3月30日

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★☆★ Special Column ★☆★
「茂みのパスポート」

 本人の名誉にかけて、名前を出すことは伏せることにする。
 ポーランド戦の日、ごった返すプレスルームである記者の荷物がなくなった。日本からだけでも200人近い記者がいて、地元の記者がいて関係者がいる。誰かかが届けているかもしれないし盗難と決め付けることはできない。いずれにしても原因は本人の不注意である。これだけ海外出張をこなし、しかもかなり厳しい日程の中で移動している「海外旅行かなりの上級者」でもこんな目に遭う。

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「鞄がない」と彼が言ったとき、傍にいた者たちも慌てた。慌てて、もう照明の消えた真っ暗なスタジアムに走って、彼の鞄や、何か抜け落ちていないかを捜しまわった。不便な場所でタクシーに乗り込もうとしていたほかの会社の記者たちもUターンして加わって、8人でプレスルーム中の机の下や、ボールが詰まれた体育館の倉庫、言葉の通じない管理者相手に、ロッカーや事務所まで。
「この辺にボコっと捨てられているのが相場ですけどね」
「カードなんて、止めればただのプラスチックだからさ」
「パソコンを入れていたのは確信犯じゃないか(原稿を書けないので)」
「長くイタリアにいて、やっと帰れると思ったらこれだもん。まだ残れっていう神の声じゃない」
 などと、野次はかなり飛んでいたものの、とにかく探し回った。
 本人には申し訳ないが、ふと、あることを思い出した。
 子供の頃、野球をやり、みんなでボールを捜したことだ。茂みにボールが入ると、みんなで捜した時の気持ちだ。見つからないとボールが一定数より減ってしまうから、必死である。
 時間の経過とともに、性格も出る。すぐに諦めて帰ってしまう子、捜してないヤツ、時間を決めて捜す子。誰のトンネルのせいだ、とか、だれがファール打つからだ、と人のせいにするヤツ。私はいつも最後まで捜しているタイプだった。見つからないことにイライラして何より嫌だったのと、楽しかったから。そして、私より野球は下手だったが、必ず最後まで一緒に探してくれる男の子を、私は密かに尊敬していた。
 この晩、誰かの荷物がなくなって、大の大人がみんなで暗闇を探し回ったことは、なぜか楽しかった。
 子供の頃と違うのは、誰も途中で帰らなかったこと。無ければどうするか、対処の仕方を知っていたことだった。
 手分けして警察を調べ、大使館は協会の協力で、たまたま代表の試合を観戦にいらしていた外交官の力をすぐに借りることができた。カードを止めたり、「あと何するんだっけ」と海外出張での「豊富な負の経験」から、誰もが素早く反応した。
 茂みに転がったボールは出てくるものだが、こちらは結局出てこなかった。彼と私は試合後、一緒にウッジから約2時間半、ワルシャワへタクシーで移動してスズメの涙ほどの睡眠時間を稼ごうと思ったが、それも果たせなかった。本人には悪いが、それでも少しも嫌な気持ちがしなかった。むしろ、楽しかった。なぜだろうとずっと考えていた。
 8人一緒にものを捜すなんて、しかも2度といけないような場所で。中田英寿選手のようなキレキレのサッカーとは無縁だったが、私が愛するチームスポーツの後の気持ちだけは十分に味わったからだったような気がする。彼が失ったものはとてつもなく大きかったが、彼のチョンボのお陰で自分への「土産」ができた。

 29日みな無事に帰国し、互いに連絡を取り合って笑い、欧州脱出に成功しつつあった本人からも国際電話があった。
「皆さんに感謝しました。自分の不注意なのに、本当に嬉しかったです」
 御礼は、言葉よりも行動で。お待ちしよう。



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