10月8日

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陸上日本選手権最終日
(仙台・宮城スタジアム)

 シドニー五輪で9位となり、4日、陸上の各種目年間チャンピオンを決定するグランプリファイナル(カタール、ドーハ)で堂々の2位(記録は80メートル32)となった室伏広治(ミズノ)が、この日は6投目に76メートル39を投げて優勝。ドーハから帰国したまま仙台に入る超強行軍ながら、この種目で見事6連覇を果たした。

 また98年以来怪我に泣かされてきた男子短距離の朝原宣治(大阪ガス)が、100メートルで10秒35をマークし、3年ぶり3度目の優勝を果たした。シドニー五輪でも6位となった400メートルリレーのアンカーとして活躍しており、これで完全復活を力強く印象つけた。
 2人のシドニー五輪代表はこれでこのシーズンの競技を終了してオフに入る。

「掴んだものを形にしておく」

 98年以来、骨折、肉離れと怪我に泣かされ続けた前日本記録保持者の3年ぶりの優勝は、日本のトラック界にシドニー五輪400メートルリレーでの6位と同等の明るさをもたらしたのではないか。
 朝原はシドニー五輪で「アップで強い外国選手を見ていたら、何か興奮して体の中で目覚めるものがあったんです。何か、と簡単に説明ができないのですが、とにかく走るたびに何かを思いだして行きます」と話していた。
 この日の走りはまさに、その「何か」を形にし、確認し、そして来年のために保存するかのような走りだった。
 具体的には「体重移動」にあるという。
 朝原の走りは前半からパワーを最大限に発揮する形で加速していく。しかし、故障によってバランスを崩したこの2年は、どうしても体重が推進力に反して動き出してしまい、結果、上半身と下半身の動きがバラバラになる。つまりスピードに乗っているはずが、脚がついて来ないという、一種の上下不一致的な格好となってしまう。
 ここから抜け出し、バランスを取り戻すためにもっとも有効だったのが、シドニーでトップ選手の動きを見て、体ではなく「脳を刺激することだったようです」と朝原はレース後に説明してくれた。
「アドレナリンでしょうか、それがバッと体中に出て来るのがわかりましたね。それによって、忘れかけていた動きを全部一瞬にして思い出すことができた。自信を取り戻すこともできましたし、きょうその動きが完全につかめたことで休養に入れます」
 伊東浩司(富士通)が10秒00をマークしたのが98年12月で、日本記録で初めて10秒20の壁を破った朝原には2年のブランクがある。しかし、タイプのまったく異なる、しかし常に海外を見据えた2人のベテランスプリンターの存在は、日本の短距離界にとってとてつもなく大きな指標である。
 朝原は、しばらく休養を取るという。

「改善をしてください」

 中東のドーハから帰国しそのまま仙台入りした室伏は、「疲れ」という単語を一切使わなかった。むしろ、今季最後の試合に対して、記録とは別にこれまでのどの試合よりも集中していたように見えた。
 この日の試技中は、ひたすらサークルをならすような仕草を繰り返す。宮城スタジアムのサークルが非常に粗く、その摩擦でシューズが引っ掛かってしまうのだという。
 記者から続く「疲労は?」の質問には「それはないです」と何度もきっぱりと否定しながら「体は動いていました。しかしサークルが引っ掛かってしまって、ざらつきがあまりにひどくてそれに対応し切れませんでした。歯がゆいですね」
 海外のサークルは日本のそれと比較してむしろ滑りやすいほどでスムーズで、そのことについて、海外転戦を始めた当初の昨年は「滑りやすい」と話していた。そして今年は、海外転戦の中でGPに優勝し、体重90キロ台にもかかわら“80メートルスローワー”になり、9月には自らの日本記録を81メートル08にまで伸ばした。特に宮城スタジアムのサークルはざらつきが極端だと選手の声があがっていることを差し引いても、滑ると話していた海外のサークルにいつの間にか馴染み、日本のサークルが荒いとする感覚こそが、この1年の収穫なのではないだろうか。
「ハンマーの回転で何を追及するかと言えばそれは接地時間なわけです。その接地時間を少しでも長くするための技術鍛錬をしているのに、このサークルでは長ければ長いほど摩擦によって回転が鈍ることになる。悪い技術のほうが飛んでしまうような状況は改善していただきたいです」
 強行日程への不満や、長いシーズンが終了する試合での虚脱感。これらを一切抜きにして、なおも技術を求めてサークルに文句を言う。こうした向上心や執着心といったある意味の才能が、体重がわずか90キロと、強豪の平均体重から20キロ以上も少ない中での「差」を埋めている原動力であるとあらためて感じる。
 10月8日が26歳の誕生日となった。
 おめでとう、と声をかけると、照れたように、しかし落ち着いた表情で「充実した25歳でした」と笑った。
 練習は続けながら少しずつ休養を取る。

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