10月11日

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総合

第14回アジア競技大会(2002/釜山)
第13日
(韓国・釜山)

「とても静か、じゃない朝の風景」

 宿泊しているホテルは、海岸沿いにあり、絶好のジョギングコースが長く伸びています。以前にもお話しましたが、私は団体競技出身者なので、どうにもこうにも「一人で頑張る」という作業ができません。ですから、走るなんていうのもほとんど不可能な行為なのですが、そこは「誰かと一緒」なら早起きも何とかできてしまう、実に「他力本願」なスポーツ愛好家です。
 早大競走部で箱根駅伝6区(山下り)も走っている読売新聞の近藤記者が隣のホテルに宿泊していることを聞き、「近ちゃん、あした何時?」と、彼と待ち合わせをさせてもらい、こちらに来てから毎日走っています。近藤記者は、2時間40分でマラソンを走る超スーパーエリートですから、一緒に走るのは1.5kmほどで、後は岬沿いに設けられた1周約1キロのコースを別々に走っています。はっきり言って、あののどかな公園では浮いてます。早過ぎます、1キロ4分ですから。
 午前7時頃、ちょうど朝陽が上る時間には、ちょっと信じられないほど多くの人々が、この公園の中を歩いたり、走ったりしています。今、韓国では、ジョッギング、ウォーキング、インラインスケートといった気軽に外で楽しめるスポーツが大人気なのだそうです。
 朝陽の昇る時間、人々が健康のために歩く海沿いの公園……。皆さん、静寂をイメージされるでしょう。ところが、これが、全然静かじゃないのです。
 走っていると、絶叫が聞こえます。夜が明ける頃になると、フェンス際に人々が並んで、朝陽に向かって、これは健康呼吸法なんだそうですが、腹の底から大きな声を出します。美しい朝焼けと日の出にうっとりして走っていると、突然、「ウォー!!!!」と聞こえ、何事だと思えば、おじいさん、おばあさんたちが声を張り上げています。
 歩いている人の数が圧倒的なのですが、おばさんのグループなどは五列横隊、横に広がりコースをふさぐような形でとにかくお喋りしまくっています。体操をするグループもあるのですが、みんな格好は決まっているんですが、ベンチに腰掛けてずーっと話し込んで、いつの間にか解散しています。
 歩きながら体操を組み合わせるというのも、こちらの「定番」のようです。
 コース上で、歩いていた人がいきなり何の前ぶれもなく、周囲を確認もせずに腕をバっと広げて体操をするもんですから、一度は厳しいボディブローに見回れました。コース途中には、ちゃっかり売店があって、水やスポーツドリンクだけではなくて、イカや乾し貝柱なんか売っているんです、朝のジョギングコースですよ。
 いやー、日本や欧州の朝の公園の風景とは、一味も、ふた味も、いや全然違っているんでおかしくておかしくて仕方ありません。「朝練」状態で快調に飛ばす近藤記者に何度も抜かれながら、私は笑っています。
 彼らジョギング、ウォーキング愛好家がアジア大会に熱狂するのは、きっと、マラソンの日になるのでしょう。


「粘り強さということ」

 さて11日、男女マラソン4人の代表が全員釜山入りしました。
 男子は武井隆次(エスビー食品)と、清水康次(NTT西日本)、女子は弘山晴美(資生堂)と大南博美(UFJ銀行)です。今大会は、これが来年のパリ世界陸上の選考にもなり、さらにそのパリがアテネ五輪への最初の選考会になるわけですから、アジア大会というドメスティックな響きとは全く違った緊張感や重みを彼らは感じていると思います。

