試合データ
大宮 |
|
新潟 |
10 |
シュート |
15 |
0 |
CK |
7 |
22 |
FK |
19 |
1 |
PK |
0 |
こんなに、削ぎ落とされた頬を見たことがかつてあっただろうか、と思った。
こんなに大きな背中を感じたたことも、これほど穏やかな表情も、かつて見たことはなかった、と、山口素弘(新潟)と話しながら97年からの6年間を思い出そうとしていた。
J2のリーグ戦はJ1よりも一足早く開幕し、16日、ともに昇格を狙う強豪同士、大宮対新潟が埼玉スタジアムで行なわれた。
開幕の前夜、彼と信頼関係の厚い記者と2人で、浦和対東京Vの取材後、浦和に前泊している山口に会いに行った。取材もない。用も特別ない。開幕前の夜、無事に開幕にたどりついた元日本代表副将に「おめでとう」の一言を伝えるだけである。
98年、横浜フリューゲルスが消滅し、山口はGK楢崎正剛とともに名古屋へ移籍し、ほかの選手たちも離れ離れになっていった。
昨年、若返りを理由に名古屋から戦力外通告を受けたが、新潟は「新しいチームを作るために力を貸して欲しい」と、山口にとっては、どれほどの金額よりも、待遇よりも欲しかった大切なものを、篤く提示し、フランスW杯の経験者は44試合と厳しいロードの続くJ2を選んだ。
若いボランチ・安英学(アン・ヨンハッ)との仕事を心から楽しみ、若い選手から受ける刺激、新たに踏み出したキャリアがどれほど充実しているかは、体脂肪を削いだ肉体と、表情からにじむゆとりが十分過ぎるほど物語っていたと思う。
私たちが持っていた15日の各会場のスコアシートにすべて目を通しながら、山口は「あ、アツ(三浦淳宏、東京V)(点を)取ったんだ、よかったねえ、アイツ、去年なんて何試合かな、怪我で全然出られなかった、ホントよかったねえ。PKなの? どこ蹴った?」と浦和と東京Vの試合の詳細を聞いてくる。
「アツは、サッカーをやってんだ! もうどこも痛くないって嬉しくて、嬉しくて感激したって言ってた。PKをどまん中に蹴るのは、勇気いるなあ、って笑ってたよね。まだスネにはボルトが入ったままなんだね、確か」
「そうそう、アツは偉いよ、諦めなかったからね、確か7〜8試合くらいでしょ、去年出たの」
山口は話を続けていた。
サツ(薩川了洋、柏)が膝を傷めていてすごく心配している、サンちゃん(サンパイオ、広島)も大変だけど、楽しいって言ってたね、ナラ(楢崎、名古屋)はどうだろうか、チームも大変だから……。「元」とつけるのははばかれるほど、山口の言葉には、かつてのフリューゲルスのメンバーたちの見えない連体の強さが溢れていた。互いの陣中見舞いを欠かさず、怪我を心配し、得点に拍手を送る。そして、それぞれの「開幕」に共鳴する。
実体を失って5年の「チーム」は、しかし、実在するクラブと同じように、体温の通い合う連帯感でいまだに結び合っている。
16日は、別の仕事の取材先で、大宮対新潟をテレビ観戦することになった。前半、大宮に先制されても全く動じることのない34歳の男の顔、的確にピッチで飛びかうキャプテンの指示、遅延行為で警告を受けていた黒崎から、2枚目のイエローをいつの間にか奪う老獪なプレー、後半逆転に成功して若手を抱く姿……、「44試合の未知を選んで良かった」と、画面を見つめて笑いたくなった。
試合終了のホイッスルと同時に、空を見上げ、芝を見つめ、スタンドをみやって、画面の中で笑っていた。山口も、爽快に。