2003年9月14日

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柔道

2003年世界柔道選手権大会 第4日
(大阪城ホール)

 今大会、すでに前回ミュンヘンで果たした前人未踏の5連覇更新にかけた48キロ級田村亮子(トヨタ)が、準決勝まですべて1本勝ちと安定した強さで決勝まで勝ち進み、決勝では過去3戦3勝のジョシネ(フランス)に優勢勝ちで7度目の世界選手権で6連覇を達成した。
●2003年世界柔道選手権大会のホームページはこちら
※第4日目の結果は
 「Final Results(入賞者)
 ページで見ることができます。
 また今回世界選手権初出場となった鈴木桂治(平成管財)は、体重を10キロ増やし110キロで無差別級に挑んで、すべて1本勝ちの堂々たる内容で優勝。アトランタ五輪、シドニー五輪金メダリストの60キロ級の野村忠宏(ミキハウス)は、3回戦でチュニジアのルニフィに敗れ、97年のパリ以来となる世界選手権制覇を果たすことができなかった。しかし敗者復活戦からすべて1本勝ちで勝ち上がり銅メダルを獲得。シドニー以来約3年ぶりのブランクにもかかわらず、野村の技のキレと存在感は十分に示した。
 女子無差別で、昨年の大怪我から復帰したばかりの薪谷 翠(ミキハウス)は、今大会日本選手では初の初戦敗退を喫した。
 この日で個人戦は終了。男子金メダル3、女子金メダル3としたものの、一方で、男女5階級の五輪出場枠(5位以内)が獲得できずアテネを目指して、出場枠の獲得を待つ苦しい状況となった。
 15日は団体戦が行われ、男子は100キロ級の井上康生(綜合警備保障)、100キロ超級の棟田康幸(警視庁)、女子は78キロ級の阿武教子(警視庁)、78キロ超級の塚田真希(東海大)が出場する。

無差別級・鈴木桂治「ほっとしたし、素直に嬉しい。調子は非常に良かったが、(逆転の試合もあり)焦りもあった。しかし、どうしても勝ちたい、あともう1試合、こういう雰囲気を味わいたいという気持ちで最後まで行った。オープン(無差別級)で選んでもらうチャンスをもらい、これを無駄にはできなかったし、(井上)康生さんに投げられて(全日本で)代表になっただけに(負けては)申し訳ないと思っていた。ここまで合宿もきつかったが、それでもこの雰囲気を味わうためならば良かったと思える。来年のことまでは考えなかったが、井上さん、同級生の棟田が金メダルを取って、俺も取ってやろうと思い、励みになりました。今回は今朝の軽量で110キロ。2回戦で左の目をひじで打たれて、今も(視野)はぼけたままです」

6連覇を達成した田村亮子「決勝の相手は強いのでいい試合ができたと思うし、全力を出し切った。(一瞬危ない場面があったが)背中をつかないように心がけたし、こちらも背負いをかけていくところで、あちらも合わせてきたところだった(危なかった)。ただここまできたら、負けが許されない、その1点だけ。とにかく勝つことだけが大事なのだと言い聞かせていた。(準決勝残り1秒でかけた1本背負いについて)あれは、いい所に入れた。残り1秒まで諦めずに諦めずに技を出す練習を積んでいましたし、前回ミュンヘンでできなかった柔道は十分にできた、発揮できたと思います。(婚約者、オリックスの谷選手が駆けつけたことについて)どんな時でも励ましてくれるし、今日の勝利を支えてくれたと思う。私は寝てしまったが、昨晩、メールに、明日試合が(デーゲーム)が終わって駆けつけると入れてくれていて、今朝読んだ。今回は、28歳になり、結婚もするし、(リボンは)つけなかった。田村亮子として試合をするのもこれが最後になると思うし、そこで6連覇を果たせてよかったと思う」

銅メダルを獲得した野村忠宏「技術的にも、技でもすべて自分が上回っていながら、相手の攻撃にあわせている間に体力を消耗しバテてしまった。また自分では場内でかけたと思った技を、続けて場外とされ、それによる落胆もあったと思う。正直なところ、敗者復活には出たくないとまで思った。しかし、この強豪のメンバーが揃う中でも、もっと稽古を積んで、スタミナ、体力面を強化し、組み手の課題を消化できれば、間違いなくもう一度世界一が取れると思った」


