2月16日

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Special Column 〜SALTLAKE 2002〜
数字の独り言(5)

「正義の6グラム」

 薬物違反でメダルが剥奪されたために、2つの金メダルがひとつの競技に準備されたことは過去には例がある。しかし、フィギュアスケートペアで起きたことは、救いようのない汚点として、改革を推し進めるはずだった五輪の歴史に留まるに違いない。
 ペアの、サレー・ペルティエ組(カナダ)がノーミス、完璧な演技でフリーを終了したにもかかわらず、ロシアのベレズナヤ・シハルリゼ組が金メダルを獲得。採点が明らかに公平性を欠いたという印象から、北米の報道が一気にヒートアップした。13日には、ISU(国際スケート連盟)に対してカナダの選手団が公式的な調査を依頼し、さらに14日には、日本では競泳の千葉すず選手が代表選考をめぐる調停を申し立てた際に知られることになったCAS(スポーツ仲裁裁判所)に提訴。国際スケート連盟は、14日にペアの採点を行ったフランスの審判員に違法行為があったことを確認し、審判の視覚停止処分を決めると同時に、カナダに金メダルを授与(ロシアは剥奪されない)することを決めた。
 これが経緯である。

 フィギュアの審判は9人。今回は、ロシア組を1位としたのが、ロシア、ウクライナ、中国、ポーランド、そして処分されたフランスと5か国。カナダ組を1位にしたのが、カナダ、米国、ドイツ、日本と4か国だった。見事なほどに、旧西側と東側が、北米とロシアのフィギュアスケート2大勢力が、まっぷたつに分かれていた。本来ならば、踏み切りや着氷でミスがあれば「0.1点の減点」と定められている。しかし、今大会の審判の得点には、こうした基本からすでに疑問の声があがっていた。
 加点ではなくて、減点で行う採点は、正当性がより不透明になる面がある。
「採点競技に、特にフィギュアに公平さを求めるのはどうかしている。そもそも公平ならば、自国の選手の採点などできるはずもないし、では、仮に不当に高い点数が出たからといってそれを、おかしい、と返還するようなことがあるだろうか。それなら私は、かつて審判の不公平で勝ったことがある、と告白しなければならない」
 日本でも人気の高いスケーターで長野の銅メダリスト、キャンデロロ(フランス)は、地元でのインタビューにそう答えたという。キャンデロロが指摘しているのは、今回のスキャンダルの根本ではないかと思う。もし北米の国がトップに立ったとして、2位がアジアの国々だったら扱いはどうなっていただろう。それが「疑惑の判定だ」などと、北米のメディアは書きたてたのであろうか。ロシアペアは、金メダルには値しない演技だったのだろうか。

 最悪の問題は、判定を「覆した」ことにある。次に、採点競技の審判はフェアな審判できない、としてしまったことにある。採点で2組に金が行くようなことを容認してしまえば、フィギュアのスポーツとしての、競技としての良心を傷つけることになる。結局、主観は主観であって、採点には不正が生じることもある、誤りを是正するためには2つの金も異例であるが仕方ない、と自らで認めてしまったことは、今後も同類の話に、そうやって対応しなくてはならないであろう、最悪の前例を作ったことにもなる。すでに亡くなっているが、かつてこう教えてくれた日本の審判がいた。
「ジャッジがジャッジするのは、じつは選手でも演技でもなく、自らの心である」と。
 今回のスキャンダルは、こうした最後の良心も踏みにじってしまった。
 採点競技で優勝者を2人出したことは、不正などではなくて、スポーツ精神そのものへの冒涜ではないか。どんな圧力と、八百長にはどんな交渉がベースになっていたのか、これらを明確にし、セルフ・ジャッジすることだけが、審判団の唯一残された「ジャッジメント」になるはずだ。

 審判団、ISU、IOCのその場しのぎの対応に比較して、カナダ組のコメントも姿勢も印象的である。彼らがこだわったのは「セルフジャッジ」だった。
「欲しいのは金メダルではなかった。正義だった。ロシア組の金メダルの輝きと、私たちの金メダルの価値が同じだと思えるように努力したい」
 急いで準備されている金メダルは2日後に授与される段取りになっている。じつはIOC(国際オリンピック委員会)は、オリンピック憲章の中にはメダルの形状、質に至るまで詳細を定めている。
 こう記されている。
「金と銀は同じ銀製でなければならず、ともに純度は銀92.5%以上でなければならない。また1位は、少なくとも6グラムの純金メッキが施されていなくてはならない」
 つまり、金メダルと銀メダルの内容物はまったく同じもので、金メッキがあるかないか、だけが差異なのだ。カナダペアが今後手にするのは、彼らが手にした92.5%の純度を持った銀メダルに、6グラムの金メッキをほどこしたものである。
 彼らが主張したように、手にしたかったのは、金メッキわずかに6グラムの輝きではなかった。採点競技にかけている誇りと、それをスポーツとして愛して来た愛着と、正義を実現することに、彼らは難易度の高い技に挑むかのように、果敢に挑戦にしたのだ。
 6グラムのメッキより遥かに重みのある、首から再びかけるメダルの中身は、100%の純度を持った正義である。



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