2月23日

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サッカー

2002ゼロックススーパーカップ
鹿島アントラーズ×清水エスパルス

(東京・国立霞ヶ丘競技場)
キックオフ:14時48分、観衆:34,576人
天候:曇り、気温:15.6度、湿度:20%

鹿島
(2001Jリーグチャンピオン)
清水
  (第81回天皇杯優勝)
1 前半 0 前半 0 1
後半 1 後半 1
67分:本山雅志

横山貴之:89分

●PK戦の経過(※先攻は鹿島)
鹿島
清水
ファビアーノ 1st 戸田和幸
本田泰人 2nd 市川大祐
秋田 豊 × 3rd バロン
小笠原満男 4th × 平松康平
名良橋 晃 5th 三都主アレサンドロ
池内友彦 × 6th 池田昇平


取材・文/松山 仁

 Jリーグ開幕まで1週間となり、今季を占う上で重要な一戦、2002ゼロックススーパーカップがこの日、行われた。前半は、両者とも、アジアクラブ選手権(鹿島)、アジアウイナーズ杯(清水)と連戦の疲労から互いに動きに精彩を欠いて0−0で前半を追えた。
 後半22分清水のGK黒河貴矢は、走り込んできた本山と交錯。これを ファールだと勘違いしてセルフジャッジし、一度キャッチしたボールをアウトプレーとしてグラウンドに置いた瞬間、真横にいた本山雅志にさらわれ、無人のゴールにシュートを決められ先制されてしまった。
 その後、清水は試合のペースをつかめず進み、そのまま試合終了かと思われたが、ロスタイムに右サイドを市川大祐が積極的に突破しようとしたところで中田浩二のファールを誘う。このプレーで中田はこの日2枚目のイエローカードを受け退場となってしまった。このフリーキックを、故障上がりで先発出場を志願した三都主アレサンドロが、ニアサイドにポジションを取った横山貴之に絶好のボールを上げる。これを横山が決めて、清水は土壇場で同点に追いついた。 試合規定により延長はなく、そのままPK戦となり、鹿島の6人目、途中出場の池内友彦が外し、清水は池田昇平が落ち着いて決め、鹿島を振り切り2回目の優勝を決めた。

本山雅志「アジアクラブ選手権の疲れはもちろんあったけれども、ホイッスルが鳴れば相手もいるので、そんなことは言ってられません。全力で戦いました。どんな形であれ、先制点がいい時間帯に取れたので、これはいけると思ったけれども、最後の最後でやられてしまいましたね。あのゴールは、相手のGK(黒河)がファールだと勘違いしてボールを置いてしまったんでしょうけれども、笛は鳴っていなかったからプレーを続けました。(今年から10番を背負うことについて聞かれて)まだ、僕が10番として出て、チームが勝っていないから、ぜひ勝ちたいですね。今まではサイドでのプレーが多かったけれども、今年は中盤でのプレーや、守備もきちんとできるポジショニングを意識していかなないといけない。それに、常にボールが回ってくるわけではないので、そのへんも我慢しないと。今日は自分としてもボールが足についていない場面が多かったし、チームとしてもいいサッカーができませんでした」

試合データ
鹿島   清水
10 シュート 5
6 GK 14
3 CK 1
23 直接FK 24
2 間接FK 3
0 PK 0
鈴木隆行
「今日は調子はよかったし、全体的にはやれるという手ごたえをつかめたけれども、FWとして一番大事な仕事をできなかった。チームとしては内容的にはいい試合ができたのに、僕だけ責任を果たしていない。FWとしてやっているわけだから、ああいう決定的な場面で決められなければ(後半24分、中田浩二からのセンタリングを、フリーでヘディングしながら外したことを指す)、プロとしては駄目ですね。これは重く受け止めていかないといけない。実際、決めていれば2点差がついていたわけで、展開も全然違っていたと思う。とにかく、今日は自分だけが仕事をしていないと感じています」


「すべてのプレーが最後のワンタッチ」

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 試合終了直前のフリーキックで、同点ゴールを演出した三都主は、90分を通してパス、ドリブル、シュートすべてにおいて「これが最後のワンタッチ」だと思ってプレーしたという。2月1日、練習中に左股関節を痛めて以来、初の実戦だった。27日に行われる代表の紅白戦のことを考えれば、万全ではない状態で出場するよりは、大事をとって欠場、あるいは途中出場という選択肢もあっただが、あえて先発を志願し、フル出場を果たした。