「気持ちを切り替えたのではない。心を入れ替えたのだ」

 泣いているのではない。自分への怒りを一体どうやって扱えばいいのか、世界選手権、五輪での敗戦を知らない一度も野村にはわからなかっただけなのだろう。
「あー、もう!!」、「オイイイ!」と、ただただ、意味のない大声を振り絞り、椅子をたたき、壁にうなだれる。五輪連覇を果たした金メダリストの威厳とは無縁の、いってみれば実に「カッコ悪い」姿は、野村には本当に申し訳ないのだが、6連覇を果たした田村のとてつもない輝きや、初出場で無差別の重量以上の「重み」を跳ね返した鈴木の、どこまでも爽快な清清しさとは比べられないほど、この日、もっとも深く心に残った、感銘を受けるシーンであった。

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大阪世界選手権[大会直前インタビュー]田村亮子「『心技体+脳』で私は6連覇を達成する。」が掲載されています。

「もう正直、出たくない。ルニフィが負けてしまえばいい(対戦した相手が準決勝に進出すれば敗者復活に出場できるため)とまで思った」
 金メダリストのそんな惨めな姿を蘇らせたのは、「怒り」だった。
「本当にアタマに来た。試合で負けてあんなに悔しい思いをしたのは、本当に久しぶりで……。けれども、コーチ陣から、アテネに向けてどれくらいできるか、お前がどこまで戦えるか信じてる、と言われ、馬鹿正直にそう思った。あのまま、日本の軽量級が世界でナメられるのは嫌だったし、僅差だった(代表決定に落ちたライバルの)徳野、江種にも申し訳がないと。日本には俺がいる、というのを教えて置かないと、このままでは(引き下がれない)と敗者復活にかけました」

 怒りとともに敗者復活が始まった。
 母校天理大の先輩である、シドニー五輪銀メダリストの篠原信一が、野村の敗戦と、敗者復活での逆襲を、フジテレビの番組の中でこう説明していた。
「野村は、敗者復活に回って気持ちを切り替えましたね」と司会者に問われて、「いいえ」ときっぱりと言った。
「単に(世界選手権の金メダルから銅メダルへ)気持ちを切り替えたのではなく、アテネという目標に向かって、心を入れ替えたんです」と。
 はっとするコメントである。

 確かに、ミックスゾーンでも安直に、「どうやって気持ちを切り替えたのですか」などと聞いてしまうのだが、たかが30分ほどの「気持ちの切り替え」などで、逆に言えば、五輪連覇を果たした柔道家が、敗者復活を戦えるはずもない。
 復帰したばかりの柔道家としての弱点による敗戦を、野村は男として、「気持ち」の切り替えではなくて、プライドと、アテネ五輪で3連覇を果たす目標のために、腹を据え「心」を入れ替え奪い返したのだとすれば、その後、すべて1本勝ちで奪った銅メダルは、本人の満足度とは全く別の次元で重い。「組んでしまえば絶対に投げられる」、「後はスタミナだけだ、必ず世界一になる」と、圧倒的な自信の方が、メダルの裏に刻まれているのだから。

 メダリストの会見を終えると、野村は早足で歩きながらすぐに銅メダルを首から抜いて、記者たちの問いかけにも目礼をして答えなかった。怒りに任せて、とか、無礼に、というのでは全くなく、むしろ実に丁寧に、静かに首から取り去った後ろ姿には、この日金メダルを獲得した田村や鈴木とは全く異なった、しかしどこまでも人を圧倒する「威厳」が漂っていた。


