12月27日

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サッカー
三浦知良、神戸入団会見
(神戸市内・ホテルオークラ、午後0時)

 J1京都から神戸に2年契約で移籍することになった三浦が神戸で記者会見を行い、新たなチームにかける意気込みなどを明らかにした。神戸とは2年契約、背番号は11。若いチームだが川勝良一監督のもと、現在も天皇杯ベスト4に残るなど(29日準決勝)来季に大きな期待がかかっており、三浦は主将に任命されることにもなっている。自身のキャリアでじつに延べ15チーム目、ブラジル、イタリア、クロアチアと移籍の度に積み重ねて来たキャリアを、神戸でどう活かし、またチームを作りあげるか、21世紀とともに新たな挑戦がスタートする。この日は会見後に、神戸・笹山市長とも面会するなど、地元神戸の新たなプロスポーツ選手として看板となる役割も担う。またこの日午後には、早くも練習場を訪れて選手たちと初対面した。

神戸・中野社長「きょう三浦選手と2年の契約を結ぶことになった。サポーターともども、きょうの日をどんなに待ち望んできたか、自分をもっとも必要とするところでプレーしたい、と選んでくれた三浦選手の気持ちにこたえられるようにしたいと思う」

川勝監督「彼の力を最大限に引き出すのも私の仕事。一緒に仕事ができるのは本当にうれしいし、勝負もできるだろう。一度話したときには来てほしいという気持ちを伝えた。日本で一番有名なサッカー選手というだけではなく、一番練習をする選手で本当の意味でのサッカー選手が来たのだということを、若い選手、神戸のジュニア選手たちにも見てもらいたいと思う」

 以下、カズとの質疑応答(一部抜粋):

(最初に) 年内には決めたかったので今はホッとしている。これから気持ちを充実させて来年のシーズンを迎えたいと思う。

──今の気持ちは
カズ 本当にうれしく思うし、京都にいたときからここ神戸には足を運んで遊びに来ていた。喜びと同時に責任もまた感じている。また新たな挑戦をすることで、自分を見出していくこともできるんじゃないかと思っている。

──神戸を選んだ理由は
カズ 一番最初に真っ向から自分に当たってきてくれたのがうれしかった。また、神戸の街をあげての支援もありがたいと思った。

──神戸のイメージは
カズ すごくきれいで品がある

──親友のイチローとは何か話をしたか
カズ 特に彼からのアドバイスはないけれど、(神戸も)盛り上がるんじゃないかと喜んでくれていると思う。食事なども何回かしているので、また連絡を取っていろいろと聞きたいと思う。

──神戸のチームについて
カズ 川勝さんが就任してからのほうが神戸という印象が強くなった。やはりペナルティエリア内で得点に絡む仕事をしたいと思うし、期待されているだろう。ただサッカーは一人ではできない。僕自身もほかの人のいいものを引き出して、今まで以上にいいプレーをさせたいし、自分も引き出してもらって、やはりお互いが競争し合いながらチームを高めていくことが大事だろう。

──若いチームですが
カズ まだ一人一人についてはわからないので今は具体的にはなんとも言えないけれど、京都で1年間キャプテンをやらせてもらって、チームをまとめて行く面白さ、これまでとは違った経験を積んだ。それを神戸でも生かしていきたい。

──サポーターへ一言
カズ サッカーを通じて、お互いが夢に向かって行けたらいいと思う。関係者、サポーター、マスコミのみなさんへ、今は感謝の気持ちで一杯です。

──Jリーグの中の移籍が活発化しているが、どう思うか
カズ ブラジルなどでは3か月ごとに移籍するケースもある。個人的には半年とか1年とか、あまり短いのもどうかと思うし、あまり長すぎるのもよくないと思う。ただ、代表、五輪代表クラスが動くのはすごくいいことで、面白いこと。人の動きはクラブを新しく変えるものだし、あっていいと思う。

