2003年1月26日

※無断転載を一切禁じます


陸上

2003大阪国際女子マラソン大会
兼 第9回世界陸上競技選手権大会代表選手選考競技会
(大阪・長居陸上競技場発着、折り返しコース42.195km)
気温:8.2度、湿度:43%、北北西の風0.8m(スタート時)

■2003大阪国際女子マラソン大会 結果
順位 選手名 所 属 ゴール
1 野口みずき グローバリー 2:21:18
2 千葉真子 豊田自動織機 2:21:45
3 坂本直子 天満屋 2:21:51
4 キプラガト ケニア 2:22:22
5 小埼まり ノーリツ 2:23:30
6 タルポシュ ルーマニア 2:27:32
7 田中めぐみ あさひ銀行 2:29:57
8 藤川亜希 旭化成 2:30:13
 今年8月パリで行われる世界陸上代表権(代表は5人)をかけた選考レースは、昨年の名古屋で初マラソンで優勝を果たし、今大会の優勝候補に挙げられた野口みずき(グローバリー)が、スタートから果敢なレースで最後まで攻め続け、先頭集団を快走、ゴールまで持ち味のスピードで押し切って2時間21分18秒と、高橋尚子(積水化学)の持つ2時間19分45の日本最高に続く日本歴代2位(世界歴代8位)で、国内レースとしては最高記録(高橋の日本最高はベルリン)をマークして優勝を果たした。2時間26分を切って日本人トップの場合は、世界陸上代表に内定をするため(昨年11月の東京国際では天満屋の松岡理恵が2時間25分02秒でこの条件を突破)、野口はパリ世界陸上の代表に内定する。
 また、初マラソンながら、野口とともに30キロ過ぎから堂々とデットヒートを展開した坂本直子(天満屋)も2時間21分51秒と、渋井陽子(三井住友海上)が2年前に大阪でマークした2時間23分11秒の初マラソン世界最高記録(※当時)を大幅に更新して3位に食い込んだ。また昨年のシカゴでは思う結果を出せなかった千葉真子(豊田自動織機)は、30キロ過ぎで一度は野口、坂本から引き離されたものの、その後粘り、41キロで坂本をとらえて2位に浮上。2時間21分45秒と、野口に続いて2位でゴールし、97年、一万メートルで銅メダルを獲得したアテネ以来となる世界陸上カムバックに向け大きく前進した。
 日本陸連は、世界陸上でメダルを獲得した男女日本人最上位選手にアテネオリンピックの代表権を与えることをすでに決定している。各国の強豪は、世界陸上は回避することが予想されるため、各陣営とも、メダル獲得の確率がある程度高くなる「パリ世界陸上―アテネ五輪」の最短距離を狙って争いが激化。また、高橋尚子、前回世界陸上銀メダリストの土佐礼子(三井住友海上、2時間22分46秒)ら当初の大本命が故障で不在の中、世界陸上代表をかけて、最後の選考レース、名古屋(3月)には、渋井やほかの若手選手も控える。このため、この日の大阪で21分台を3人がマークしてもなお、野口以外は代表に確定はできないという高レベルでの激しい争いが続く。なお、レース途中まで先頭集団を引っ張った山中美和子(ダイハツ)は折り返し地点で右足をひねってしまいリタイア、シドニー五輪補欠メンバーだった小畑佳代子(アコム)は急性腸炎のためレースを欠場した。

2位と粘った千葉真子(豊田自動織機)「3位をキープしつつ、タイムもよければ世界陸上の代表に拾われるかもしれないと思って走っていたら、40キロ過ぎてピンクのユニフォーム(坂本の背中)が見えたので、タナボタって感じでした。記録は、もう22、23歳の頃から(スピードランナーなので)21分台、21分台とずっと言い続けてきたので、今日は(あまり自分では期待してなかったので)予想以上のタイムで嬉しいです。(小出門下の)高橋さん(尚子)と練習できることは嬉しくて嬉しくて仕方ないんですが、同じ練習メニューをやったら、私は朝練習で「今日はもう終わりましたあ」というくらい、きつい。練習を少し落として、午後に一発集中する、“Qちゃんメニュー”から“チバチャン”メニューに変えて成功でした。今日のレースは自分で合格点が与えられる、満足のできるレースでした。昨年のシカゴを走ったあと、いい結果が出せなくて、この大阪と2本走って納得いく結果が出なかったら、競技を続けるかどうか考えたいと(小出)監督は話していました。これでパリへの道が見えたということより、自分が陸上を続けていける道が見えたという感じがします」

