2003年3月8日

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サッカー

2003Jリーグナビスコカップ Bグループ第1節
横浜F・マリノス×FC東京
(東京・横浜国際総合競技場)
天候:晴れ、中風、気温:12.3度、湿度:31%
観衆:17,115人、15時01分キックオフ

横浜FM FC東京
1 前半 1 前半 0 0
後半 0 後半 0
44分:マルキーニョス
 

「リリーフから先発へ」

 サッカーではなかなか上手いたとえがないのだが、野球ならば、こんな任務の変化を思い浮かべればわかりやすいのではないか。
 横浜FM新監督、岡田武史氏の仕事が、氏がこれまで経験してきた「リリーフ役」から「先発型」へと大きな変化を遂げたことは、新生マリノスを占う上で重要な要素となり得るものであり、同時に自身の指導者としての真価を問われる転機ともなるだろう。
 フランスW杯アジア予選のどん底で、歯を食いしばっていた日本代表は、中央アジアでカザフスタンにロスタイムに引き分けにされ、ここで加茂周監督に代わって、いわば、リリーフ役としてコーチであった岡田氏が「監督」となった。この場合のリリーフは「火消し」ではなく、むしろ「点火的」な役割がより重視され、ただの一度も監督経験が無かったにもかかわらず、最終戦までこぎつけ、最後にはW杯切符を手にすることになった。
 札幌では、J2から、これは誰のリリーフというのではなくて、状況に対する、リリーフだったといえる。昇格を狙って一度は失敗、北海道で育て、愛されたチームには、潤沢な資金があったわけでなく、もちろん、天候による根本的な不利は選手とともに対峙しなければならない困難でもあった。
 簿記資格を活かしてチームの財政再建でもリリーフ役を買って出た。無駄、無理を徹底的に排除したクラブ経営を引き継いだ結果、黒字クラブにまで転じて、昇格し、「戦えるチームができた」と、昨年札幌を後にしている。

 これまでの監督の仕事の多くが、こうした、前任者や過去の状況と対面しながらの改革であったことに対して、今年からのキャリアは、選手個々の実力と戦力、経営と、サポーター、人気と3拍子が揃った名門クラブでの、いわば言い分けの一切できない、アドバンテージだけの中でスタートしたことになる。
 マリノスのフロントはこの日の試合後、「勝利したことが収穫だった。一方では、キャンプからの監督のサッカーや考えといったものが、この試合にそれほど濃く現われていなかった面もある。もちろん、現時点での結論など求めておらず、今後開幕、シーズン中と右上がりで行くだろう」と、収穫、課題、両方をあげた。

 監督は会見で、守備から攻撃への流れをよりよくするために採用したシステム、原則4バックの3バック転換が機能不完全だったこと、攻撃では2トップのみの展開に終始し、3枚目が絡まなかった単調さを課題にした。
「今日は、今週の雨(悪天候)や疲労もあったのか、身体が非常に重かった。私も納得がいっていない部分はある。DFに関しては良く耐えたが、攻撃は正直もう少しボールを支配できると思っていた。最後までボールに向かって行こうという意志は評価するし、苦手と言われるFC東京に勝ったことは良かったと思う」と憮然とした表情のまま答え、席を蹴るかのような勢いでロッカーまで行ってしまった。
 監督キャリアでは、初さい配のゲーム3度目(代表、J2札幌)にして、初めて勝利を手にしたことになるが、それも「関係ない」と、とりつくしまもなかった。憮然としていた理由は、試合内容を見ていれば一目瞭然で、わからないこともない。一方ではあれほど憮然としなければならないほど、自分の読みと、ピッチ、あるいはスタッフとの連携が大きく食い違っていたことを、公に表現していることにもなる。過去2回の「初さい配」をともに取材しているが、初勝利という結果を手にした今回がもっとも厳しいスタートに感じられたのは、リリーフから先発に、火事場の馬鹿力から平時の力を試されることになった、監督の立場の変化に理由があったのだと試合後気が付いた。

 正直な監督は、そうした無意識の戸惑いを隠せなかったのかもしれない。ウズベキスタン戦から6年目、数多の困難を乗り越えてきた「ピンチの岡田監督」が、どんなさい配を見せるのか。メディア、サポーターのみならず、何より選手が「平時の岡田監督」を注意深くうかがっている、そんなムードが見え隠れする初戦であった。



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