9月29日

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陸上

現地レポート!
ベルリンマラソン2002

(ドイツ・ベルリン)
29日午前9時=日本時間午後
男女同時スタート、周回コース
天候:曇ときどき晴れ、気温:12度、西の風1メートル

■ベルリンマラソン2002
 女子フルマラソン結果
(記録は速報値)
順位 選手 記録
1 高橋尚子(積水化学) 02:21:48
2 フェルナンデス(メキシコ) 02:24:10
3 キムタイ(ケニア) 02:26:10
 昨年2時間19分46秒の当時世界最高を樹立して優勝した高橋尚子(積水化学)が、1年ぶりのレースに挑み、体調が思わしくない中、2時間21分49秒と、自己3番目の好記録をマークして連覇を果たした。
 高橋は前半、このレースで2時間20分台突破を狙うとしていたフェルナンデス(メキシコ)をマークし、集団の中で我慢のレースに終始した。8月に右ふくらはぎを2度痛めていたため、約10日練習を休んだことから筋力が低下、ストライドも若干短くなるなどから、「慎重に、確実にレースに勝つことだけを考えた」と、必勝パターンを展開。25キロまでは、フェルナンデスのペースメーカーにリードをさせ、自らは消耗を最小限に食い止めてから、25キロ、一気に飛び出した。
 その後は、差が開くばかりとなり、30キロからは左足の血豆に苦しみながら2時間21分49秒をマークして、ベルリンマラソン連覇、マラソンのキャリア7戦目にして6連勝の圧倒的な強さを見せつけた。
 なお、日本の男子では松田和宏(佐川急便)が2時間10分31秒で6位が最高だった。また男子優勝はケニアのキプコエチで2時間6分47秒。女子2位となったフェルナンデスは2時間24分11秒だった。

小出義雄監督「前半は絶対に飛ばすな、ストライドが小さいとき、貧血があったときなどは、後半脚がパタパタするから、と話していたら、ぴったりその通りの展開で勝った。25キロからは一気に開いてしまったので、(フェルナンデスとは)力の差があったと思う。今回は、10キロをやっても2分くらい遅くて本当は心配もあったが、昨日あたりから調子がグーッと上がってきて、それまでの倍以上のコンディションになった。Qちゃんには、負けたら監督のせいですよ、と言われたが、まさにその通りで、メニューをすべて変えて対応した。コンディションは、3日前、4日前、レーススタート直後、すべて最高になるようにやるものだ。もし完璧な状態だったら、2時間17分50秒は出たんじゃないか。頭の5キロから16分10くらいでガンガン勝負できたはず。これからは、アテネに向けて、40キロの中で2度ほど5キロで15分台を刻めるようにしなければ連覇できないと思っている。女子は、間違いなく2時間14分でいける。(冗談でしょう、と聞かれ)俺は本気で言ってるんだって。間違いなく、計算ならば14分台に入れるんだよ。僕らは間違いなく、最悪のことばかり考えて仕事をしてるから、ビールでも飲まないと眠れないんだよ。体に悪い(笑)」

高橋尚子(レース後の会見より要旨抜粋)「ここに来て10キロを走ったら、シドニーの前と比べても2分も悪くて、本当にどうしようかと思ったほどでした。確実に行こうとレースの作戦を立てて、それがうまくできたんじゃないかと思う。(シドニー五輪の選考会となった)名古屋のこと(不調でスタートした)があって、今回も悩んだけれど、これ以上は下がることがないだろうとも考えられた。最後にいろいろあったけれど、その中で21分49秒が出せたというのは本当に嬉しかったし、最低ラインがここだというのは、自分にとって大きな収穫にできたと思います。
 左の足の裏に、血豆ができていて、30キロくらいからですか、ちょっと痛かった。でもこれが原因とかいう話ではないので、また事前にいい準備をして臨めるようにしたいと思います。
 25キロくらいから体が動いてきたので、慎重に行ったけれど、思い切って飛び出しました。勝つことに集中したレースです。
(50日ほどで東京国際ですが、と聞かれ)練習期間の短い中で、ベルリンを走らせてもらい、タイムが出なかったことはみなさんに申し訳ない気持ちでいっぱいです。でも次のマラソンも考えているので、精一杯がんばりたいと思っています。世界陸上の選考レースでもあり、切符を手にするかどうかがかかっている大事なレースになります。
 記録が無理なことは走りながらわかっていました。体調がよくなかったので……。でも、練習を本格的に監督と始めた7月半ばから2か月、どれだけ走れるか、怪我も不調も体験して、21分49秒は本当に意味があったと思いますし、まだまだ上を目指していける自信というか、アテネへまだまだ行けると思うことができました」