    (ここで、優勝した野口と3位の坂本が会見場所へ。千葉ちゃんは、マイクを握ったまま「はい、私が仕切らせていただきます。こちらが優勝された野口さんと3位の坂本さんです!」と紹介して、司会者不在の会場が笑いに包まれた。)

優勝した野口みずき(グローバリー)「(記録も優勝もすべて公約通りですがレース中には何か不安は? と聞かれ)もう、大ありでしたあ! 給水に2度も失敗(10キロと15キロ地点)して、係員の方が手渡してくれるんですが、うまくいかなくて、何この人ってもうイラついてしまって。それと、あれくらいのハイペースでしたから、焦りも凄くありました。でもその中で我慢しなくてはとずっと考えて、途中、坂本さんと2人になったときには、(高地合宿する中国の)昆明でちょうど同じ時期に合宿していたこともあり、『あ、クンミン(昆明の読み)組だ』と頑張ろうと。ただ、30キロからの何キロかはものすごくきつかったですね。大阪のコースは、リズムが取りやすかった。これで目標が果たせたので、世界陸上ではメダルを狙っていきます」

初マラソン日本最高をマーク、3位の坂本直子(天満屋)「自分が初マラソン日本最高で走っているのかどうか実感がなくて、ラスト200メートルになって、やっと意識したような感じです。30キロまではジョッグだから楽についていって、そこからだから、と監督には言われていましたが、ハーフまでも余裕があって、30キロでは、沿道から声がかかったこともあって、ここで一度は出ておくかな、と。今日のようなペースで走れるのなら、トラックやハーフよりもマラソンが楽しいと思います。野口さんが30キロ過ぎでとても苦しそうで、私も苦しいけれど野口さんも苦しいんだ、と言い聞かせてがんばろうと思った」

■上位3選手 5kmごとの通過タイムとラップタイム
順位 選手名 5km 10km 15km 20km 25km 30km 35km 40km ゴール
1 野口みずき 0:16:42 0:33:12 0:49:57 1:06:40 1:23:41 1:40:34 1:56:55 2:13:51 2:21:18
- 0:16:30 0:16:45 0:16:43 0:17:01 0:16:53 0:16:21 0:16:56 0:07:27
2 千葉 真子 0:16:43 0:33:13 0:49:58 1:06:40 1:23:41 1:40:35 1:57:15 2:14:27 2:21:45
- 0:16:30 0:16:45 0:16:42 0:17:01 0:16:54 0:16:40 0:17:12 0:07:18
3 坂本 直子 0:16:42 0:33:13 0:49:58 1:06:40 1:23:41 1:40:34 1:56:55 2:14:05 2:21:51
- 0:16:31 0:16:45 0:16:42 0:17:01 0:16:53 0:16:21 0:17:10 0:07:46


「負けてたまるか、の中身」

──レースの序盤に2度も給水に失敗していましたね。水分が云々以上に、精神的なダメージがあったのでは?
野口 はい、凄く。マラソンはまだ経験が浅いこともありましたが、スピードに対してあの受け渡し(大阪では、ボトルの手渡しではなく、倒れないようにテーブルに抑える形のために、スピードが乗っているランナーからは取り難いケースもある)ですと、取れないんですね。正直言って、非常にイラ立ちました。その中でどんどんペースが上がっていくので、さらに焦りました。

──もうひとつはデッドヒートですね。30kmで一度後ろになり、また何回かスパートしかけていました。駆け引きは。
野口 これもまだマラソンの回数が浅いこともあるんですが、とにかく我慢しなくてはと思っていました。途中、30kmからは本当に苦しくて苦しくて、諦めかけていたんですが、負けてたまるか、と負けてなるもんか、とずっと言い続けて何とか乗り切りました。

──負けてたまるか、とは誰に?
野口 自分です。誰かに負けても構わないんです、実力の差は当たり前ですから。でも、このレース中はここまでやってきたものを、たった42kmの我慢もできなくて放り出してしまったら、そういう自分だったら、絶対に負けちゃいけないなと思いました。自分に負けちゃったら、もう残っているものは何ひとつありませんから。

