1月2日
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第77回箱根駅伝
往路
東京大手町〜箱根芦ノ湖
出場15校、5区間、107.2キロ
スタート時天候:晴れ、気温:4度、湿度:58%
第77回箱根駅伝往路成績 |
順位 |
大学名 |
記録 |
タイム差 |
1位 |
中央大学 |
05:43:00 |
− |
2位 |
順天堂大学 |
05:43:08 |
00:00:08 |
3位 |
法政大学 |
05:43:55 |
00:00:55 |
4位 |
駒澤大学 |
05:45:24 |
00:02:24 |
5位 |
平成国際大学 |
05:48:15 |
00:05:15 |
6位 |
帝京大学 |
05:48:55 |
00:05:55 |
7位 |
山梨学院大学 |
05:49:51 |
00:06:51 |
8位 |
日本大学 |
05:51:15 |
00:08:15 |
9位 |
日本体育大学 |
05:53:25 |
00:10:25 |
10位 |
拓殖大学 |
05:53:38 |
00:10:38 |
11位 |
早稲田大学 |
05:53:45 |
00:10:45 |
12位 |
神奈川大学 |
05:54:58 |
00:11:58 |
13位 |
大東文化大学 |
05:56:43 |
00:13:43 |
14位 |
国学院大学 |
06:02:24 |
00:19:24 |
− |
東海大学 |
記録なし |
− |
21世紀最初の箱根駅伝は、コースほとんどすべてで突風が吹き荒れる最悪の条件下でデッドヒートが展開されるレースとなった。
連覇を狙う駒澤大、順天堂大が2強と呼ばれた中で、中央大、法政大がスタートから快調に飛び出して首位争いを俄然おもしろいものにした。
法大は1区で1年の黒田将由が区間3位となる1時間3分40秒でチームを波に乗せ、エースが揃う「花の2区」では、徳本一善が区間2位となる快走を見せてトップに立った。3区でたすきを受けた竹崎重紀は、2日前にメンバーを急きょ差し替えるハプニングで起用された。しかし、地元茅ヶ崎(法政二高出身)の大声援を受け、区間すべてで海沿いの強風を1人受けながら首位を堅守。180センチの長身も存分に生かした安定した走りでこの区間2位の1時間7分47秒、2位以下のグループを1分9秒引き離して4区の1年生・中村洋輔へつないだ。
1年生の中村は1区の黒田のがんばりに触発されたのか、後半は落ち込んだものの区間3位と踏みこたえて首位で最終区へ。昨年も山上りを経験した4年の大村一は、優勝候補筆頭の順大・奥田真一郎(3年)と29秒差、一万メートルのジュニア日本記録を持つ中大の藤原正和(2年)と1分10秒と、僅かな差でたすきを受ける。
第77回箱根駅伝往路区間賞 |
区間 |
選手名 |
大学名 |
記録 |
1区 |
野村佳史 |
中央大学 |
01:03:38 |
2区 |
カーニー |
平成国際大学 |
01:07:43 |
3区 |
北島吉章 |
帝京大学 |
01:07:45 |
4区 |
野口英盛 |
順天堂大学 |
01:06:00 |
5区 |
杉山祐太 |
拓殖大学 |
01:13:49 |
この区間を走る15人中、一万メートルのタイムはもっとも悪い大村だが、意地を見せて箱根の最高峰となる874メートル地点まで首位で踏ん張る。奥田に並ばれ、藤原にも19キロ半ばで抜かれ3位に落ちたが、法大は70年ぶりの往路優勝は逸したものの3位でゴール。予選会から勝ちあがりながら、大健闘を見せた。
昨年、5区の山上りで区間新を樹立している藤原の快走で、中大が1964年以来、37年ぶり15回目の往路優勝を果たした。また復路での圧勝が予想される順大も、8秒差と絶好の位置につけて2位。創部5年目で初出場を果たした平成国際大は、2区で、ジュニアのハーフマラソン世界記録を持つカーニーが区間賞を獲得する活躍で波に乗って、見事5位に入賞した。候補の一角・駒大は、トップから2分24秒差で、復路の戦いは厳しいものとなった。
また、東海大は、2区伊藤孝志が風邪による発熱と脱水のために12.5キロ付近で途中棄権、77回の箱根駅伝で2区で棄権者が出たのは史上初めてとなった。これによって東海大の記録は、参考記録となる。
「学生スポーツの醍醐味とは」
とてつもない強風の中で標高874メートルを上り切らねばならなかったこの日の山上りほど、選手にとって過酷なレースはなかったはずだ。箱根に入ってからは気温も一部の個所でマイナス4度まで下がり、体感温度を考えれば、過酷という言葉でも言い表せないものだった。
「まさかの」(成田道彦監督)3位でゴールした法大の大村はしばらく動くことができず、手を借りて座ったものの、今度は立ち上がることもできないほど憔悴しきっていた。先頭を走りながら真正面から受け続けた風を、「自分が走っているのか止まっているのかもわからず」、走りそのものも「まるで下半身から風に持っていかれているように、上体だけの感覚しかなかった」と表現する。
しかし、そんな悪条件の中、この区間で身長(162センチ)と一万メートルの記録(30分21秒)が最下位の大村は、誰よりも鮮やかにスポーツ選手の「意地」を見せつけた。
法大は今大会予選からの勝ち上がりで、それも圧勝ではなかった。昨年までは専属コーチもいなかったために綿密な練習も立てられていない。しかしそんな中トップでつないだたすきを受けた大村は、「絶対に勝ってみせる」と、悪条件の中で力以上の走りをしようと挑んだ(結果は区間7位)。
