2003年9月13日

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柔道

2003年世界柔道選手権大会 第3日
(大阪城ホール)

 女子52キロ級では、横澤由貴(三井住友海上)が、準決勝で敗れながらも粘りを見せて、銅メダルを獲得、前回のミュンヘン大会のメダルなしからアテネに向けて、1歩前進した。
●2003年世界柔道選手権大会のホームページはこちら
※第3日目の結果は
 「Final Results(入賞者)
 ページで見ることができます。
 女子57キロ級の茂木仙子(三井住友海上)も敗者復活戦で敗れ、男子73キロ級の金丸雄介(了徳寺学園職)、今大会代表中最年長の男子66キロ級鳥居智男(了徳寺学園)も敗者復活での勝ち上がりもならなかった。
 世界柔道は14日、個人戦の最終日を迎え、男子60キロ級には、アトランタ、シドニー五輪連覇の野村忠宏(ミキハウス)が、97年のパリ以来の世界選手権に出場、女子48キロ級では、前人未到となる6連覇を狙う田村亮子(トヨタ)が登場する。


「メダルとメダルなしの間にあるもの」

 かつて、田村、阿武とともに日本女子柔道の存在感を世界に示し続けた楢崎教子(アトランタ銅、シドニー五輪銀)が引退して3年、輝きは異なるが、52キロ級に世界選手権4年ぶりのメダルがもたらされた。
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大阪世界選手権[大会直前インタビュー]田村亮子「『心技体+脳』で私は6連覇を達成する。」が掲載されています。

 22歳の横澤は、前回のミュンヘン大会、20歳の初出場ながら初戦から準決勝まで鮮やかな1本勝ちを続け、物怖じしない、その堂々とした戦いぶりは現場で高く評価された。しかし、準決勝から「流れ」がガラリと変わった。
 アトランタ五輪で田村に勝ったケー・スンヒには先手を取られて有効2つを奪われ敗退。3位決定戦では、楢崎のライバルでもあったベルデシア(キューバ)に旗判定(0−3)で敗れ、結局はメダルなしの悔しさをかみ締めて帰国した。
「準決勝と、そこからでは全く違う試合になっていました。勢いでは勝てない。本当に悔しい」
 ドイツでは会見でそう話して、涙ぐんだ姿をよく覚えている。
 そして「次回は必ずメダルを取ります」と言った。

 あの日から2年、またも準決勝で敗れた。しかしここからが2年を本当の意味で表現する30分間になった。柔道は午前中に3回戦まで行われるが、準決勝が始まる時間までには実に4時間近くあき、さらに準決勝と3位決定、準決勝と決勝の間は極端に短い。メンタルのペース配分は非常に難しい。
 しかし横澤は30分で気持ちを切り替え、2年間自分に課した「絶対にメダルを」という目標に集中する。3位決定戦では、ポイントを奪っているにもかかわらず、5分4秒前にも締め技をあえてかけに行き、5分過ぎまでかけ続ける、勝利への「執着心」を、どこまでも泥臭く、決してスマートではないが、強烈に表現した。
 銅メダル獲得後の涙は、しかし悔し涙だったと試合後言った。
「いい柔道ができなかった。そういう弱さを克服したい。試合の残り30秒で追い込んでいくしかないと思っていました」

 女子の出口コーチは「横澤は今日、メダルを取るか取らないかという、前回跳ね返された壁は乗り越えたと思う。もともとコツコツと努力するタイプの選手だが、これからは練習でのコツコツだけでは金メダルを取れない、爆発的な力がいることもまた、わかったと思う」と、来年への指標を新たに示す。
 この日、男女通じて唯一のメダルは、決して華やかなものではなかった。しかし2年前、泣いて口にした約束を、ひざじん帯の損傷、なかなか治らない苦しい時期を糧にしながら、果たした点で、横澤が踏み出した小さな「一歩」には、大きな価値があったと思う。
 今日の勝利は来年に活きそうですか? と聞かれて、横澤は言った。「次につなげたいですね、つなげます」。次は、銅メダルと金メダルの間にあるものを、乗り越えるだろうか。



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