1月28日

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★Special Column★

北海道の誇り、札幌のプライド、
何より日本スポーツ界の幸福

 1月28日、北海道は特に東側が低気圧に覆われ大変な荒れ模様の天気に見舞われていた。猛烈な吹雪に休校する学校も続出、道南の札幌でも朝から雪が降り続いた。
 そんな朝、JR札幌駅から近い株式会社土屋ホームでは、ある「社員」のソルトレーク五輪壮行会が行なわれていた。1メートルほど除雪された隙間から、「冬季オリンピック4回目出場、葛西選手壮行会、10時から本社大会議室8階にて」と書かれた立派な建て看板がのぞく。激しく降る雪に足元をふらつかせながら、街を歩く人たちもみな一瞬足を止め、看板をしばし見つめている。

 昨年9月、マイカルの倒産にともないクラブが廃部。五輪イヤーの開幕と同時に、所属先を失うという困難に直面した葛西紀明が、新しくクラブを作ってまで迎え入れてくれた土屋ホームの壮行会に出席すると教えられ、大阪国際女子マラソンを取材を終え関西空港から札幌に飛んだ。

 葛西は、先週行なわれた白馬でのW杯で8位に入賞。26日には、同札幌大会で個人戦3位と今季初めて表彰台に上がった。28日の団体戦では、オーストリアに差をつけられての2位と課題は依然残るものの、壮行会後の会見では「マテリアル、テクニカル、メンタル、どれも不安はない。あとはアプローチを若干調整するだけです。自信をもって五輪に挑みたい」と、溌剌とした表情で答えた。過去3回はどれも納得できる結果を残すことはできなかった。特に、4年前の長野五輪では、けがのためにメンバーを外れ、日本中が歓喜する金メダルの輪の中に入ることができなかった。今季もスロースタートとなったが、ここに来てゆっくりと、それは4回目の五輪に対するアプローチすべてを象徴するかのように、丁寧に、落ち着いて調子を上げているかのようだ。

 葛西にとって、マイカルの倒産は2度目の廃部であった。以前所属していた地崎工業も経営事情からスキー部を廃部せざるを得なくなった。いくら2度目の経験とはいえ、北海道経済の状況を思えば、さすがに今度ばかりは焦りもあったという。苦労や困難は選手によってそれぞれあるものだが、競技を続けられるかどうか、これが根幹から揺らぐこと以上の試練もないだろう。

「ここでこうして送り出していただけることは本当に最高の幸せです。2日間、札幌で競技をしましたが、声援が本当に多くて体に力が入ります。いつも張り切ってしまうんでむしろ力を抜き気味で行ったんですが、今日の壮行会といい、本当に感謝していますし、奮い立たされます。みなさんに応援してよかったと思っていただけるような結果を出したいと意欲がわいてます」

「エコノミスト」(毎日新聞社)という雑誌への寄稿のため、1月は葛西だけではなく、冬季でメダルが期待される選手たちと不況についての取材を続けていた。土屋ホームは現在の企業のスポーツに対する流れに逆行するように、葛西と、選手たちのためにクラブを新設し、全面的にバックアップをしている。北海道で、土屋ホームだけが特別に好景気だということではない。

 印象的なのは、クラブ新設までの「志」というものである。
 部長であり、札幌支店の支店長を兼務する木下義幸氏の話には胸を打たれた。氏は、マイカルが倒産した際、葛西の以前の所属先だった地崎とたまたま仕事をしており、「葛西どうすんだよ、2度目だな」とふともらしたという。その時、地崎の社員たちが、木下氏に葛西を何とかしてやってもらえないか、と頼んで来た。地崎は元々、葛西たちのために組合でクラブを持ってでもジャンプだけは残そうと検討したほどだった。社員の誰もが、葛西を、葛西のジャンプを愛し、誇りを抱き続けて来たのだ。

「私自身もアルペンですが、ずっとやっていましたから、後輩や何かで葛西のことを知ってはいました。あの時、こう思ったんです。ウインタースポーツとは、北海道の誇りじゃないか、そしてジャンプは札幌のプライドじゃないかって。葛西のジャンプを一度でも見た地元のもんは、みんなあのジャンプの美しさに感動するんです。世界中であれほど絶賛されるジャンプの持ち主を、お前、このまま終わらせていいわけないだろう。そう思ったら、エネルギーが沸いて来る気がしましたね。あとはもうあっという間に迎えていました」

