11月4日

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スピードスケート

全日本距離別選手権兼W杯派遣選手選考会
(長野Mウエーブ)

「結局、何と戦かっているのか」

 1993年3月に初出場を経験してから、じつに8年に渡って連続してきた大会出場がついに途切れる。
 長野五輪女子500メートル銅メダリストの岡崎朋美(富士急行)が2日間で勝ち取った最高位は5位でしかなかった(初日7位、2日目5位、総合7位)。この種目スペシャリストのはずが、「滑るべき氷を走ってバタバタしていただけ」(岡崎)という、いってみれば散々な結果であり、その結果に対してのひとつの回答として、W杯選考から漏れることになってしまった。ソルトレーク五輪が始まるためのシーズン始めの出来としては最悪の状態で、しかも代表に漏れたことで世界との距離感が微妙に広がる。
 原因は何なのか。

「スケートというのは、氷の上を滑らすものなんですが、この2日間私は氷の上をランニングしていました。すべて悪いことが集中してしまった感じですね。もうこれ以上落ちることもないだろう、それほどの感覚です」

 笑顔の輝きは少しも変わらない。しかし話をしながら咳き込む。この軽い風邪に、1週間前にわずらった盲腸と後遺症の腹痛、ここ1週間で大きく変化させたスケートのエッジ部分の角度、これに関してのテクニック、コンディションの不安定、すべての悪いことが集中しているのだと説明する。しかし中でももっとも手強いのは、どうしても拭い切れない「恐怖心」だという。
 昨年、腰の手術をした。すでにリハビリも終わり、整形外科的には「思い切って行っても何の問題もない」(担当医)完璧な状態にある。しかし、スタートダッシュが最高の武器と本人が言うほどの、スタートの切れがまったく戻って来ない。どこかでいつでも怖がっている、と岡崎は言う。

「私の場合、スタートでドーンと腰を入れて、(上体と下体を)ひとつの塊にして前に行かなくてはならないんです。そのためには腰をぐっと固めて、体幹部分(腹筋、背筋部分)を思い切り使わなくてはならないと思うのです。ところが手術した後はそれができないんです。どこかでまたあんな力をかけたらやってしまうんではないかと体がセーブをしているんです」

 普通、選手を「囲み」でする会見では、最大公約数を追求する。込み入った質問もできなければしないのも当然で、それに答える時間もエネルギーも選手にはあまりないものだ。しかし、この日の岡崎の会見では、彼女の輝く笑顔に騙されてしまわなければ、凄まじい内容の会見であった。彼女は心境を正確に吐露し、さらに、アスリートがもっとも触れたくない部分について、自ら切り込むように言及していったからだ。

──いろいろ悪いものが集中したという話ですが、技術、コンディション、さまざまな中、一番手強いとなるとその恐怖心ですか
岡崎 はい、そうだと思います。これだけを何とかすれば、戻れると思います。

──シーズン最初の氷に乗った今、恐怖は思った以上のものだったということですか
岡崎 そうですね、思った以上に怖がっている自分がいたということになりますね。得意だったものが、どんどん苦手になる感覚ですね。正直なところ、今はスタートしたくないんです。

──スタートしなくちゃ始まらないですね
岡崎 ほんと、その通りですね。どこかで殻を破らなくてはなりません。

 世界でもNo.1のスタートをする女子選手と言われている。長野で銅メダルを奪った原動力も、そのスタートの抜群のテクニックにあると言われた。その選手が一度の手術で、「得意なものが苦手になる」と、競技者の恐怖感をさらけ出す。
 そういえばエドモントン世界陸上400m障害で銅メダルを獲得した為末大も「ハードルで転倒する怖さは、転倒後に味わう恐怖感に比べたら蚊に刺されたようなもんでした」と話していた。つまり転倒の恐怖より、それを克服するために味わうイメージでの恐怖のほうが、よほど怖いという意味だ。
 野球のデッドボール、鉄棒の落下、スキーの激突、ジャンプの着地転倒、スポーツにはキリがないほど恐怖が満ちている。一度もこれらを味わわずに終わればこんなハッピーなことはないだろう。
 しかしそれは不可能である。
 岡崎のように怪我のイメージの克服、事実上ダメージには色々な種類はあるが、トップアスリートが戦っているのは、結局、相手や記録ではなくて、この恐怖心という厄介な、やたらと手強い相手なのかもしれない。

 W杯には帯同はすることになるようだ。「世界とのスピード感は肌で感じていたいから」と話す。もちろん、五輪選考会は12月の全日本選手権となるため、これで五輪出場が消えるわけではなく、本人も「これで終わりじゃないし、もう一度一から前向きにやりたい」とどん底からの復帰にかける。
 テレビカメラの前で岡崎はこんな話をした。盲腸の影響と後遺症を問われたときだ。
「影響はまったくないといえば嘘でしょう。まだ便も緩いものですから」
 こちらの質問に目をそらさず、ずっと笑顔で、しかもこんなコメントを毅然と答えている岡崎を見ながら、恐怖という敵を倒すことできるとすれば、その要因になるのは、こうして競技者としての自分をさらけ出すことのできる「潔さ」ではないかと思った。「弱い男で終わりたくなかった」と、恐怖と戦った為末のコメントを聞いたときに似た、良い意味での胸騒ぎをこの日も覚えたからだ。
 8年ぶりの単独調整もまた、この女性(ひと)ならば五輪への肥料に変えてしまうだろう。
 恐怖感は確かに手強い。しかしあの潔さに敵う恐怖感など、リンクに存在し得ないのだから。



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