8月8日

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世界陸上
6日目
男子400メートル障害準決勝ほか
(カナダ・エドモントン)

 男子400メートル障害準決勝に出場した為末 大(法政大)が、48秒10の日本記録をマークし、決勝進出を決めた。3組に登場した為末は準決勝2位という、メダルにも手が届く好記録での堂々の決勝進出となった。為末は1台目から積極的にとばし、山崎一彦持っていた日本記録(48秒26)を大きく更新。1995年イエテボリ大会の山崎以来の世界のファイナリストとなる快挙だった。
 なお、男子200メートルでは末續慎吾(東海大)と藤本俊之(東海大)が準決勝に臨み、末續は20秒39、藤本は自己記録を更新する20秒56をマークしたが、ともに決勝進出はならなかった。

男子400メートル障害決勝進出を決めた為末 大「調子がよかったので、もしかしたら日本記録が出せるかも、と思っていた。1台目、1台目は向かい風がきつかった。緊張したが、それを自分でコントロールできるようになった。僕の走り方には勇気がいるんです。47秒台が出せそうなくらい、体調はいい。明日は1日休めて楽だし、決勝は大きな目標だったので、楽しめると思う。(シドニー五輪では9台目に風にあおられて転倒、その後、)余分な力が抜けたというか、ハードルに真剣味が沸いた。9台目でタンクが空っぽになり、そこから先は魂で走る。決勝では、世界1位の瞬間を必ず作りたい。5台目から逃走していくつもりです」

男子200メートル・末續慎吾「すみません。強かった。自分のなかでは残れるタイムかとも思ったのですが。とばして行ったし、力みもなかった。これが今の僕の力です。予選から、20秒53、20秒48、20秒39と、繋いで来れたのはよかったと思う。今日は昼間で寝ていたし、このレースで一皮むけたと思います」

男子200メートル・藤本俊之「夕べは夢のなかでも走っていた。自己ベストが出せたことは大きな自信につながりました」※母・久子さんが試合観戦に来ていたが、1次予選までと想定していたため、切符を変更することができず、準決勝のときにはすでに飛行機に乗り込んでいた。また、兵庫の自宅でテレビ観戦となった父・泰造さんは、インターハイ100メートル、200メートルのチャンピオン。


「始めチョロチョロ、中は……」

 200メートル準決勝で、決勝進出が期待された末続が「甘くはないし経験が必要だと痛感した。準決勝と決勝の間には本当に大きな違いがあるということです」と、果たせなかった決勝進出への思いを話してから約20分後、今大会の紹介文に「世界で最も身長の低いトップハードラーの一人」と書かれている為末が登場した。日本選手のトラック男子短距離での決勝進出を見たのは、95年の山崎一彦(前日本記録保持者)が最後である。その後も、アテネの世界陸上、セビリア世界陸上、シドニー五輪と伊東浩司、朝原宣治、末続らが次々とチャレンジし、あと一歩まで詰めながら果たすことができなかっただけに、大きな期待とともに「ここまで来られれば本当は十分なのだ」と思うような思考が、こちらにも生まれつつあるところだった。
 しかし、そんな予想などはるかに越えるところで為末は戦おうとしていた。というよりも、戦い続けて来たのだろう。

 スタートから勢いよく飛ばしていくハードリングを自ら「勇気の産物」と呼ぶ。9台目になるともう「タンク」が空っぽになる。そこからが本当の勝負になる。身長がこの種目としては決定的に不利な169センチ。当然ながら足の長さが違うだけにハードルをまたぐストレスは、身長の高い選手よりも大きくなる。その不利を、世界的にも例を見ない、積極果敢なハードリングが埋めている。

「さすがに今日は、緊張はしました。でも以前と違ってコントロールできるようになったというか、気持ちの盛り上がりを少しずつ小出しにしていって、最後に強火にする、そんなことができるようになったと思います」

 予選から3レースを積み重ねる神経戦、過酷な400メートルで、さらにハードルを越えていく肉体的なプレッシャーを跳ね返していくには、何よりも揺るがないメンタルが重要になる。為末が自分の精神状態を「火加減」にするとは粋なたとえである。今回も「決勝を一度も通ったことがなければ外国の選手にはなめられるだけ。ケンカっ速い(積極的だということ)ところを見せておかないと」と話し、飛ばす作戦には一切の迷いもない。

 海外での単身転戦を自ら望んで大学5年生である。転戦し続けるために、朝原などですでに支援体制の実績を持っている大阪ガスに就職することになっている。そのためにも「結果が欲しい。結果を出せれば、会社にも手伝ってもらいやすくなる。だから、目に見える結果が欲しいです」と繰り返している。国内でも、海外転戦と同じように、大学での練習にこだわることなく、東海大など、出稽古ならぬ「出競走」を積極的に行い、こうした中で、そもそもの400メートルの走力、いわば底力を磨いていた。

 昨年のシドニー五輪では9台目に雨と突風に煽られて転倒。予選落ちして涙を流していた日からわずかに1年しか経過していない。
「口ではうまく説明できないのですが、あそこでコケて、何かが自分の中で変わりました。力が抜けたというか、ハードリングに真剣味が出たと思います」
 ハードルのような技術的な種目では、わずかなバランスの崩れがすべてをご破算にしてしまう。為末の精神的な強さが、転倒でまさに福に転じたのだろうか。

