2003年3月16日

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サッカー

J2 第1節第2日
大宮アルディージャ×アルビレックス新潟
(埼玉スタジアム2002)
天候:曇り、気温:14.5度、湿度:42%
観衆:20,686人、14時05分キックオフ

大宮 新潟
1 前半 1 前半 0 4
後半 0 後半 4
6分:磯山和司
 
アンデルソン:58分
マルクス:65分
深澤仁博:70分
宮沢克行:89分

「翼、は胸に」

試合データ
大宮   新潟
10 シュート 15
0 CK 7
22 FK 19
1 PK 0
 こんなに、削ぎ落とされた頬を見たことがかつてあっただろうか、と思った。
 こんなに大きな背中を感じたたことも、これほど穏やかな表情も、かつて見たことはなかった、と、山口素弘(新潟)と話しながら97年からの6年間を思い出そうとしていた。
 J2のリーグ戦はJ1よりも一足早く開幕し、16日、ともに昇格を狙う強豪同士、大宮対新潟が埼玉スタジアムで行なわれた。
 開幕の前夜、彼と信頼関係の厚い記者と2人で、浦和対東京Vの取材後、浦和に前泊している山口に会いに行った。取材もない。用も特別ない。開幕前の夜、無事に開幕にたどりついた元日本代表副将に「おめでとう」の一言を伝えるだけである。

 98年、横浜フリューゲルスが消滅し、山口はGK楢崎正剛とともに名古屋へ移籍し、ほかの選手たちも離れ離れになっていった。
 昨年、若返りを理由に名古屋から戦力外通告を受けたが、新潟は「新しいチームを作るために力を貸して欲しい」と、山口にとっては、どれほどの金額よりも、待遇よりも欲しかった大切なものを、篤く提示し、フランスW杯の経験者は44試合と厳しいロードの続くJ2を選んだ。
 若いボランチ・安英学(アン・ヨンハッ)との仕事を心から楽しみ、若い選手から受ける刺激、新たに踏み出したキャリアがどれほど充実しているかは、体脂肪を削いだ肉体と、表情からにじむゆとりが十分過ぎるほど物語っていたと思う。

 私たちが持っていた15日の各会場のスコアシートにすべて目を通しながら、山口は「あ、アツ(三浦淳宏、東京V)(点を)取ったんだ、よかったねえ、アイツ、去年なんて何試合かな、怪我で全然出られなかった、ホントよかったねえ。PKなの? どこ蹴った?」と浦和と東京Vの試合の詳細を聞いてくる。
「アツは、サッカーをやってんだ! もうどこも痛くないって嬉しくて、嬉しくて感激したって言ってた。PKをどまん中に蹴るのは、勇気いるなあ、って笑ってたよね。まだスネにはボルトが入ったままなんだね、確か」
「そうそう、アツは偉いよ、諦めなかったからね、確か7〜8試合くらいでしょ、去年出たの」
 山口は話を続けていた。
 サツ(薩川了洋、柏)が膝を傷めていてすごく心配している、サンちゃん(サンパイオ、広島)も大変だけど、楽しいって言ってたね、ナラ(楢崎、名古屋)はどうだろうか、チームも大変だから……。「元」とつけるのははばかれるほど、山口の言葉には、かつてのフリューゲルスのメンバーたちの見えない連体の強さが溢れていた。互いの陣中見舞いを欠かさず、怪我を心配し、得点に拍手を送る。そして、それぞれの「開幕」に共鳴する。
 実体を失って5年の「チーム」は、しかし、実在するクラブと同じように、体温の通い合う連帯感でいまだに結び合っている。

 16日は、別の仕事の取材先で、大宮対新潟をテレビ観戦することになった。前半、大宮に先制されても全く動じることのない34歳の男の顔、的確にピッチで飛びかうキャプテンの指示、遅延行為で警告を受けていた黒崎から、2枚目のイエローをいつの間にか奪う老獪なプレー、後半逆転に成功して若手を抱く姿……、「44試合の未知を選んで良かった」と、画面を見つめて笑いたくなった。
 試合終了のホイッスルと同時に、空を見上げ、芝を見つめ、スタンドをみやって、画面の中で笑っていた。山口も、爽快に。



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