追ってくる順大、中大の下級生はともに駅伝の名門西脇工の出身で、藤原は昨年は1年ながら5区で区間賞をものにしたスター選手だ。中継でも「法大が優勝するためには2分の差がなければ苦しい」と、走る前から宣告していたし、成田監督も「宮下の前にはつかまるだろう」と予想するほど、力の差は歴然としていた。
しかし、見ているものは簡単に記録や実績だけで判断するが、忘れてはならないものがある。4年もの間、地味でも競技に全力をかけてきた最上級生の意地というものである。
首位でたすきを受けて、入りの1キロは3分6秒。早過ぎるペースだった。
「法大もここまで、と思われたくなったし、ほかの学校になめられたくなかったんです。だから最初にガツンと行くんだと決めて走りました。確かに藤原君はすばらしいランナーですが、箱根の山を走る以上、ぼくにも勝ち目は1%あると信じて走った。今は悔しくて、悔しくて……。いい走りではなくて優勝したかった」
大村はそう言って少し泣いた。昨年はこの区間を走って惨敗。ゴール直後には「もう2度と山上りはしたくない」と弱音を吐いていた。しかし、すでに昨年の1月3日には、再挑戦を誓ったのだという。
「去年の2日の晩、体が興奮状態だったのか2時間ほどしか眠れませんでした。翌朝、コースの一部をジョッグした時、自分がまったく力を出し切らずに終わっていたこと、負けたままで箱根を去りたくないことを実感して闘志が湧いたんです」
1年の時には予選落ち、故障と苦しんだが成田監督は「大村は才能はないかもしれないが、気持ちでは負けない選手だった。こんな悪条件になればいわゆるタイムなんて参考にはなりません。ですから自分の持ち味を発揮して本当によく走った。よく走ったというのは誰かとの比較ではなくて、彼が自分の力を上回る力で走ったという意味です」と称賛した。
3区の竹崎も4年で、メンバー発表の時点では補欠だった。しかし、3区に予定していた選手がここ数日の不調を訴えていたこともあり、監督に差し替えを決断させることになった。海沿いの強風を一人で受けて、しかし後続を振り切るように最後までスピードを緩めなかった果敢な走りは、箱根の山降ろしをものともせずに突き進んでいった大村の走りとともに高く評価されるのではないか。
一方3、4区と、後続の2位グループは常に集団を形成して、けん制し合いながら極めて「安全に」「平凡に」走った。無論、往路だけでなくて復路での時間差を、綿密に計算する向きもあっただろうし、強風が原因で集団のほうが走りやすいとする声もある。安定した走りは、悪条件の中だけに評価されるべきものだ。
しかし、結果的にはけん制のために記録も落ち込み、法大の独走を助けてしまった。これだけの桧舞台で、冷静な判断や、緻密な戦略はあったのかもしれないが、一方では大事なものが何か欠けていたようにも見えた。
優勝圏外の評価にも、最悪の条件の中でも何かを貫こうとした法大、初出場の平成国際大が、思った以上の結果を収めたのは当然かもしれない。
箱根駅伝は、あらゆる学生スポーツの中でも破格のイベントである。正月の早朝から完全生中継で放送され、群を抜く高視聴率を記録する。往復200キロを超える沿道には、百万人ものファンが駆けつける、まさに最高峰と呼べる大会となった。
学生スポーツの醍醐味とは何だろうか。それが世界や国際舞台につながるものであればそれに越したことはない。しかし、そうしたレベルになくともそれはそれでいいはずで、そんな中いつでも変らないのは「心意気」であって欲しい。勝算や記録は重要だが、本当の意味でそれを生むのは限られた時間に競技にかけた泥くさい気持ちであるはずだ。
大村はこう言って、最後の箱根を去った。
「花の2区と言います。でも僕は自分が走った5区こそ箱根駅伝花の5区だと誇りにしたい」
■かつて箱根で花の2区を走り、瀬古利彦を学生で倒した唯一のランナーだった法大・成田監督は、今季から本格的に就任。伸び伸びと走ること、自分の意欲でやること、正しい日程を組むこと、を強化新体制の3本柱にしたという。
「うちは好きにやってますから。金髪だのなんだのが多くて、レース中もOBからお叱りの電話が……(笑)。復路は昨年のような失敗(復路12位で総合10位に転落)をしないようにしたい」
■実力通りの走りを見せて東京五輪以来の往路優勝をお膳立てした中大・藤原正和
「1分10秒差でつないでもらったので絶対に優勝できると信じて走った。昨年も区間賞だったのできょうの走りは80点くらいです。奥田さんは先輩ですが、一緒に走ったのはあまり記憶にありません。高校時代は4度も疲労骨折するなどまったくダメでした。治療院の先生には、地面と喧嘩するな、と注意されピッチ走法にかえて結果が出始めました。あすはぜひとも総合優勝をしたいので応援に回ります」
■優勝へ絶好の射程圏内につけた順大・沢木監督
「願わくばトップでと思ったがそう巧くは行かないだろう。2区の中間点までは思うようにいったが、あとは崩れた。4区であそこまであげてくれて本当に良かった。野口の体調が悪く、12月下旬まで悩んだが奥田が5区を走ると自分で言ったので、野口を4区に回せた。(ライバルの駒大に2分16秒差あるが、)数字上有利なのは確かだ。しかし、駒大も中大も下りには自信がおありのようなので……。とにかく往路の走りは全体的に満足だ」
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