「早稲田3羽ガラス」などと、箱根を沸かせた、同い年の武井、櫛部静二、花田勝彦の3ランナーはみなさんもご存知だと思います。将来は指導する瀬古監督を超える逸材とされた彼らも、もう31歳です。櫛部はすでに指導者としても活躍していて、花田はどちらかといえばトラックランナーとして、そして武井は今年のびわ湖で2時間8分35秒をマークし、意外にも、シニアでははじめての代表入りを果たしています。
「ほぼ思っていた通りの練習ができたと思います。流れにうまく乗りたい」
「遅咲きの」、しかしマラソンならばこれからこそ脂がのる時期を迎えるランナーは、今回で「次の代表」、世界選手権を狙っています。
 清水は、今年、NTT西日本で陸上部が廃部され、代表になっていたために一時身分が宙ぶらりんになりかけました。NTTというのは儲かっているのかと思っていたら、違うのでしょうか。陸上部を潰してしまい、ほかの選手は同好会として、清水は「シンボル選手制度」というシステムで、会社からアジア大会までの特例援助を受けて出場するランナーです。契約の更新は、今回の成績にかかると、本人は話しています。
「すべて一人でやらなければならないので」と、過去2度の世界陸上にも出場した32歳のベテランは言います。
「夏場、広島(地元)で練習するにも、距離走の際には給水もできず(誰もいないので)とても辛かった。仕方ないので、公園に飛び込んで、水飲み場でザーっと水を浴びて、また走り出したなんてこともありました」
 奥さんは、元女子長距離トップ選手の麓みどりさんですから、身重ながらタイムを取ったり、給水を手伝ったり、色々と助けてもらってきた、と清水は同行している奥さんを見つめていました。
 大南は、今回のために80日を高地トレーニングに費やすという、まず例のないトレーニングにチャレンジしてきたそうです。80日のうちボルダー(米国コロラド州、標高1600m)にいたのはわずか10日で、あとの70日を標高2400メートル地点を拠点に、最高で、高橋尚子も上がっていないであろう、標高4300メートルまで行って、ジョッギングを経験したんだそうです。走行距離は最も多い時期で、1か月1200キロ。未知の、とてつもない練習量ですね。
 これだけの高地練習の反動は当然起きます。一時は疲労がひどく、全く調整ができない、とまで心配される程コンディションを崩したのですが、この日、空港についた大南の顔は晴れやかで、マスコミに囲まれても、少しも躊躇しませんでした。大体、選手は調子が悪い時には、逃げてしまうものです。
「今までの練習以上に、苦しいことが一杯あったんですが、それを乗り越えて練習できたことは自信になったと思います。絶対金メダルを取りたいです」
 笑顔でそう話していました。
 弘山も、今回はボルダーで帯状疱疹になり、苦しい1か月だったと思います。帯状疱疹は激痛を伴うものですから、症状を聞いたり、見ている私のほうが、「無理しないで(今回は)辞めたら?」などと先にギブアップしてしまいました。帰国してからは、30〜40キロの距離走も恐らくボロボロの状態だったでしょうし、2週間前の函館のハーフマラソンも「ひどかった」と本人が言うほどですから、よほどの惨敗だったでしょう。
「ここまで来られてほっとしています」
 大南同様、空港で報道陣に囲まれても少しも逃げず、後ずさりしなかった弘山はそう言いました。彼女の穏やかな、良い表情を見て、なぜかこちらも「ホッと」しました。
「不安といえば不安だらけでしたが、今回は優勝したいです」
 トラックの豊富なキャリアに比較すればまだ浅い、5本目のマラソンで初優勝を狙っています。

 この日空港で4人の話を聞きながら、今回のアジア大会代表にはどこか共通する「粘り」があるように思いました。明日からどうやって競技を続ければいいのかというドン底の競技生活、走っても走っても結果がついてこないドン底。体調を崩し、レースがかすむようなドン底。けれどもギブアップしなかったから、この日空港で皆それぞれ晴れやかな表情で会見ができるのでしょう。
 ランナーの毎日は、ひどく浮き沈みの激しいものです。タイムが出ない、思うように体が動かない、気持ちも沈んで自信を失う、フォームが変る、そして怪我。こうしたわずかなズレを、本人、周囲が見過ごすことなく、日々を紡いでいかねば、マラソン以前に横たわっている何万キロの距離を走破できないのです。42キロは最後のご褒美みたいなものです。
 女子のレースは13日、現時点で13人がエントリーしており、男子のレースは15日、現時点で15人がエントリーをしています。女子は日本の2人と中国、北朝鮮がメダルを争い、男子は、日本でも知られる李鳳柱(韓国)を中心にレースが動くはずです。
 9月には高橋尚子がベルリンマラソンで連覇を飾り、女子マラソンと同じ13日にはシカゴマラソンで渋井陽子(三井住友海上)が高橋の日本最高更新を狙っています。海外賞金レースに比較すると、10人ほどで行なわれるアジア大会は、なんとも地味です。けれども、同じ距離で同じ時間が、賭けて来たものが争われるのだとすれば、味のあるレースになるのではないかと思っています。

 釜山合宿4日目、私は近藤記者と朝陽の見える海岸で、明日も6時半に「待ち合わせ」(エリートランナーにこんな単語を使うこと自体、近藤記者には迷惑だと思いますが)します。静かじゃない朝の風景の中、自分なりにちょっと粘ってみようかと思っています。ボディブローには注意しながら。



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