 前日本記録保持者となった山崎も、アテネ世界陸上で足を痛めてハードルにかかってしまい途中棄権をした。それから3年かけて日本記録を更新したことを思い出す。困難から立ち直ることと、ハードルを乗り越えて行く姿とは、常に陸上競技でありながら、どこか日々の生活とオーバーラップするものである。
 48秒10は今季マークした自己記録48秒66を上回り、一気に日本新となるものだった。47秒台を狙えるほど心身とも充実感があるともいう。室伏の銀メダル、為末の決勝進出といい、フィジカルの苦手な日本人が、その圧倒的な不利を逆手に取ったという点が興味深く、またどこまでも広がるロマンが伺える。

「山崎さんにコメントですか? 僕がこうして世界のファイナリストになろうとしたのは、高校3年の合同合宿で、山崎さんにファイナリストはどんなに素晴らしいかを教えてもらったからでした。あれが原点です。山崎さんはロマンチストで、決勝では大きな声援が風の音みたいに聞こえるよ、と言ってました。今日は本当に向かい風の音しか聞こえませんでしたけどね。決勝では絶対に世界で一番の瞬間を作り、世界のトップを走って見せます。まあ30秒くらいですけどね。5台目から逃走します」

 では9台目でタンクが空っぽになってしまったら、どうやって走るのか、と聞かれて、為末は笑った。
「そこからは、魂で走り切るんです」
 ロマンチストなのは、為末も同じである。

    ※決勝は、10日21時5分から(日本時間11日12時5分)行われる。為末は3レーンの予定。
    ※ エドモントンには、両親、妹、祖父、祖母が駆けつけて来ている。「自分の子供ではないみたいです」と、決勝進出を目前で見守った感激で涙を流していた。
    ※ 為末の親戚には、日本サッカー協会の強化担当でもありJリーグサンフレッチェ広島のGM・今西氏がおり、同氏の娘さんが応援に来ている。


Edmonton Feature
「Tough & Rough Road」
〜エチオピアの長距離界が世界をリードする〜

 ラスト2周は、それまで走ってきたはずの23周、9200mなど、一切の意味を持たなかったかのようなレ−スに急変した。スタートから、最初の1000mは3分22秒。次の2000mでも3分18と、高橋尚子のマラソンよりも遅いペースでレースが推移していった。誰も予想しなかったペースは、4位になったラドクリフ(英国)が一人でエチオピア勢4人の包囲網をくぐり抜けるための最後の戦略でもあった。
 これまでハイペースで5000mまで通過しても、オリンピックでも前回のセビリアでも、ラドリクフは女子10000mを引っ張り、「もっとも偉大な敗者」とまで言われるほど勇気あふれるレース展開を挑んだ。今回も間違いなく、3度目の正直で彼女がメダル獲得へ動くはずだと誰もが、もちろんエチオピア勢もそう考えたが、予想は見事に外れた。超スローペースから超ハイペースへの、とんでもないレースで相手をかき回すことがラドクリフの選択だったからだ。

 7000mから3分12とペースが上がり、最後の1000mは実に2分46。「こんなレースで勝てると考えるのは賢明ではない」と、金メダルのツルは言った。「あんなレースは誰でもできるものではないと思う。本当に驚いたし、遅くなればなるほど(最後のスプリントのある)自分が勝てると確信した」
 ツルは、8000mからの残りを自ら驚異的なペースアップで引っ張り、最後はアデラを体半分振り切ってゴール。昨年のシドニー五輪10000mで優勝、今年ロンドンマラソンで優勝するなど女子長距離で圧倒的な強さを見せている。出産の後復帰し、これまで2番手に甘んじていた「負け癖」が変わった。
「私たちは、エチオピアのチームとして強くなろうと思ってきたんです。今日も4人でアップし、4人でレースをできる限り組んで、メダルを独占したかった。私はキャリアからいってもそのリーダーとしてがんばろうと思っている。男子でも同じことが言える」

 男子マラソンはアベラが、シドニー五輪、今回のエドモントン世界陸上と、ビッグイベントの連覇を果たしている。彼もまた「マラソンは40kmから」と、38kmから残りの5kmをレース中もっとも速いペースでケニアのビオットとスタジアムまでマッチレースを続けた。アベラ、ツルのペース配分や切り替え、スプリントの能力、あるいは冷静な戦術といったものはこの大会のさまざまなテクニックの中でも際立っており、男女長距離をリードするものでもある。
「自分が活躍することによって、支援体勢もどんどんよくなっている。重要なのは誰か一人だけが勝つのではなくて、互いにエチオピアを世界の長距離界のリーダーになろうとすることだと思っている」とアベラは言う。

 面白いのは、ツルもアベラも日本のメーカーである「ミズノ」のサポートを受けていることだ。「チームエチオピア・ミズノ」は、99年から、物資的には非常に乏しいエチオピアに、シューズを送り、販売促進というにはあまりにも地味な活動を続けてきたという。ツルによれば、首都アジスアベバでも物資の確保は難しく、海外に行くと大量にまとめて持ち帰るそうだ。
「エチオピアでシューズを入手するのは簡単ではなくて、多くの若い選手が足に合わないシューズを履いているし、古くなったシューズを捨てないで履き続けている。日本のメーカーのサポーターは本当に根本的な支えになっています」
 マラソン、長距離に対しての郷愁ともいえるほどの愛着は、エチオピアと日本に共通したものがある。高地と平地、大陸と島、言葉もまったく違う。ほとんど共通項がないような両国に、アベベという掛け橋があって、さらに日本のプロダクツが存在し、42kmの距離をつないでいると考えるのもそう悪くないのではないか。
 文化が大きく違っても、距離は大きく離れていても、実は同じ競技が盛んなこと、愛されていること、そんな不思議な共通点を、ここエドモントンでは実感できる。


※世界陸上エドモントン大会期間中、sportsnavi.comでコラムを連載します。ぜひ、そちらもご覧ください!

増島みどり「世界陸上スペシャル」



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