「試合前には少し違和感がありました。でも、だからといって出場するからには力をセーブしようとは考えなかった。笛が鳴ってからは、痛みも感じなかったし全力でプレーできた。もう大丈夫です」

 後半は、鹿島にボールを支配される時間帯が徐々に長くなったが、決してあせることはなかった。後半22分、先制点を奪われたあとは、ゼムノビッチ監督の指示で本来の左サイドからトップ下に入り、チームを鼓舞し続けた。

「負けていたし、何よりもセカンドボールが拾えていなかったので、もっと上げろとみんなに言い続けました。ちょっと厳しくいい過ぎたかもしれないけど」

 ロスタイムにまわってきた、右サイドでのフリーキック。ニアサイドをめがけて蹴ったボールは、思い通りの軌道、強さで平松康平の頭に合った。正真正銘、ロスタイムでの「最後のワンタッチ」で決めたアシストは、今季のJリーグに、そして日本代表への滑り込みにかけた三都主の、研ぎ澄まされた集中力を象徴していたのかもしれない。


Special Column 〜SALTLAKE 2002〜
数字の独り言(9)

「0コンマの繊細と大胆」

 これまで何度か、それがいかに偉大なチャレンジであるかを書いてはきた。しかし、スピードスケートの白幡圭史(28歳、コクド)が1万メートルで過去史上最高となる4位に入賞したレース(13分20秒40、自己記録にはわずか0秒48及ばず)を見ながら、その偉大さは十分に伝わることが難しいのではないかと思う。168センチの体で、2メートル近いオランダの大男たちに伍さなくてはならない。それだけでも、いかに「不利な」戦いになるのかがわかる。
 清水や里谷のメダル獲得とは違い、その評価も価値もわかりにくい。しかし、今大会の日本勢が苦しんでいる、アイディアや発想の壁を打ち破って行くためのひとつの成功例としてなら、白幡の4位こそ、今大会の重要なハイライトともいえるのではないか。

 1万メートルを滑るために、陸上でもスケートでもおそらくもっとも重要な点は、「ペース」の構築にある。陸上の場合は、他人との接触や駆け引きもあるが、スピードスケートでは徹底的に時計との戦いとなる。25周をどうまとめるかの戦略を、白幡はこんなふうに話していた。
「1周のラップをいかにまとめるかです。ただし、平均をとるのではなくて、攻めて行く、そういうスケートをしたいんです」
 この日も、序盤を32秒台に抑えて(テレビの画面によれば)後半に入る手前から、少しずつ31秒に上げる。すでにこの時点で、外国選手とはまったく違ったラップの刻み方をしている。最初に安定ペースを築いて、それを維持するか、もしくは、高い地点からいかに下がる幅を抑えるかといった発想ではなく、後半に25周のもっとも苦しいところにポイントを置いた。後半になって30秒台まで「上げる」ことができたのは、このレースでも白幡一人だった。

 長野で7位となってからの4年は、この考えのもとにフォームを築き、ひたすら「攻めるスケート」に挑み続けた。1週を0コンマの差異で刻むラップの繊細さ、それを体感し、さらにペースを上げて行く大胆さは、小気味よい。
 銀メダルを獲得したロメが長野五輪でこんな話をしてくれたことを思い出す。
「オランダのような長距離大国にとってさえ、シラハタは脅威のスケーターだ。みな彼の精密さに目を見張り、そのテクニックを知りたいと思う。セイコーの時計以上だなどと完璧な正確さを表現する。ぼくが彼の身長なら、間違いなく、長距離は選ばないだろう。」
 この日も、白幡の記録に、オランダの応援席から非常に大きな拍手と歓声が沸いていた。
 大会もあと1日。発想の革新という冬季種目の真髄を、白幡は168センチの体で一杯一杯に表現したのではないだろうか。

■スピードスケート 男子10000メートル 結果
(2月22日=現地時間)
順位 選 手 タイム
1 ヨヘム・アイトデハーゲ(オランダ) 12分58秒92
2 ジャンニ・ロメ(オランダ) 13分10秒03
3 ラッセ・サトレ(ノルウェー) 13分16秒92

4 白幡圭史(コクド) 13分20秒40
11 糸川敏彦(コクド) 13分31秒96
※アイトデハーゲのタイムは世界新記録



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