「目はぼやけても、目標は……」

 引き上げてきた鈴木の左目は、ミックスゾーンで話ながら、みるみる腫れて行き、表彰式の頃には目が隠れてしまっていた。
 2回戦で、相手のひじがちょうど目とバッティングをしたため、端を少しだけ切って、まぶたと目の下が強烈に腫れてしまったという。左目がほとんど見えない中、しかも鈴木は左で組むのでさらに見えにくいハンディを抱えなくてはならなかったはずだ。
「確かに、見にくかったんですが、まあ全然見えないわけではなくて、影とかぼんやりでも見えてましたんで。組めば何とかなるって、そういう感じでした」
 会見場の片隅では笑っていたが、オール1本勝ちの内容以上に、初出場ながら見せた「落ち着き」が、アテネへの可能性を際立たせていた。

「2階級に出ても、体力でも精神的にも全然大丈夫。来年は2階級制覇の夢を実現する」と、100キロ級での3連覇を果たした井上は話し、すでに五輪での2階級制覇へ強い意欲をのぞかせている。体重別で勝った鈴木が100キロ級に出場せず、全日本で雪辱した井上が、無差別に出場せず、周囲の様々な思惑の結果だが、今大会2人の間には、「自分が出場した階級できっちり優勝を」という約束は存在することになってしまった。
 その約束が果たされた、鈴木優勝の瞬間だけをテレビで見届けた井上は、喜びと歓声に沸くウォームアップのための部屋を、誰よりも早く出て、駆けて行った。来年に向けて描かれている、2人の代表争い、青写真に向け。
 見えない視野に苦しんだ鈴木も、井上の見ている景色はクリアに見えているはずだ。


「谷亮子も楽しみで」

 いいことばかりだったのか、悪いことも苦しいこともあったのか、これは本人に聞かなければわからないが、田村が一度だけ涙ぐんだのは「田村亮子として戦う最後の……」と、6連覇を振り返った時だった。
 9月6日、28歳の誕生日祝いを伝えた際、「6連覇にも、田村亮子にも悔いを残さないよう14日は思い切り戦います」と、「戦う」などという単語を留守電に入れる女性が世の中にいるのかどうかわからないが(笑)、とにかく元気ではつらつとした声で、丁寧な返事を録音してくれた。

 国際大会にデビューした15歳の頃から、取材を続ける幸運に恵まれたわけだが、この日の笑顔を見ながら、自分が6連覇を見たかったわけではなかったのだとあらためて思った。旗判定で切り抜けていく柔道から、28歳になって、すべての瞬間で1本を狙い、相手を仕留めていく柔道への鮮やかな変身を遂げた彼女が描く、理想の柔道の、あくまで「途中経過」が見たかったのである。

MASUJIMA STADIUM
 谷選手との話をするときはいつも笑顔を絶やさない。しかし畳に上がれば、そうした「スキ」は一切消える。相手を眼力で圧倒し、「自分のオーラでまずは相手を怖がらせる」と平気な顔で言う女性の戦闘体勢を、「そんな姿が一番好きだ」と言われたら、ほかにどんなものを望むだろう。彼女は結婚で、間違いなく強くなる。
「柔(やわら)の道は徹底的に極めたい。だけど谷さんと一緒の時には、とびきり柔らかな女性でいたいんです」と打ち明ける。知る限り、彼女は料理が上手いし、家庭的で、スポーツ選手の気持ちを理解している。オリックスの不振を聞いた時「私には団体競技の苦労はわからないけど、谷さんは投げたり、諦めたりする人じゃない。最後までやらないと、来年につながらないから」と、控え目だが、芯のある励ましをしていた。

 試合で本塁打を放って駆けつけた谷と田村は、試合直後、大混雑するスタンドから離れた通路で、ひっそりと力強い「握手」をした。正面で抱き合う注文は難題だとしても、「谷がせめて田村の奥襟(おくえり)くらい取って肩を抱いてくれればねえ」と、報道陣は笑った。しかし、握手もまた2人の清々しさかもしれない。
 近いうち、結婚式の衣装の打ち合わせがあると声を弾ませていた。誰も見ていなくても、誰が知らなくても、田村はこの10数年、浮かれることなく、常に走り続けてきた。せめて結婚には少し浮かれ、多いにはしゃいで、谷に甘えて、少し休んで欲しい。柔道だけではなく、女子スポーツ世界に様々な前進をもたらすであろう「谷亮子」もまた、走り続けることになるだろうから。



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