9月27日

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ベルリンマラソン

高橋尚子記者会見
(ベルリン市内、スイスホテル)
天候:曇、気温:13度、湿度:51%

 30日のべルリンマラソン(午前9時スタート)を前に、世界最高を狙う高橋尚子(積水化学)が小出義雄監督とともに、レース前最後の会見を行い、「この4か月、全力で練習をこなして来た。やれることはすべてやってここに来られたと思う。自分でも記録を楽しみにしながら2時間を走りたい」と、世界最高記録(2時間20分43秒)の樹立に意欲を見せた。
 ベルリンは、コースの8割以上が平坦で、最高でも50メートルを登るだけのフラットコースで、今年からはさらにカーブを減らして、記録が出やすいような設定がなされている。またここ数日の天候でも気温10度前後とマラソンには絶好のコンディションで、記録の更新は現実味を帯びて来た。
 この日は高橋だけの会見で、28日はレコードホルダーのロルーペ(ケニア)が会見を行う。2人の一騎打ちには注目が集まっており、この日の会見には約150人が集まった。

    高橋尚子一問一答

──現在のコンディションは
高橋 いつもの大会の前と変わらず、できることはすべてやって来たと言える状態です。こうして無事にベルリンを走れることの嬉しさを今確認しています。
──シドニー五輪で金メダルを獲得したときと比較してどう違うか
高橋 一年経って、長いような短いような時間でしたが、練習は目標が違いますんで一概には比べることができないです。ゴールをしてみて、ああ、こうだったとわかる部分があると思う。ただ今回もベルリンに向けての練習はきちんとできたと思う。五輪に勝ってどうこうというプレッシャーはありませんし、あの気持ちからまた何かに挑戦できるのは本当にうれしい。ここ4か月(マラソン練習のための時間)全力でがんばってこられましたし、何よりうれしい。シドニーの後、色々な形でスポンサーや支えてくれた人たちに、高橋を支えてきて良かったと思ってもらいたいという気持ちは、シドニーの時に比べると強いかもしれません。
──下見もされていますがコースの印象は
高橋 今まで走ってきたマラソンは何か(タイトル、代表権などがかかって)いたり、とても暑いとか、起伏がはげしいとか、そういうマラソンばかりでしたので、ベルリンは見れば見るほどいいコースで、そして気候もいいですし、本当に楽しみです。
──小出監督は2時間18分も可能だと言っていますし、記録への期待感はどのくらいありますか
高橋 世界最高は出したいと思っても簡単に出せるものではありません。条件、レース展開から考えても本当に難しいし、今回はロルーペさんもいらっしゃる。だからといって意識するのではないですが、やはり口でいうよりも遥かに難しい。とにかく観ている人も、最後までわくわくドキドキする2時間になればいいと思っています。
──ロルーペの存在はどうですか
高橋 だからといって意識するものではありませんし、同じようにこの大会を目指してここまで来たランナーがいることは私にとって大きな励みですし支えになる。ゴールをしたら全力を出し切ったとお互いに思えるようなレースをしたい。
──このコースの勝負のポイントは
高橋 スタートしてからゴールまで全部といいますか。どこで自分が(息が)切れるかだと思います。最後までゴールにたどりついたものが強いという気がします。
──このレースへの意気込みは
高橋 4か月全力でやってきました。みなさんと一緒にワクワクドキドキしたいと思います。みなさんの応援を力にして走りたい。
──シドニーと今回はどう違うのか
高橋 ベルリンの練習は色々な行事があってシドニーの前と比べると1か月遅れてしまった。その1か月を取り戻すためには練習の距離やスピードでも組替えがいるし、タイムを見ただけでは比べることができません。
──このレースを選んだ理由は
高橋 コースが平坦で気候がいいし、女子ではここでロルーペさんが(世界最高記録を)出してますから。自分でも玉手箱を空けるような感じがしてます。
──おっしゃるような3、4か月の準備はこれからも必要ですか(世界的にはほかのランナーはもう少し感覚が狭いがというニュアンス)。それとシドニーの後1年も空きましたが、この休養も重要ですか
高橋 私はレースに向けて自分がやったことはすべてやったという気持ちで臨みたいし、なあなあにしたくないんです。また終わった後の休養は、次からの練習で吸い込むような吸収力(たとえるなら)雑巾が絞りきったまま次のものを拭いてもあまり水を吸い込めないのと同じで、精神的にも肉体的にも休養は重要だと思います。
──かなり痩せたと思いますが。それと、今回の練習で忘れられないほど、という練習はありましたか。
高橋 (以前は太った太ったと言われていたのに)今回は、みなさんに痩せた、痩せたといっていただけてよかったです(会見場の笑いを誘う)。シドニーの前と体重は同じですし、ベストです。シドニーの前にはもう逃げ出したくなるような練習もありましたが、今回はそういうのはありませんでしたね。ただ、3500メートルの山に登ったときには(練習で3回走ったと言う)もう2度とここには来ない、もう2度とくるもんか、と思いながら3回やってしまいましたね。
──シドニーの前とタイムで比較すると
小出監督 同じくらいで走っているし、彼女のコンディションは非常にいい。こっちのほうが彼女に2時間も付き合ってジョッギングをして6キロもやせてしまってへばっている。レースまで2人で(体重を)戻しますよ。
──ペースメーカーをつける理由と、ロルーペは高橋さんがいるならペースメーカーはいらないと言ってますが、ペースの設定は
高橋 私は一度、混合レースで転んで骨折していますからボディガードというか、回りを守ってもらうつもりで人にはついてもらうことにしました。ペースはまだ最終的な打ち合わせを監督としていないので。ロルーペさんが真剣勝負と思ってくれることはうれしいし、途中からは自分で行きます。
──レース前に、このレースを想定したタイムを考えましたか
小出監督 10キロ1回、5キロ1回だけですね、タイムを取ったのは。あとはゆっくり走るくらいで。ハーフは、7月の札幌はまだ太っていたので辞めましたけど、今ならハーフは1時間6分から7分、悪くても8分で帰ってくると思う。


