12月23日
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加古川マラソン
(兵庫・加古川河川敷、男女陸連登録者のハーフマラソンなど)
シドニー五輪の1万メートル代表の弘山晴美(資生堂)とマラソン代表の山口衛里(天満屋)が今年最後のレースとして加古川マラソンに出場、弘山はハーフマラソンで優勝し、山口は3キロの部などで走りを楽しんだ。ともに、これで今年のレースをすべて終了。弘山は来年4月22日に行なわれる海外ビッグレースのひとつであるロンドンマラソンを目指して宮崎、奄美大島で練習を行ない、山口は正月まで休養した後、宮古島か奄美大島で練習を再開した後、来年は世界陸上(エドモントン)でのトラック種目での代表を狙って春のサーキットに挑戦する。
男子ハーフマラソンでは、エスビー食品の花田勝彦がの大会新となる好記録で優勝を果たした。
「本当に、早かった」
岐阜で行われた全日本実業団女子駅伝以来、風邪での発熱のために寝込んでいたという弘山だが、夫でコーチの勉氏の「ゆっくり行ってビルドアップ(後半から追い込んで行くペース)してくるように」との忠告を「無視」して、スタートから突っ走った。もっともこれは、スタート付近ではランナーが先を急いで危険なためだが、1キロを4分切って行くペースは、やはりずば抜けた切れ味を放っていた。
「意外とがんばってしまいました。途中では名前を呼んで励ましていただいたりして楽しかった。ここは河川敷なので直線がかえって走りづらいのですが、まあまあですね」
レース直後はティッシュで鼻をかみ続けながら、弘山は厳しく、長く、そして苦しかったはずの2000年を笑顔で締めくくった。
県立西脇工業高校出身の山口にとって加古川は地元ともいえる場所であり、この日は母・左衛子さんら親戚も応援に駆けつけ、弘山にも大きな声援を送るなど、和やかな雰囲気でのレースとなった。全日本実業団の後はオフとなっているため、山口は現在練習を休んでいる。このため、今回は3キロの部、5キロの部を走るだけだったが、レースの合間、練習の直後には、きっちりと練習をする姿が河川敷にあった。
「きょうは久しぶりに楽しい走りができました。来年に向て、いいリフレッシュになった」と、肩の力を抜いて、ほっとした表情をのぞかせた。
シドニー五輪を目指したこの1年、2人はかつて経験したことのないような厳しい時間を過ごしたはずだ。
ちょうど1年前、弘山は奄美大島で順調に合宿を終え帰京した途端、自転車で転倒して風邪で体調をも崩していた。マラソンでの代表選考を争わねばならない大阪国際を前に不安な日々を送っていた。東京国際で2時間22分12秒と圧勝した山口も、1年前には五輪という目に見えぬ大きな反響に自分を見失った時期である。
それから1年、熾烈な代表選考、脱力感、さまざまな壁や困難、故障、五輪という未知、弘山はマラソンの落選で引退を口にした日もある。何よりも自己との葛藤を続け、それらに打ち克って五輪を戦い終えた2人が、レース後のテントの中で、市民マラソンでふるまわれたお汁粉をすすりながらしみじみと言い合っていた。
「なんだかシドニーがずいぶんと前に思えますね。早かったです。本当に早かった」
弘山、山口、そして高橋尚子(積水化学)と、3人が2時間22分台で代表を争ったそのとてつもない速度が、せめて今だけ、このわずかな休みだけは少しスローダウンされてほしいと思う。
21世紀の幕開けとなる来年もまた、弘山がロンドンマラソンでロルーペ(ケニア)、シモン(ルーマニア)、そしてチェプチチュンバ(ケニア)らと争って「世界No.1」に挑み、山口は新たな境地を目指して、あえてトラックでのスピードに磨きをかけるというのだ。
せめて今だけは、ホッとしたようすでお汁粉などをすする2人の笑顔がしばらく続いてほしいと願わずにいられない。
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