 身長150cm、体重40kgはテレビの画面で見るよりもはるかに小さく、華奢である。レースを終え、競技場からホテルに戻ってパーティーに出席した野口と短い時間、こんな立ち話をした。
 小柄で、華奢でまだ24歳で、流行のローライズジーンズにTシャツ、腰の低い位置で太いベルト。パーティー用の靴まで気が回らず忘れてしまった減点をのぞけば、お洒落もほぼ完璧である。
 しかし、笑顔をふりまく彼女の口から出て来るのは、「負けてたまるか」という実にアンバランスな言葉で、彼女のマラソンランナーとしての資質が、小柄でもダイナミックなフォームであるとか、トラックのスピードであるといったもの以外の場所に潜んでいることが理解できるように思う。

 このホームページにも一度書いたことがある。野口は、当時はワコール(京都)陸上部監督だった藤田信之氏の指導を仰ぐために三重県の宇治山田高校からワコールへ入社した。しかしその直後、藤田監督と会社側の意見の食い違いから監督が退社することになる。指導を受ける前に監督が去ることになり、野口は悩んだ。会社は当然、まだ18歳の女の子の将来を憂いて「残って陸上を続けるよう」に話をし、周囲もそう思った。
 しかし野口はこの時最初の「負けてたまるか」を実行に移す。
「監督の指導を受けるために来たんですから、初志貫徹で。入ってすぐのことでしたから、苦労なんて思わなかった。反対に陸上が好きなんだなあって思えました」
 退社し、監督の行き先がどう決まらない間も練習を続け、一方では失職し、将来は全くわからない。京都・西陣の「ハローワーク」に通い、一間のアパートで共同生活をして、そういえば自炊に「もったいないから野菜の皮は全部きんぴらにしてます」などと教えてくれたこともある。野口はこれらを、笑顔を絶やさずに話す、そういう女性だ。
 99年から監督とグローバリーに移籍をしたが、恵まれた長距離界にあって職業安定所に通いながら走り続けた選手であることは、マラソンランナーとしての彼女の根に、距離以上の栄養を与え続けている。希望に胸を膨らませて入社し、いきなり途方に暮れた日々を思えば、この日のレース中の「負けてたまるか」は遥かに楽に乗り越えられたはずだ。

 現時点で日本の女子マラソンのとてつもない底辺の広さ、潜在能力を結果的に示したこの日の大阪で、驚くのはタイムではなくて、野口、千葉と、まだ20代中盤の若い選手たちのレースにかけた意欲だった。世界陸上、オリンピックへの憧れの形ともいえるかもしれない。練習を見ていると、21分の結果そのものにはそれほど大きな驚きはない。むしろ、誰にでも立てられるレベルとなった机上の計算が、なぜ現実となるかを考えてしまう。
 このレースでいえば、26分を切って日本人1位が、パリ世界選手権の代表内定ラインならば、そこそこのペースで集団にいればチャンスは回ってくる。
 しかし、リスクのない、チャレンジしない25分では決して良しとはしない「何か」が、野口、坂本、千葉3人が21分台をマークする歴史的ともいえる快挙を生んだのだろう。

 千葉も、事情は違うが陸上を諦めかけ、そして「負けてたまるか」を実行した。
 旭化成を退社し、マラソンを走りたくて行く先を探す。食べることにも消極的になってエネルギーが取れないような時期もあった。相次ぐ故障と将来への不安が大きくなる中、小出監督に指導を仰ぐことになる。それでも、「マラソンランナーとしては筋力がない」と小出監督が嘆くほど、華奢な体ではなかなか結果が出ない。高橋尚子のパートナーとして練習は増えていったが、不調に終わった昨年のシカゴの後、監督と1対1での話し合いを自ら申し入れて、「もし大阪がダメだったら、これで本当に陸上を辞められる」と話している。
「今日がダメなら辞めるつもりで、自分の今もっている力すべてを、とにかく少しも残さずに出そうと思って走りました。今は、陸上だけに、走ることだけに専念できる環境と時間をもらっていて、だからこそ、手は抜けないって思ってます」
 会見で笑顔とジョークを振りまきながら話す一方では、本当の引退をかけてこのレースに臨んでいる。彼女にもまた、不思議な「アンバランスさ」が備わっているようだ。まだ26歳、97年以来の世界陸上6年ぶりに復帰となれば、まるでこの日、40km過ぎて2位に浮上した彼女のレースそのものである。

 世界陸上に残る選考レースは3月の名古屋となる。東京の松岡、大阪の野口に対して、名古屋で一気にアテネを狙おうとする渋井陽子が出場する。現時点で名実ともに日本女子マラソン界の若手No.1である渋井が見せる、「負けてたまるか」の中身がどんなものなのか、早く見たい。



読者のみなさまへ
スポーツライブラリー建設へのご協力のお願い


BEFORE LATEST NEXT