12月9日

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全日本実業団女子駅伝 開会式、記者会見より
(岐阜・長良川国際会議場)

 10日に行われるレース(6区間、42.195km)を前に31チームによる開会式、記者会見が長良川国際会議場で行なわれた。シドニー五輪で金メダルを獲得した高橋尚子(積水化学)が五輪以来のレースに地元で復帰すると期待されたが、痛めていたひざの具合が回復せず、チーム内での駅伝メンバー選抜のための記録会で低調だったために欠場することになった。
 今大会には、志水見千子(リクルート)、田中めぐみ(あさひ銀行)、川上優子(沖電気宮崎)、エスタ・ワンジロ(日立、ケニア)、高橋千恵美(日本ケミコン)、弘山晴美(資生堂)、山口衛里(天満屋)と五輪代表が7人も出場するなど、今年を締めくくるにふさわしい華やかな顔ぶれとなった。
 今年は、昨年覇者の沖電気宮崎、11月の東京国際女子マラソンで日本人1位、2時間24分47秒で2位となった土佐礼子をエースとする三井海上、東海銀行、天満屋らが有力候補とされ、高橋が欠場するものの、積水化学も、昨年の東京国際以来のレースとなる鈴木博美をアンカーに置いて上位を狙っている。
 なお、高橋は2月にハーフマラソンで復帰する、と監督は話している。

川上優子(3区10キロ)「10月までは休養を取って、11月から練習を再開しました。若干スタミナ不足もありますが、順調だと思う。あすは、区間賞を個人的な目標にして、チームが優勝に限りなく近ずけるようにしたい」

山口衛里(5区11.6キロ)「もらった順位を下げないように走りたい。一時は脚を痛めて走れなかったが、ここに来て随分とよくはなった。チームの最高はこれまで2位なのあすは優勝に絡めるようにしたい」


「半径2メートル以内には近づきません」

 今年のレースの3本柱として、3月の選考会・名古屋国際女子マラソン、9月のシドニー五輪、そしてチームとしての締めくくりになるこの実業団駅伝を挙げていた高橋だったが、最後の目標だけは果たせずに終わってしまった。
 高橋は「とても残念です。五輪後、どの表彰も大変ありがたく、それぞれにうれしいものでしたが、結果として1日、1日をしっかりと積んで行く練習ができなかった。やはり、練習をしなければまったく走ることができないという当たり前のことですが、今回はチームのメンバーもすばらしい出来なので、応援に回ることにしました」と会見でも残念そうな様子を見せた。
 7日、8日とチーム内部で5000m、2km、3kmとタイムトライアルを行なったところ、高橋は上位6人の中にも入ることができずに8、9番というレベルにとどまった。
 小出監督は「やはり陸上競技は練習できなければタイムは出ないというもの。練習不足がたたったということです。皆さんも見てもおわかりの通り、こんな状態ですからね」と会見を沸かせた。現在、常に懸念事項とされる体重が増加しており、高橋本人も「実は、今一番見たくないものは体重計と鏡」と首をすくめる。
「体重計の半径2m以内には近寄らないんです」
 金メダルのインパクトは本人の想像をはるかに超えるものだったはずだ。日本で独特なものであるが、こうした行事や表彰、テレビ取材といったものをこなし、今年がもう終わってしまうことへの焦燥感もあると話す。しかし、あれだけのレースを終えた今、体重が増加していることに、見ているほうはむしろ安堵する面もある。
 反対に、山口があすのレースに調整して出場してくることは競技者として高く評価されるもので、シドニーのレースがいかに肉体的に苦しいものだったかは、やはり走ったランナーたちにしかわからないものだろう。
「ここらで監督とも気持ちを引き締めて」と小出監督も言うように、元日から海外で練習をさせると明らかにした。しかし高橋は1月2日から14日まで完全休養にあててもらっているため、海外でのリフレッシュがまず復帰への第一歩となる見込みだ。監督も、体重が減る前の絞れていない段階では、練習を見ることはしない、とベース作りは本人に任せるとする。これまで春の海外レースの可能性も示唆されたが、「1つのマラソンに50日は必要」というポリシーから、高橋のマラソン復帰は秋になりそうだ。


2000サントリーチャンピオンシップ 第2戦
鹿島アントラーズ×横浜F・マリノス
(国立霞ヶ丘競技場)
キックオフ:19時34分、観衆:44,665人
天候:晴れ、気温:16.6度、湿度:29%

取材・田中龍也

鹿島 横浜
3 前半 3 前半 0 0
後半 0 後半 0
24分:鈴木隆行
39分:名良橋 晃

44分:中田浩二

先発メンバー
交代出場
横浜
36分:永山邦夫(木島良輔)
62分:城 彰二(三浦淳宏)
70分:外池大亮(エジミウソン)
鹿島
82分:羽田憲司(鈴木隆行)
89分:本田泰人(相馬直樹)
89分:本山雅志(柳沢 敦)
 20世紀最後のJリーグチャンピオン決定戦、2000サントリーチャンピオンシップの第2戦がこの日、国立競技場にて行われた。

 開始直後から、横浜が初戦の終盤の勢いをそのままに試合を支配し、圧倒的に攻めたてた。しかし24分、中村俊輔の逆サイドへのパスが小笠原満男にカットされカウンターをくらう。小笠原から前線でパスを受けた鈴木隆行は柳沢敦とのワンツーからゴールに蹴り込み、鹿島が先制した。さらに39分、混戦から秋田豊がゴール前にパスを浮かすと、オフサイドトラップをかいくぐった名良橋晃が胸トラップから豪快にボレーで2点目を決める。そして44分には、左サイドに開いた中田浩二がセンタリングを入れると、このボールがそのままゴールマウス方向に流れ、横浜のGK川口能活が痛恨のファンブル。試合を決定づける3点目が鹿島に転がり込んだ。