 こんな時だからこそ、そういう経済的に明るさを取り戻す効果はあるだろう。しかし、スポーツに携わるものとして、「冬季競技を北海道の誇り、五輪で金、銀、銅を独占したジャンプをプライド」というような言葉に、心からの敬意を抱いた。

 その美しいジャンプは、札幌だけではなく世界中で知られている。世界のジャンパーがどんなに遠くに飛ぼうとも、飛型で得点を稼ぐジャンパーはそういない。葛西のV字ジャンプは、スキーが耳の真横にまで引き付けられ、まさに、スキーと人体が一体になったように映る。欧州でシーズンが始まると、このHPでも何度も紹介してきたが、彼のジャンプがスポーツ新聞などに大きく掲載されることがよくある。
 ニックネームの由来は不明であるが、とりあえず、「日本の美しい飛行物体」ということから「カミカゼ、カサイ」とキャプションが入る。
 あんなジャンプを一度でも見れば、誰でも虜になるはずだ。テレビではその迫力も、景色と見事に融合してまるで鳥が飛んでいるように見える自然との一体感もわかりにくい。しかし、大倉山や宮の森のジャンプ台であれを見た人々には、「あのジャンプを知る喜び」が生まれるのだと思う。日本にもすばらしいジャンパーは多い。しかし葛西のジャンプにはどこか違った「美学」がある。

 日本のスポーツ界には、世界的特許、ともいっていいような特別なテクニックが溢れている。そういう「特許」を持つことで、日本人は世界を伍してきた。葛西のジャンプのそのひとつである。
 表裏一体の面はある。しかし、日本スポーツ界が保有した「幸福」の、ひとつの形でもある。

 同じスポーツメディアで生活するのだが、なぜかテレビ局のインタビューで多用される質問には違和感がある。五輪、世界選手権になると彼らは必ずこう聞く。
「ズバリ、目標?は」
 この「ズバリ」、は一体何を意味するのか。金メダルと言ってくださいよ、目標はとにかく金でしょう、どこか押し付けがましい、そして失敬な感じが私はする。
「あのズバリ、の部分に何か秘められているんでしょうね。いつも思いますよ」
 この日も、葛西と笑った。
 ちなみに、もう4回もこんな質問を受けている葛西はズバリ、と聞かれても慌てず、ちゃんと「もちろん、みんな金メダルを狙っているわけです。僕にとっても小さい時からの夢なんで」と模範解答をしていてくれる。

 この日、300枚ものサインを書いている葛西に同席させてもらい、4回目の五輪に挑もうという彼の不思議なほどの落ち着きに圧倒された。サインペンを几帳面に、丁寧に走らせていく手元には、少しの揺れもない。恐らく、コンディショングもピーキングにも、自信があるからだろうし、「現状」を誰よりも冷静に把握しているのだと思う。
 個人のノーマルヒル、ラージヒル、そして団体戦と3種目でチャンスを狙う。

「ズバリ、思い切り楽しんで来てください」
 別れるとき、そう笑った。
「はい、どうもありがとうございます。それではズバリ、楽しんで参ります」
 大笑いして握手したとき、暖かく、力強いのになぜかフワリと柔らかく、「羽」に触れたような心地がした。

    ◆葛西紀明(かさいのりあき)
    葛西選手のプロフィール(http://www.tsuchiya.co.jp/tt/team/kasai.html)
    ソルトレークで、五輪連続4回(92年アルベールビル、94年リレハンメル、98年長野)出場となるのは葛西のほかに今井博幸(クロカン)、荻原健司(コンバインド)、原田雅彦(ジャンプ)、木村公宣(アルペン)がいる。また、過去に4回出場しているのは青柳 徹(スピードスケート)、笠谷幸生(ジャンプ)、佐々木一成(クロカン)、竹脇直巳(ボブスレー)、脇田寿雄(ボブスレー)、橋本聖子(スピードスケート、夏は3回出場で日本選手としては最多)の6人。



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