11月28日
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第21回トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップ
レアル・マドリード×ボカ・ジュニアーズ
(国立霞ヶ丘競技場)
キックオフ:19時14分、観衆:52,511人
天候:晴れ、気温:8.7度、湿度:35%
レアル・マドリード |
ボカ・ジュニアーズ |
1 |
前半 1 |
前半 2 |
2 |
後半 0 |
後半 0 |
12分:ロベルト・カルロス |
パレルモ:3分
パレルモ:9分 |
先発メンバー
 |
交代出場
レアル・マドリード
67分:サビオ(マクマナマン)
77分:モリエンテス(マケレレ)
ボカ・ジュニアーズ
88分:ギジェルモ(デルガド)
93分:ブルディソ(バタグリア) |
欧州クラブ勢の6連覇阻止に挑んだボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)は、前半開始直後からコンディションが悪いのか出足の遅いレアル・マドリード(スペイン)に対してサイド突破など積極的な攻撃を展開する。
前半3分、左サイドから抜け出したデルガドがセンタリング、これをレアルのDFロベルト・カルロスを振り切ってゴール前に走り込んだパレルモがシュート。3分で、早くもレアルに先制パンチを見舞った。コンディショニングの悪さ、さらに連携の修正ができないレアルの不調を見逃さず、6分にはバタグリアからのロングボールを、またもパレルモが走り込みながら1対1で左足でシュート。ボカは開始わずかに6分で早くも試合を掌握してしまった。
12分には、レアルの中盤からのロングボールをゴール左でボカのDFイバラがヘディングで逃げようとクリア。しかし中途半端だったためにこれをロベルト・カルロスが拾って、ワントラップでそのまま左足から強烈なシュートを放って1点を返す。しかし、22日、チャンピオンズリーグ2次リーグのリーズとのアウェー戦(2-0)から直行したレアルは、動きが明らかに悪い。対してボカは後半20分を過ぎてからはボールを回すなど、余裕を持った戦いぶりに終始した。結局試合は動かず2-1で終了。ボカは欧州クラブの6連覇を阻止するとともに、1977年に当時の「ヨーロッパ・サウスアメリカカップ」を制して以来の、タイトル獲得となった。
また、奇しくも6年ぶりとなる南米チームのタイトル奪回はカルロス・ビアンチ監督が94年、ベレスを率いて優勝して以来。同監督はその際も2得点を奪いACミランを完封しカップを制覇している。
レアル・マドリード、デルボスケ監督「最初の数分間がこの試合の決定的な時間だった。この2ゴールを入れられてしまったことで、彼らに完全にいい形を作られてしまった。残り85分はレアルのほうがやや良かったのではないか。しかしそれを上回る得点は奪えなかった。デルガド、リケルメ、パレルモの3人の力は確かに良かったが、残り85分は決して好きにはやらせていない。私たちは特に最初の5分で集中力を欠いた。サッカーとは常に説明ができないものでもある。ボカはよくボールをコントロールしていたし、いたるところで私たちのリズムを止めていた。最初の数分間の悲劇的な出来事があったということだ。(チャンピオンズリーグで勝って選手が過信していたのではないかとの質問に)プロならばどこのチームでも自分たちよりも弱いと思うことはできない。やはり最初の5分を説明するには、サッカーだからというよりほかない。個人技に冴えが無かったというが、私たちのチームは負けたのでボカは称える。しかし、私たちのサッカーが決して悪いわけではないし、85分は自分たちのほうが良かったと思う」
ボカ・ジュニアーズ、ビアンチ監督「正直にいうと先制点は自分たちにとって完璧過ぎた。このようなレベルの高い試合で、わずか6分で2得点を奪うなどということはいくら何でも考えることができない。本当は、別の展開を考え、ほかのプログラムを持っていたが(うれしい誤算ということ)、しかしこのチャンスを逃がす手はないと考えることにした。相手にスペースを与えないこと、フィーゴ、マクマナマン、ラウルらすばらしい選手がいることから、これを徹底することが重要だった。後半は、自分たちの戦略を完璧にこなそうということだけ考えた。そうでなければレアルに得点を奪われると思った。90分ボカが上回ったというのが私の印象だ。アルゼンチンサッカーが世界一と認められて、非常にうれしい。これはアルゼンチン国民の勝利でもある。(27日の公式練習をドタキャンした理由を)渋滞や疲労を避け、十分に選手を休ませようと思った。きょうの勝利には直接関係はない。94年の優勝とプロセスに違いがあったと思う。あの時は2年の準備があったし、今回は98、99年と新しいメンバーである。共通点はベレス、ボカもプロとしてよくわかっているクラブだ。違いとは当時は45歳で、今は51歳。年老いたし、頭も白くなったし、孫も2人できてしまったが……」
