするサッカーである。
しかし、「巧すぎる」弊害もある。
それぞれがどこかで自己完結しているような部分があり、ザイルで結び合うような、目に見えないかもしれないが、安心感、他人をどれほど気にしているかの、お節介でももちろん構わないがちょっとした気くばり、何より厚い信頼の表現が、この代表のサッカーには極めて希薄である。
中田が怒鳴るほど危機感を抱いている「声が出ない」ことは、あくまで彼らの目線においての話しであって、こちらがどうこうとたやすく理解できるものではないだろう。
しかし、早くて、巧くて、クレバーだが、どこか強烈なアピールに欠け、淡々と試合ができてしまう。言ってみれば「明るさ」や「喜怒哀楽」に乏しいサッカーは、彼らの責任感が軽率さを嫌っているのだとしても、今後、修正すべき問題ではないか。
試合後、メディアの前に登場するときの表情の暗さや、取材やファンへの無愛想、インタビューも「スルー」するような、どこか冷えた態度も多分、ピッチの出来事と一致している。
日本人で著名な登山家に、エベレスト頂上を目指した日、互いに結び合ったザイルの話を聞いたことがある。
「ザイルは赤だったので、まるで血管のように見えて、互いが熱い血管でつながれているような強い気持ちになりました。同じ血が通っている、そういう安心感が勇気に変わりました」
プレーの洗練度やサッカーの方向性以上に、代表のそれぞれのポジション、さまざまなものを強く、熱くつなぐ「血管」の存在がジーコ監督就任2年目の今、見たいと思う。言葉という血液によって、体中の血流が勢いよくなる。こうした温度をともなったコミニケーションがなければ、いいときは良くとも、アクシデントには極めて弱いチームで終わってしまう。
先制点を守りきった初戦は勝利と、新しいメンバーの構成が収穫で、同点に追いついたこの試合は、2試合連続で組んだ黄金の中盤の精度、中澤の存在感、柳沢、高原の2トップ、そして引き分けがわかりやすい収穫だろう。
しかし日ごろのサッカーの試合で耳にしている音の喪失によって、あらためて常に時間と戦わなければならない、さまざまな国のリーグの選手を抱える日本代表が、初めて取り組む問題点が明らかになったとも言える。
何気ない言葉、意図を持った言葉、自己の強い表現、言い争い、これらが生みだす「血流」、代表の「体」に流れ出す日を。

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