2003年9月12日

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柔道

2003年世界柔道選手権大会 第2日
(大阪城ホール)

●2003年世界柔道選手権大会のホームページはこちら
※第2日目の結果は
 「Final Results(入賞者)
 ページで見ることができます。
 女子70キロ級では、上野雅恵(三井住友海上)が、決勝でも大内刈りを秒殺で決める、鮮やかなオール1本勝ちで優勝し、2001年のミュンヘン大会に続いて連覇を果たした。
 帰化し、初の国際大会を地元で戦うことになった81キロ級秋山成勲(平成管財)は、金メダルが期待されたが準決勝で敗退、3位決定戦にも敗れてしまった。

 また秋山と1回戦で対戦したフランスのセドリク、2回戦のモンゴルのニャムフーから、「秋山の胴衣が滑る」と抗議を受け、2試合ともが中断。3回戦のトルコのウズナドセイラクリからも試合後抗議がIJF(國際柔道連盟)スポーツ理事に対して出され、3か国から同時に出された異例の抗議を重く見た山下泰裕(東海大教授)IJF教育・コーチング理事、斉藤仁・男子ヘッドコーチ、審判理事の4者が協議した結果、秋山は午後の準決勝から、ゼッケンと名前、日の丸が縫いこまれた代表の胴衣(青と白1着ずつ)ではなく、スポンサー名だけが入った予備の胴衣に着替えて2試合を戦うという、異例の事態となった。

連覇を果たした上野雅恵「(寝技が多く決まったが)体が勝手に動きました。決勝は、持ったら大外か大内しか(かける技は)ないと思っていた。準決勝のボスには絶対に負けたくないと思っていたし、(自分に)持たれるのが嫌で、きっと(組み手を)切ってくると思っていた。ここまで辛かった合宿を思い出して、これで力を証明できたと思って涙が出ました。一番苦しかったのは、(7月下旬の)釧路合宿で、調子が上がらなかった。今日まで調子は上がらなかったが、最後は開き直りました」


「肌触り」

 大会前「日本人として」と、韓国から帰化して獲得する金メダルにあれほど執着した男が、準決勝で身にまとったのは、スポンサー名の「アリコジャパン」とだけ入った予備の胴衣だった。自らのアイデンティティというものにこだわり、それを証明しようと懸命になった柔道家が、最後にすべての「シンボル」を失ったことは、実に皮肉で気の毒な結果である。落胆ぶりは、準決勝からの試合運びに映し出されていた。

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 午前中対戦した3か国から、袖、背中と「秋山の胴衣が異常に滑る」と抗議され、これに対して、公式胴衣を作成するミズノ、関係者とも休止時間に繰り返しチェックをしたが、不審な点は一切なかった。「潔白は証明できます。全員が触って何もない、と断言できる。どうしてこんなことを言われるのか、何かあるならこちらが教えてほしい」と、斉藤仁ヘッドコーチは試合後、声援に枯れ果てた声で訴えた。
 胴衣は2枚を公式、2枚を予備として、血がついた、あるいは破損した場合に交換を認められるが、こうした形での交換は前代未聞のハプニングである。

 秋山は3位決定戦に敗れた後、「試合中のクレームは気にならなかった。(胴衣の交換は)先生方が決められたことだから」とだけ報道陣に直接コメントをし、午前の対戦が終わった段階で事情を聞いた斉藤コーチに対しては、「何でそんなことを言われるのかわからない。胴衣は、母親が1回洗濯をしただけだ」と答えたという。

 事実は以下。

    ・対戦したフランス、モンゴルの選手は、自ら試合を止めて「滑る」と抗議した。
    ・IJFへの抗議は正式なもので、試合後IJFは秋山の、青、白2着の胴衣を「調査のために提出するように」と持ち帰った。
    ・胴衣について、肌触りといったものをチェックする規定、罰則などのルールは定められておらず、試合前の「胴衣チェック」は、例えば袖口の下には10センチの余裕があることなど、主に採寸についての検査を行い、終了したものに公式のゼッケンをミシンで縫って選手に返す。
    ・クレーム後、関係者が揃って確認したが、細工や不振な点は一切なかった。
    ・今年4月、今大会の代表を決定する体重別選手権では、秋山と対戦した中村兼三が開始直後に、「滑ります」と同じ様に抗議をし、試合を止め、審判団が調査をし、問題なし、と判断されている。

 現時点では、胴衣を触った人間、つまり斉藤氏をはじめとする関係者と、本人、抗議した相手だけが主張する感覚だけが手がかりであるため、片方は「非常に滑る」と言い、片方は「全く滑らない」と言う、実にやっかいな「肌触り」が争点となるおかしな話になっている。

 秋山には過失も意図も一切ない。しかし相手に、秋山の胴衣にクレームをつける、という「スキ」は与えたかもしれない。胴衣の肌触りは、いわばマナーの部分であり、書かれないマナーこそ、実は競技規則以上のルールと解釈すれば、中村が4月に試合を止めて主張した「違和感」はもう少し重要に扱って良かった。
 秋山自身は、4月、アトランタ五輪金メダリストの中村に「滑る」と言われた胴衣を、「洗剤が残っていただけじゃないか」とし(洗剤や柔軟剤が付着したままであるとまれに滑ることがあるらしい)、全柔連の現場は、審判団の「何も問題なし」を尊重した。
 問題がないならなおさらのこと、何かおかしいというなら念のため調べておくか、という程度の軽い工夫で、秋山自身も、彼の華やかな柔道も、プライドも、こんな結末を迎えなかっただろうだけに残念だ。

 斉藤コーチはこの日、「今思えば、あのときにもっと入念に胴衣を調べておくべきだったかもしれない。今日もコーチ陣の間で、今後は胴衣の長さや形だけではなく、肌触りといったものもコーチ陣がちゃんと把握しておこう、と確認をした」と説明をした。かつて胴衣は襟を巡って規定が検討された(ぶ厚い襟で細工をするなどがあった)。おそらく、肌触りについてのルールがこの日の抗議をきっかけに設けられることになる可能性が十分にある。

 秋山は、ミックスゾーンで「これが実力です。まだまだ弱いと感じました」と言った。抗議を受けた胴衣を着ていた姿に、彼の主張のすべてが込められていた。



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