 後半、横浜は選手交代で城彰二、外池大亮を投入、さらには松田直樹を中盤に上げ、攻撃的な布陣を敷くが、リードするとしぶとい鹿島は安定した守備力でこの攻撃をかわし、そのまま無失点で逃げ切り3-0で勝利した。鹿島はこれで98年以来、2年ぶり3度目のJリーグ王者の座に返り咲いた。

鹿島/トニーニョ・セレーゾ監督「すべては選手たちのおかげだ。私はこうして最後に一緒に飲むだけ(笑)。もちろん負けるとすべて責任は私が取るわけだが(笑)。この喜びのときに取り立てて言うべきこともないが、内容的にも我々は非常に良かった。ひとりひとりの選手にも何も伝えるべきことはなかった。途中交代は時間を稼ぐためにやったようなものだし、選手の動きにはとても満足している。
 今日みたいな試合は先制点を奪うと有利になる。実際それができ、その通りだった。さらに後半も多くのチャンスを作ることができた。小笠原とビスマルクというゲームの流れを変えられる選手たちが、しっかりと役割を果たしてがんばってくれたと思う。その後ろでは中田と熊谷が守備を重視し、中村を押さえるという仕事をしてくれた。そして両サイドバックの相馬、名良橋も自由に攻撃に行けていたし、守備もしっかりできていたし、最終ラインの秋田、ファビアーノの守備の仕方も徹底していた。GKの高桑は1回前に出て読みがはずれたシーンもあったが、そのあと落ち込むわけでもなく出るべきところでは出ていた。彼も成長していると思う。
 とにかく内容はスコアにすべて表れている。日本のサッカーファンに対し印象に残る試合ができたと思うし、たくさん来てくれたサポーターのみなさんもサッカーの魅力を感じてくれたと思う。そのことはこれからの日本のサッカー(の成長)にもつながることでしょう」

MVPの小笠原満男「自分は点を取ったわけでもないし、どこが評価されたのかはわからない。MVP獲得は、うれしさよりも驚きのほうが大きかった」

鈴木隆行「1点目は柳沢とのワンツーでファーストタッチがいいところに行ったので、いいシュートが打てた」

中田浩二「得点になったのはセンタリングです。ミスキックでした。速いボールを蹴ろうとしたら、たまたまあのコースに行ってしまった」

秋田 豊「またもうひとつ大きなタイトルを取れてうれしい」

横浜/アルディレス監督「まずは鹿島におめでとうと言いたい。我々は出だしは良かったが、1点目を失ってからすべてが変わってしまった。大事な時間帯でコントロールを失い、ミスも連発していた。鹿島のほうが経験が豊富だった。しかし、こうして決勝の舞台に立てたことはうれしかった。我々はまだ若いチームなので、これから学んでいくことも多い。ともかく選手たちは、持っている力をすべて出してくれた。そのことは誇りに思う」

鹿島/牛島 洋社長「ホームスタジアムが工事中のため鹿島以外でのゲームが多く、特に終盤は緊張した試合が続いたのでコンディション調整が大変だったと思うが、おかげさまで3度目の、そして今世紀最後のJリーグチャンピオンの栄誉に輝くことができた。これもひとえに監督以下スタッフ、全選手のがんばりの賜であり、心から敬意を表したい。これまでご声援、ご支援をいただいた方々とさっそくこの喜びを分かち合いたい」

「経験豊富」


1点目を挙げた鈴木隆行を祝福する鹿島の選手たち
 試合後の会見で、横浜のアルディレス監督はこの日の勝敗を分けた要因として、鹿島というチームが持つ経験の豊富さをあげていた。
 この“経験豊富”という言葉は、鹿島が守備に入ったときに格別な威力を発揮する。2ndステージの優勝を決めた柏戦、チャンピオンシップ第1戦の終盤、そしてこの日の後半。守りに入ったときの鹿島の粘っこさは相手チームにとって、この上なくやっかいなものとなる。
 2000年のJリーグ、1年間を通じての失点は30試合で27点。J1の16チーム中、唯一1試合あたりの失点数の平均が1点以下だった。
 秋田とファビアーノの強力なセンターバックに、熊谷、中田のボランチの2人と、名良橋、相馬のサイドバック2人が巧みに絡み合うディフェンス。そして、焦る相手をイライラの頂点に導くだろうビスマルクのボールさばきと時間の使い方。さらにトニーニョ・セレーゾ監督がこの日の会見で絶賛した、小笠原のボールを奪うシーンでの的確な読み。こうしたある意味では地味な守備への徹底した意識を、選手個々が理解し、組織的にこなせているのが、最近の鹿島の強さでもある。
 そしてもちろん、鹿島の経験豊富さを支えているのは、98年フランスW杯出場時の日本代表の中心選手でもあった名良橋、秋田、相馬の3人のディフェンダーと、Jリーグ通算出場数歴代3位(通算248試合出場、外国人籍選手の中では1位)のビスマルクの存在だろう。
 ベテランと呼ばれる選手の多くが、“チームの若返り”という名のもとに、移籍を余儀なくされるケースが増えている中、97年、98年と過去2回のチャンピオンシップ(秋田は93年も)にも鹿島のメンバーとして出場してきた彼らが、2000年もチームの主軸として活躍し、この日の優勝を勝ち取ったことは何かを象徴しているのではないか。確かに人材が流動的なことはサッカーの持つ特性の1つではある。しかし時間をかけたからこそ築けるものは少なくはないはずだ。チームにとっても、サポーターにとっても。

試合データ
鹿島   横浜
16 シュート 6
5 GK 10
4 CK 6
21 直接FK 22
0 間接FK 4
0 オフサイド 4
0 PK 0

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