「自信、不安、自信」

 シドニー五輪女子マラソンが行なわれた9月24日の2日前、やはりシドニーで記者会見が行われた時の彼女のコメントを思い出した。
「玉手箱をあけるような気持ち」、「ここまでやれることはすべてやったという気持ち」、「全力で練習にぶつかってこられたことがうれしい」。
 こうしたコメントは昨年と一字一句違わないものだ。
 優等生的なコメントに聞こえるが、高橋は「練習で全力をぶつける」ことの可能性を自らに課しているランナーだ。
「私はメダルが欲しいとか、記録を作るとかそういうことはあまり考えたことがないんです。たとえば3分5秒で1キロを走れても、余力があれば、調子が悪くても全力で走った3分20秒が自分にとってのいい練習なんです。そういうことよりも毎日、毎日を全力で走り抜けたい。走っている姿、練習でもがいている姿なんてとても人様にお見せできるもんではありません。だけど、毎日を42.195キロだと思って走っているんです。毎日の42キロを走ってなければレースなんて走れません」
 私は笑顔のキューちゃんよりも、こうしたどこかに凄まじさを兼ね備えた高橋に魅力を感じる。毎日の練習を42.195キロだと「賭けて」くる気持ちは、狂気と紙一重だからである。
 体重がこれまでになく、ベストと言われてきた46キロを割ったことを案じる声もあるが、これまで30度のバンコクで日本最高を出し、後がない五輪代表権を、最悪の体調で勝ち取り、難攻不落といわれたシドニーのコースを23分台で制覇したことを思えば、どんな要素も不安としての説得力には欠けるだろう。自信と不安、そして自分が口に出すことで得る自信、これらが交差する会見となった。


「レースの露払い」

 小出監督は唯一の不安として3万人が走ることでかかるストレスをあげる。高橋は男女混合レースで転倒し、手首を骨折した経験があり、昨年の札幌ハーフマラソンでも、転倒はしなかったが、スタート直後の混戦で足をもつらせてつまずいている。やはり男性のランナーが決して故意でなくても集団で寄ってくる力と恐怖感は、スピードランナーだけにほかのランナーよりもリズムを崩しやすいと、監督は指摘する。
 今回は、ペースメーカーは、記録の調整が世界一うまい高橋にとってはそれほど重要な存在ではなく、むしろ、こうした集団での混戦を避けるものになるだろう。
「これまで3人に回りを走ってもらうつもりだったけれど、また2人に前を走ってもらうんだ。それは、前が大きく開けていないとどうしても走りにくいし、スピード感が出ないからね、キュウちゃんの場合は。前をハーフくらいからあけてもらって、もしロルーペさんがいなければ、ぶっつぶれるまで走れ、と言うよ」
 監督はそう話し、ボディガード3人のほかに、新たに2人、高橋の前を走るいわば「露払い」的なランナー2人を置いてもらうプランを示した。実際にはロルーペも30キロまでは並走するだろうと監督も読んでいるという。
 取材を終えて、高橋は嬉しそうに食べ物を口にしながらホテルを後にした。左腰には「宗吾霊堂」、右腰には「三石神社」のお守り、また、なくなった祖母からの肩身分けの指輪を縫いつけて、世界最高に挑みます、と話し、親指を力強くグイっとあげてエレベーターに乗り込んだ。
 1秒を争う精密さと、おばあちゃんの肩身やお守りの取り合わせには、どこか似ても似つかないユニークアンバランスさがある。高橋の魅力なのか。



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