2得点のFWパレルモ「自分を含めてみなうれしい。こうした偉大なことをやり遂げた満足感は口では表現し難い。3年の努力が報われた。きょうは良い試合をすることではなく、勝つことだけが重要だった。レアルの攻撃には、自分たちがコントロールすることに集中した。すばらしい90分もの集中力だったと思う。FWは思い切り走り、DFは相手にチャンスを与えない。アルゼンチンから日本まで応援に来てくれたファン、向こうに残って応援してくれたファン、国民みんな、すべてのファンのおかげ。うれしい」
試合データ
レアル |
|
ボカ |
12 |
シュート |
11 |
6 |
GK |
13 |
9 |
CK |
8 |
13 |
直接FK |
20 |
1 |
間接FK |
3 |
1 |
オフサイド |
3 |
0 |
PK |
0 |
「点を取ることとは何か」

2得点を決めMVPとなったパレルモ |
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試合後の記者会見に出席する前、ボカのFWでこの日わずか6分で2点を奪ってレアルの戦意を喪失させてしまったパレルモは、地元記者に囲まれ涙を流していた。
再起不能といわれたひざの怪我から約1年もの時間を費やしてようやく復帰。もう2度とサッカーはできないだろう、と言われた最悪の状況を克服してのカップ奪取、それも自らの2得点での優勝となれば無理もない。
「もうダメだと思ったこともあった。しかし努力、努力、そして努力を重ねて脚を動かすことに専念した一年だった。家族、ファンにお礼を言いたい」と会見で話し、集まった地元の記者たちから大きな拍手が沸いた。
その記者たちが、FWとしての彼をコテンパンに書いたのはわずかに1年と少し前の話である。昨年の南米選手権(パラグアイ)、日本が特別招待されたこの大会で、98年フランスW杯(ベスト8)をパサレラ監督のもと戦ったチームからの一新をはかったアルゼンチン代表に選ばれた。しかし、FWとしてのチャンスを生かすどころかこの大会でその評価が地に落ちてしまった。
予選リーグ中、パレルモは1試合でPK3本を外す、信じられないほど不名誉な経験をしている。
日本代表に同行遠征していた自分にとっても、競技場でたまたま目撃できたその3本のPKは忘れられない。選手に本当に腐った野菜や果物が投げつけられたのを見たのは、それが初めてであった。
しかし何より印象に残っているのは、2本外した後の彼の態度だ。3本目のPKを奪ったとき、スタスタと自分でボールを拾いに行き「蹴る」ことをアピールした。
「3本外した選手はアルゼンチン代表には一人もいないだろう。ましてこんな大きな大会ではなお更だ。恐らく史上最悪のFWとして記憶に留められる」と、アルゼンチンの記者は話していた。
パレルモは自分で3本目のPKを蹴りに行った。外してしまったが記者たちがこんな話をしてくれた。
「しかし、わずかな救いがあった。彼がもし3本目のPKを逃げていたら、FWとして完全に終わっていただろうし、国には帰れなかった。3本目を蹴りに行ったことだけが、FWとして最後の最後の意地なのだ」
2本を外せば、いい加減別のメンバーに譲りたくもなろう。しかし、パレルモはそうしなかった。自ら蹴りに行き、そして外した。物をぶつけられてスタジアムを後にする姿を目撃しただけに、この日の1点目、2点目を奪った姿はまるで別人のようでもあり、もしかするとあのPK3本失敗の日こそ、FWとしての真の意味での「スタート」だったのかもしれない。
南米選手権の後、欧州からの移籍オファーがあったがそこで負傷を受けて手術も受ける。絶望のドン底に突き落とされて、本当の意味で「自分には学ぶことが多くあった。すべての経験がきょうの2得点のためであった、と今は思えるから」
PKが2回外れても3回だとしても、FWとはゴールを狙い続けねばならない。罵倒されても怪我をしていても、大恥をかこうともゴールを狙わなくてはならない。
1年前、腐った野菜の雨にピッチを後にした男の晴れ姿は、この日のトヨタカップ一番の輝きを放っていた。
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