2003年9月1日

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Column

世界陸上取材を終えて
(フランス・パリ)

 昨晩、9日間に渡ったパリ世界陸上が終わり、今朝は末續慎吾(ミズノ)、野口みずき(グローバリー)、千葉真子(豊田自動織機)の3人が選手村で記者会見を行いました。真夜中の放送でも視聴率が良かったことは、テレビ局の思惑を超えて、何より選手のパフォーマンスによります。眠い目をこすって呆然としながらも、暁の末續の快走には興奮されたでしょうし、室伏が怪我をする中でも投げられた理由はどこにあったのかを探りたくなるはずです。

 野口の原稿を最初に新聞の連載コラムに書いたのはもう3年近く前のはずです。
 ワコールと藤田監督の間に起きたトラブルによって、監督は退社、監督を慕ってワコールに入った野口は悩みぬいて、やはり「初志貫徹」と監督の後を追いました。失職です。走る場所もなくなり、資金もありません。10代の女の子にできることはなかったと思います。西陣にあるハローワークに通って失業保険をもらい、公団で共同生活をする。笑いながらその頃の話を教えてもらいました。
「にんじんやかぼちゃの皮ももったいないですからねえ、キンピラにしましたよ」
 私は彼女が全く注目される以前、藤田監督と、アトランタ五輪のマラソン代表、真木和の後を追って失業保険をもらいながら走っている子がいる、とただそれだけで彼女のことを知りました。しかし話を聞きながら、こういう人はマラソンで強くなる、と思ったことは覚えています。私の好きな女子ランナーたちと同じ、何とも表現しがたい「しつこさ」(みんな、怒ってますか)を持っているように思えたからです。
 ですから本人が泣いた、というスイスでの練習も、昨日のレース展開も、未来の全く見えない日々を走り抜いたことを思えばそれほど苦しくはなかったはずです。

 ここに来る前、末續が「AERA」の表紙になりました。末續は笑いながらこんな話を教えてくれました。
「小田急線に乗っていたら、つり革につかまっていた人が中刷りを見て、俺の顔を見て、また中刷りを見て、あ、あれあなた? って。俺のことを知っている人なんていないですよ、やっと一人ってとこですから」
 明日2日、日本に到着する末續を待っている人たちが、「やっと一人」かどうかはすでに大いに疑問がありますね。おそらく出演、取材交渉を求める長蛇の列に、小田急線だってうかうか乗っていられないでしょうし、彼の好きな東海大の学食でも、落ち着いて食事はできないかもしれません。以前書いたこともあるのですが、私が彼から聞いた話でもっとも好きなエピソードは、熊本の実家に帰るときの話しです。
「いつも、おーい慎吾が戻ったぞお! と親戚中が大喜びで集まってくれて、猪鍋を囲むんです。朝までずっと宴会です」というものです。素朴で、おおらかで、きっと酒が進んで大笑いしているであろう末續の顔が思い浮かびますね。
 所属するミズノには月曜日と木曜日に出勤しますが、4月以来、出られる日は必ず一番に出勤して、フロアの机を全部拭いているそうです。何でも、「机とは無縁なもので吹くだけでとっても新鮮なんです」とおかしな理由を上司に説明しているそうですが。

 また、今大会前、父をなくした為末 大(大阪ガス)がミックスゾーンで告白した話も、彼の性格をよく表していました。
 お父さんが亡くなった、という連絡を携帯電話で受けたとき、為末は末續の家に遊びに行っていたそうで、知らせを聞き終え電話を切った後も、末續は何ひとつ聞かないでずっと黙っていてくれたといいます。
 今大会、夢といわれた未体験ゾーンへと突入していく中、表面上は本当に冷静に、気を抜かず、懸命に自分を奮い立たせている姿はどこか凄まじく、同時に繊細で、もろそうで、痛ましく、4本のレースを走り終えた彼を見たときは、顔が変わってしまった、と思いました。素晴らしくいい顔です。

 男の人は女性と違って多少のごまかしがきかない分、いとも簡単に「顔」が変わるような気がします。スポーツ選手は目が特に雄弁ですので、これに拍車がかかりますね。末續はこの1年、高い志を持って、苦しいトレーニングに挑み、周囲の人を気遣い、いろいろな壁に当たりながらも、それをごまかしたり、自分や周囲を欺いたり、現実から逃避して自分を正当化することなく、立ち向かったのです。誰も信じなくても、自分はメダルが取れると確信して。それがどんな日々だったかを、この大会で垣間見ることができたことを、私は幸運だと思いました。「やったるばい」は、熊本出身の彼のキャッチフレーズでした。しかし銅メダルを獲得した今、「やったるばい」の未来系から、完了形は「やったばい」なんでしょうか。おそらく、明日成田空港に到着した瞬間から、とんでもない取材攻勢に巻きこまれるであろう彼とゆっくり話せるのはいつになるのかわかりませんが、アクションつきで聞きたいものです。

 今大会の日本人選手は、メダルと予選落ちという二極化が進み、全体的に見れば、決して成果の多かった大会ではありません。特にマラソンを除く女子の不振は深刻なものだと感じます。何事も、華やかなほうに目を奪われるものですが、やはり何が起きたのかは検証の必要があるでしょう。
 大会中も書きましたが、陸上は本当に様々な条件がパフォーマンスに影響する屋外競技です。極限で争っているので、ハプニングもしょっちゅう起きます。ベストの状態で臨むことは本当に困難で、ベストでない時にどこまでできるか、のために、練習を積んでいるのだとあらためて知らされた大会でもあります。底力というものでしょうね。

 私が、欧州に入ったのは、思えば遠い昔の8月13日、藤田俊哉選手に会うためユトレヒトに到着した日です。開幕までの貴重な時間を彼にもらい、幸運にも、小野伸二選手からもインタビューOKの連絡を受け、怪我に苦しんだこの何か月の話を聞くことができました。これだけでもかなり贅沢な話ですが、ここからパリに入って約2週間世界陸上を取材し、スポーツライターとしてはこれ以上ない、贅沢、豪華、至上の取材となりました。潔く、かっこよく生きる選手たちのような「底力」がないため、常に浅いプ−ルなのに上に上がってきてはアップアップなわけですが(笑)。いつでも、締め切りとフライトが競いあっているため、お土産を買えることはまずないのですが、今回はことさらに「お土産話」の方が充実していると思います。

 末續も加速する一方でしょうし、室伏もまた新たなチャンピオンのタイトルを目指してハンガリーでの国際試合に向かうことになっています。それがどんな偉業でも、スポーツではすぐに過去になってしまいます。
 私は今日深夜日本に向けてパリを出発しますが、帰国するなり、今度はまた別の形で、つまり格闘によって研ぎ澄まされていく「顔」を見ることになります。大阪で行われる世界柔道です。田村亮子の6連覇、井上康生の3連覇とも、日本のスポーツ界の歴史に新たなページを加える偉業になるはずです。

 とんでもない忙しさと、移動、取材の著作を考えて、アップができないこともありましたが、アクセスをしてくださったみなさん、ありがとうございました。お体を大切に。

晴れ渡るパリの空の下で  増島みどり   



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