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※無断転載を一切禁じます ☆★☆ Special Column 〜 from England ☆★☆ 稲本潤一(フルハム)がピッチに立った瞬間、彼の昨年を知る誰もが、喜びと同時にほっとしたのではないだろうか。拍手と同時に、大きなため息をついたのではないだろうか。 「プレミアで出ることを目標にずっとやってきて、去年はアーセナルで練習をしても出ることができなかった。こういう形でもシーズン最初の試合で出ることができて、何よりもイギリスの人に自分のプレーを観てもらえたことがうれしい。こういう使われ方(途中出場)をすることが多いのかもしれないけれど、自分の持ち味を出せる90分でのプレーができるようにアピールをしたい」 稲本は試合後の会見で、落ち着いたようすでそう話した。少し前、ティガナ監督は会見で「稲本は進歩の途中にあり、(今日のプレーにも)満足をしている。次のゲームではおそらくスタメンで起用することもできるだろう」と、24日、アウェーのミドルスブラ戦先発起用の可能性も示唆していた。 気温が30度を越え、しかも3−1と大量リードを奪った時点での起用を、監督は「彼にとって難しい状況だった」と説明したが、稲本にしてみれば、プレーできる喜びに勝る困難などなかったはずである。 「プレミアリーグ初の日本人プレーヤー」などという表現も、これだけ多くの選手が海外でプレーする今、古臭い気がするが、それでも、これが昨年、思いを果たすことのできなかった2人の、2年分の思いの結果だと思うと感慨が湧く。 昨年12月、ボルトンに西澤を取材に行った際、彼から聞いた話は、シャイな彼らしく、また若い稲本を思う優しさにあふれていた。どちらが先に出るかなど当人たちにとってどうでもいいことであっても、注目されるのはその点だけだった時期も長かった。
「2年分、2人分」
「得点に絡めたことがうれしい」と話したように、4点目の起点となる左サイドからの突破に挑み、ピンチを救う果敢な守備を見せ、2本の連携ミスもあり、すべてをやり尽くした途中出場だった。
稲本がプレーをするのを見ながら、西澤明訓(C大阪)のことを思った。日本人初のリーグプレーヤーが誕生したゲームは、昨年、西澤が在籍したボルトンが対戦相手であったことは、不思議なめぐり合わせである。
日本人初のタイトルは稲本が永遠に担うことになった。しかし、圧倒的に苦戦する黄色のボルトンのユニホームを見ながら、試合中、もしかすると西澤こそ、喜んでいるのではないか、そう思った。
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