■2003名古屋国際女子マラソン 結果 |
順位 |
選手(所属) |
記録 |
1 |
大南敬美(UFJ銀行) |
2:25:03 |
2 |
萩原梨咲(第一生命) |
2:28:14 |
3 |
ボガチョワ(キルギス) |
2:28:17 |
4 |
天羽恵梨(天満屋) |
2:28:57 |
5 |
橋本康子(サミー) |
2:29:37 |
6 |
李 賀蘭(中国) |
2:30:04 |
7 |
王 宏霞(サニックス) |
2:31:19 |
8 |
小松ゆかり(サニックス) |
2:31:28 |
パリ世界陸上(8月)マラソン代表の最終選考レースとなった名古屋は、強風の中で行われ、前回の世界陸上(2001年エドモントン)で腰痛のために37位と惨敗した大南敬美(UFJ銀行)が、悪条件を克服して2時間25分3秒と、23分43秒の自己記録更新はならなかったが代表内定条件となる2時間26分を突破し優勝を果たし、世界陸上代表に内定した。
レースは好天ながら強風、それも方向の定まらない風が舞う非常に苦しい条件の中でスタートし、序盤から優勝候補筆頭の大南、好調の橋本康子(サミー)、初マラソンの萩原梨咲(第一生命)の日本選手3人と、外国選手が1列で走る展開となる。風に苦戦する中、20キロまでレースペースを作るベルクトが5キロを17分前半までの、比較的安定したペースで刻んで、大南はこれを風よけにしながら少しずつリズムをつかんで行った。ベルクト(ウクライナ)が20キロでペースメークの役を終えて棄権してから、25キロ過ぎ、体が動き始めたと後続を引き離し、ここから風を全方向から受けながら単独走となる。向い風や追い風だけではなく、コース全般に風が舞う恰好で、大南は体を何度も左右に振られるが、中国・昆明での合宿でも悪条件を乗り越えてきた自信と、これまで課題だった腕の振り方が筋力の向上によって力強く変り、25〜30キロ、30〜35キロでそれぞれ16分台のスプリットを刻む。35〜40キロでは5キロ18分とこのレースでもっともスプリットと落ち込んだものの、苦しくなってからの後半のハーフを何とか1時間12分50秒でまとめて、2時間25分3秒で価値ある優勝を果たした。
2位には、萩原が粘って2時間28分14秒で入った。これで昨年11月の東京国際からスタートした男女マラソンの国内選考レースはすべて終了し、日本陸連は10日、東京都内で評議会、理事会を開催してパリ世界陸上の男女マラソン代表5人ずつを発表する。女子は大阪で野口みずき(グローバリー、2時間21分18秒)と名古屋で大南が優勝、昨年の東京では2時間25分2秒で松岡理恵(天満屋)が日本人1位となっており、この3人はすでに世界陸上代表に内定。大阪で野口とともに、21分台をマークした2位の千葉真子(豊田自動織機、2時間21分45秒)、初マラソンで3位となった坂本直子(天満屋、2時間21分51秒)が残る2つの席の有力候補と見られている。
雨や雪、暑さ、風、これからスタートするマラソンランナーに、一体どれがもっとも嫌な条件になるか、と聞けば、ほぼ間違いなく全員が「風」と答える。雨や雪も、よほどの低温で体が冷え切るような危険がなければ、かえって呼吸が楽なこともある。暑さがもっともつらいとも思うが、これもまた個人差があり、同時に誰かが暑くて誰かに暑くないというものではないので、条件の格差は生まれない。しかし、風は違う。
同じ風が吹いていても、走力、技術的な底力といったものは残酷なくらいに明確に差を広げてしまうし、消耗は激しい。この日のように風向が定まらない冷たい風は、中でももっとも嫌悪される条件であり、大阪女子マラソンで2時間21分台が3人も誕生したのは、無風が最大の要因であったともいえる。マラソンの好記録を支える条件は3つあると言われる。
天候、ライバル、レース展開、この3点。
天候は強風で最悪、ライバルは不在、レース展開はほとんど半分を独走。大南はこの日、レースの条件といえるものがただのひとつもない、いってみればどん底ともいえる「泥マラソン」を制した点で、高い評価を受けていい。
「向い風では体が止まってしまい、いろいろな方向から風が舞うために足が絡んでしまって走れない状況だった。でも、昆明でもあれくらいの風の中を走ったんだと言い聞かせて、何とか行こうと思っていた」
レースで散々、前後左右の風に揺さぶられ、あらゆる筋肉と神経を使い切ったのだろう。会見でマイクを握る手は、レース後何分も経っているのに、震えが止まらず、小刻みに揺れていた。
10メートル近い風速の中で、大南は「前半抑えて行くのか、考えていたように行くのか少し迷った」と振り返る。こうした悪条件を前にも、いつものレースプランを変えなかった点が勝因である。
「当初の予定通り、16分50から17分前後で」行くことを覚悟した勇気は、天候、ライバル、展開、すべてを失い、ないない尽くしのレースだったからこそ、甲状腺の手術で走ることを辞め様としながら復帰し、歩けないほどの腰痛でもまた復帰してくるような、彼女の根っこの強さに、鮮やかな光を当てる結果になったのではないか。
これまでは腕の振り、状態の弱さがレースのもっとも困難な地点になると、必ず大南を先頭から遅らせる要因となったが、今回は、一日1時間半の補強で、腕立て、腹筋、背筋と体幹を鍛え直したという。決して大木ではなかったが、大南の「幹」の強さが、風の揺さぶりに勝った。
前回のエドモントンでは腰痛で37位と惨敗した。
「レ―ス中、世界陸上、世界陸上、といい続けていました。必ず挽回したい」
もし、はスポーツに禁物だが、無風で、ライバルが存在し、レース展開に恵まれれば、21分台を出す練習を大南は積んできていた。間違いなく。