2003年2月11日

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★Special Column★

寿司とカミカゼ

 今週末に、青梅マラソン出場という、今年最大のビッグイベントを控えながら、成田空港のラウンジで原稿を書いています。
 日本サッカー協会・川淵三郎キャプテンの優秀な秘書、飯塚玉緒さんと私は、我等が「グリーン・ランニングクラブ(=GRC)」を率いる竹内会長のご指導のもと、なぜか青梅(10キロ)に出ることになっています。
 飯塚さんはすでにレース経験者ですので心強いものですが、私のほうといえば、生活態度をこのホームページでも「垣間見て」おられる読者のみなさんの想像と寸部違わず、ひどいものです。飯塚さんが頑張っているんだから、という思いと、昨年、参加したマラソンの申請書の所属欄に「GRC」と書いて申し込み、「成人男子5キロの部」で、ランニングクラブデビュー戦でいきなりの優勝で飾ってくれた会長(箱根駅伝の出場経験者です)のお顔に泥を塗らないように、とここまでトボトボと走ってきました。ちなみに数多くのランニングクラブが存在する中、デビュー戦ですい星のごとく優勝をさらった「GRC」とは何者だ、と市民ランナー業界では今、旋風を巻き起こしている……はずですが。

 遡れば、シドニー五輪までの女子マラソンを同時進行ドキュメントで書いた2000年7月、高地トレーニングで有名なボルダーで「1キロ7分で攻めてるよ」と走り、弘山晴美選手のコーチである勉さんに「7分で“攻めて”るんですかあ! ブハー」と大爆笑されて以来3年、女子マラソンの選手達の間には「もう最後は増島さんペースになっちゃいましたあ」という言葉まで定着させながらのランニングでした。
 体脂肪が20%を切った以外、ほとんど収穫のないトレーニングで、同じ女子マラソン選手の「直接指導」を受けながら、最近ランニングについてよくクローズアップされている、モデルさんのフルマラソンへの意欲とはまるで正反対に、走れば走るほど、42kmという距離にうんざりし、彼女たちアスリートの精神構造にあ然とします。
 ただ2年半、とにかく完全に辞めなかったことだけは事実です。
 ところがここに来て、大ピンチに陥っています。コンフェデレーションズ杯の取材が急きょ決定し、本日からパリ3泊の弾丸ツアーをしなければなりません。帰国は15日、青梅マラソンのスタートまで24時間切っての帰国です。竹内会長とは昨日「ゼッケンはやはり海外招待選手に変更するべきだろうか」といった真剣な議論も行いました(笑)。

 青梅10キロは、最初の5キロの関門が40分です。1キロ8分です。スポーツと運動会を愛してきた私の両親は、さすがに「無理なんて絶対にしないで」と、5キロ完走を目標に、と言っています。BFは「ちょっとだけ頑張ってくれれば嬉しい」と言ってくれます。親友でもある有森裕子さん、山下佐知子さんは多分、笑うでしょう。山口衛里選手は故障を治療中の身ながら「私が付き添いをしたいくらいです!」とまで張り切っています。

 というわけで、とりあえず、青梅のゼッケン受け渡し場所で、飯塚さんと3人で待ち合わせをすることにはしました。私は、スポーツで楽しく遊べるとなると、妙に真剣になってしまいます。
 もちろん、体脂肪除去のために走ってきたランニングと肉体の限界は、私自身が知っていますので、取材ばかりしていた青梅を走れることが楽しみです。

*   *   *

 さて、山のような新聞を読みながら、ドイツからの2つの、本当に素晴らしいファイトに触れたいと思います。
 ひとつはもちろん高原直泰選手の、対バイエルン初ゴールです。あの試合を観ると、1本のボールを触る、さばくことがFWにとってどれほどの困難かが切ないほど伝わってくるように思いました。最後の最後、高原がヘッドで決めたゴールを、中山雅史選手は「らしい」と表現した、と新聞に掲載されていますね。私は彼を「刹那の」ゴールゲッターだと思っています。取材の会話の中で、「ホイッスルが鳴ってもあきらめない」と言ったことによるのですが、ホイッスルが鳴っても、鳴り終わるまでには少なくともあと1秒はあるのだから、とする、彼の1秒にかけた信念こそ、GKカーンの48120秒(802分)を止めることが可能なのです。
 昨日は、NBAマイケル・ジョーダンが最後のオールスターに出場し、やはり残り4秒で放った1シュートで試合の形勢を変えてしまいました。自分は1秒で何ができるのかを考えたとき、スポーツ選手たちの1秒とはどれほど重く、すべてが凝縮された、もしかすると人生の長さにも匹敵するほどの「歴史」であることに、崇高さを感じぜずにはいられないのです。
「スシ・ボンバー」という高原のニックネームは、どうも安直でピンときませんが、もう一人、こちらは空を飛ぶ、「カミカゼ」について(これもさらに安直ですねえ)書きたいと思います。

 かつてない不振にあえぐスキーの日本ジャンプ陣は、9日、ドイツのビリンゲンでW杯を戦いました。今季第22戦は、強い向かい風のために競技が1本で打ち切りになったのですが、それでも、土屋ホーム(札幌)のベテラン葛西紀明(30歳)は147メートルを飛び、優勝を果たしました。2位には宮平秀治(ミズノ、144メートル)も入って、復活へのわずかな光明を見いだしたといえるでしょう。
 葛西は、スキー板が耳までグッと寄せられる、独特で、しかも美しい飛行姿勢から、欧州では「カミカゼ、カサイ」と呼ばれて、目の肥えた欧州のノルディックファンを引き付けてきた選手です。葛西は、所属していた会社が廃部をしなくてはならない、といった最悪の状況を2度もくぐりぬけ、そのフォーム同様、チャレンジを続けてきました。昨年のソルトレーク五輪では失速しましたが、カミカゼというニックネームはともかく、彼が簡単に飛行をやめるとは思えませんでした。

「小さい頃は余裕がなくて、スキーも何も買えませんでした。だから少年団で自分の板を初めてもらった時のことは忘れません。うれしかった。ぼくにとって道具の原点といえば、あの時の板です。どんな小さな傷もつけまい、と大切にしました」

 私は、かつて葛西に聞いたこの言葉をいつも思い出します。ここまで履いてきた数十本の板の名前、色、すべてをそらんじていたことも、忘れられないエピソードです。彼の反骨の証であると思うからで、今回の2シーズンぶりの優勝がもたらすものに期待せずにはいられません。世界選手権もイタリアで18日から始まることになっています。

 ドイツ人の、欧州の人々の日本人観が、高原や葛西、もちろん、ほかの多くの選手たちの力によって、「スシ」とか「カミカゼ」といったワンパターンから前進せんことを、彼らの一瞬にかける闘争心に思いをはせながら祈りたいと思います。
 そして、みなさんの健康を、心よりお祈りして。

成田空港にて、                 
スポーツライター 増島みどり      



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