──若手に対して違和感はあるか
カズ 確かに20代の頃はそんな気持ちを持ったこともあった。ただ、今、自分に求められる役割は変わってきていると思うし、いろいろなアドバイスをしてあげられるようにもなった。チームをひとつにするために、いろいろとやっていきたいと思う。

──2002年W杯について
カズ W杯については、確かに特別な思いがある。ただ、先のことは誰にもわからない。自分も来年は34歳になるんで、1年後さえわからないはず。1日、1試合に重点を置いてやっていきたいし、その先にW杯がつながればいいとは思う。ただ、自分だけではなくて、誰にも先のことはわからないでしょう。

──目標は
カズ 勝つこと。個人的な数字などはない。

──ほかの国のリーグからも誘いがあったが、Jリーグを選んだ理由は
カズ 自分が聞いたオファーは中国、韓国、それとMSL(米国)だったが、Jリーグのほうがレベルが高いことと、やはり代表のことがあったので一番いいと選んだ。ただ、レベルうんぬんを抜きにして、海外でプレーすることはそこでの生活を含めていい経験になることだ。

──神戸の震災では1500人近くが犠牲になった。被災者への励ましを
カズ 被害に遭われた方でないとわからない痛みがあるし、神戸も見た目には何もなかったようになっているが、やはり目に見えないもの、映らないものが大きいと思う。心の痛み、体に与えたダメージを、自分たちがプロとして毎日のトレーニングや試合で勇気づけられたらと願っている。

──新しいチームに不安は?
カズ ない。川勝監督の戦術をしっかりやって行けばいい。

「“11”と書いて、“スター”と読む」

 会見が行われる前、カズはホテルから遠くに広がる景色を見ながら、夫人や関係者とともに「ジェノアみたいだね」と話していたという。高層ホテルの窓からは、はるか港が見渡せる。静岡の港町をあとにブラジルにプロとして渡たってから18年間、カズにとってはジェノア(セリエ)に続く「港町」での再スタートとなった。どこか郷愁があり、しかし何度目かの新しいスタートを切るのに、これほどふさわしい場所はなかったのではないだろうか。

 静岡学園高校からブラジルに単身で渡り、ジュベントス→キンゼ・デ・ジャウー→サントスFC→SEマツバラ→CRB、再びキンゼ→クリチーバFC→またサントスへ。その後、帰国して読売クラブ→川崎、日本人として初めてイタリアのジェノアに渡り、川崎→クロアチア・サグレブ→京都→神戸、と通算で15回目の移籍となる。
 会見で配布された1枚のプロフィールには、すべてが漏れることなく書き込まれていた。生年月日1967年2月26日、ポジションFW、身長177センチ、体重72キロ、血液型A、出身地静岡、そしてサッカー歴としてこれまでに在籍したクラブ、さらに出場記録が92年から読売時代を含めて10年分、書かれたものだ。

「私が知る限り……」川勝監督は会見で言った。
「この業界で10年にも渡って本当の意味でスターとして活躍してきた選手は彼一人だけだと思う。今まで、それこそいくらでも活躍した選手はいたし、それなりに注目はされた。しかし、それは私に言わせればラッキーボーイに過ぎなかったということです」

 ラッキーボーイたちが出ては消えたこの10年、彼だけがなぜ、いい時も悪い時も光を放ち続けることができたのだろう。
 11番のユニホームを、ジャケットを脱いでワイシャツの上から着た瞬間、一斉にフラシュがたかれた。
「本当にありがとうございました!」
 撮影を終えて、神戸の応援歌が流れる中、カズは金屏風の後ろに片手を上げながら消えて行った。
 A4判の紙1枚に書き込まれた数字では到底、表すことのできない重要なプロフィールは、おそらく、スターであり、エースであり続けるために払った、得点をはるかに上回る犠牲の数と、15クラブの移籍の数に正比例して彼が抱き続けたサッカーへの愛情の深さである。
 自ら「キャプテンとして」と口にしたそのリーダーシップが発揮されるのは、1月中旬からとなる。

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