■ベルリンマラソン2002 高橋尚子選手の5キロごとの通過タイムとラップ(速報値)
  5km 10km 15km 20km (中間) 25km 30km 35km 40km 記録
通過
タイム
0:16:33 0:33:26 0:50:07 1:06:58 1:10:36 1:23:36 1:40:23 1:57:21 2:14:15 2:21:48
ラップ  
0:16:53 0:16:41 0:16:51 --- 0:16:38 0:16:47 0:16:58 0:16:54 0:07:33
参考:昨年のタイム
通過
タイム
0:16:44 0:33:08 0:49:30 1:06:09 1:09:48 1:22:28 1:38:59 1:55:27 2:12:09 2:19:46
ラップ  
0:16:24 0:16:22 0:16:39 --- 0:16:19 0:16:31 0:16:28 0:16:42 0:07:37


「8割5分7厘」

 2度にわたるふくらはぎ痛、貧血による体調不良、30歳、疲労回復の困難という未知となる年齢の壁、すべてを乗り越えるために高橋が選択したのは「慎重な」レースだった。
 スタート直後、3分20秒で押せると自信をのぞかせていたフェルナンデスのスピードが少しもあがらないことを、高橋はしっかりと見ていたはずだ。しかし、フェルナンデスに記録を作らせようとするペースメーカー2人は、かなり無理な速度でスタートして、不調が判明したフェルナンデスを引っ張る。
 高橋は冷静だった。
 ここで置いていくこともできたが、味方同士で十分に消耗をさせ、ハーフで様子をうかがい、25キロ、得意のポジションに入って一気に先頭に踊り出ると、そのままフェルナンデスとペースメーカー2人を置き去りにしてしまった。
 本人は苦しかったはずだが、最悪の中でこそわかった「底力」が、アテネへのスタートラインに高橋を立たせる結果となった。

 2000年名古屋の際よりもさらに不安だったという。年齢の壁、疲労回復が思うように進まないことに苛立ったこともある。朝練習をバロメーターとしても、調子があがる実感がない。どこへどう向かっているのかがわからず「心配です」ともらしたことも何度もあったと、周囲は打ち明ける。
 しかし、逆境を、高橋はアテネへ向けてのプラスに換えようとしたという。
「これほどの最低ラインで優勝と21分台をマークできたことは、本当に大きな意味があった。走ってよかったと思いました」
 これで7戦6勝、国際大会でしかも五輪を挟んでの連勝となると過去、女子では例がないものだ。勝率8割5分とは、恐ろしいほどの数字である。

 高橋がこのレースで得たのは、自己3番目の記録でも、タイトルでも、賞金でもなく、たとえどこまで追い込まれたとしてもアテネのスタートラインに立てるというリスクマネージメントへのマニュアルと、五輪連覇が夢ではないとする確信である。アテネへの、この上なく力強い1歩だった。そして、アジア大会でマラソンに出場する弘山晴美、大南博美、シカゴで日本最高を狙う渋井陽子ら、アテネを狙うランナーの闘志にも火をつけたはずだ。

 49日後、今度は来年のパリ世界選手権を目指して、東京国際マラソン(11月17日)をキャリアで初めて走る。



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