10月5日

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オリンピック取材を終えて

 いつもHPを愛読してくださっている読者のみなさん、そしてシドニー五輪期間中ここに立ち寄ってくださったみなさん、約1か月もの間、さまざまな形でご支援をいただき本当にありがとうございました。やっと先ほど帰国し、また荷物だけ置いて今、京都に向かう新幹線の中でこれを書いています。
 今回の五輪では、HPでスポーツナビゲーションとタイアップして書いた記事は大会日程を上回る(笑)55回を更新したそうです。テレビでの仕事をほんの少しだけ手伝わせてもらい、朝刊スポーツ新聞「トウチュウ」で「シドニーからの風」というコラムを毎朝書いて、雑誌ではナンバーなどで書き、ほかの連載も現地でやっつける。4つの違う時間帯と種類の媒体で仕事をしようなんて、とんでもないことになりました。睡眠もあまり取れず、でも食欲は落ちない健康体だからこそ、乗り切れた日程でしょう。さすがに眠りながら原稿を打ったときには思わず笑ってしまいましたね。意識がないのに、結構まともなものを書いていまして(笑)。

 終わってしまえば、すべてが楽しかった、というところでしょう。
 読む方がいるからこそ、あれだけの仕事をやっつける意欲も沸くというものです。この場を借りて、読者のみなさん、原稿を受けてくださったスポナビ、田中君、トウチュウのデスク、部長、ともに仕事をする楽しみを与えてくれたTBSのみなさん、ナンバー編集部井上編集長、私を寝かせてくれなかった男No.1の同編集部の高木君、本当にありがとうございました。みなさんのおかげでミスや、ハードでの故障などなく帰国できたことは、本当に幸運でした。

「スポーツがあるからこそ」

 私が宿泊していたのは、マラソンのスタート地点に近い、ノースシドニーのハーバービューというホテルでした。ハーバーブリッジを渡って市内に入るのですが、部屋からの夜景は素晴らしく、しかしながら、夜景を見ている間もなく夜が白々とあける、そんな毎日でした。
 3週間もの滞在ですから、ルームメイドさんとも仲良くなります。私の部屋の担当はマニディさんというスリランカ出身の女性でした。彼女は国から一人で働きに来ていて、自国へ毎月送金をしているそうです。国には農業を営むご主人と、その家族がいるといいます。
 パソコン2台に、本と資料がカーペットに積まれている部屋で一日に一回は話をしました。このホテルにはテレビ各局の取材陣も泊まっていたため、彼女は(あまり披露しなかったそうですが)日本語も少し勉強していて、「おはようございます」とか、「お仕事なんですか」などを話してくれました。

 ある朝、自分が行くことになっているという陸上のチケットをわざわざ見せてくれたことがありました。それはやっとの思いで入手して、しかも金額もかなりのものですからね。それを同じスリランカから来ている友人とともに購入したというのです。その日は、陸上の女子200メートル決勝が行なわれる日でした。
「本当に楽しみで仕方ないの、もうずっと前から楽しみで待っているんです」
 彼女が声を弾ませます。世界的にはマリオン・ジョーンズ2冠達成の期待がかかる日です。しかし、彼女の楽しみが何なのかすぐに分かりました。ジャヤシンゲが出場するからです。
 彼女は97年のアテネ世界陸上でジャマイカのオッティにあわや、と迫る勢いでこの種目、銀メダルを獲得しました。貧しく、まして女性がそれほどおおぴっらにスポーツをできる環境にはありません。まるですい星のように、という表現がぴったりで、アジア人の女性としても大躍進でもありました。
 シドニー五輪でもしもメダルを獲得すれば、五輪でのスリランカ女性としては初のメダルでもあり、同時に男性と合わせても殖民地時代の英国選手をのぞけば初めての快挙でもありました。ルームメイドさんとその友人は、遠く離れたシドニーで、母国の女性の星を応援するために懸命に切符代を貯めたというわけです。

 私自身、ジャヤシンゲのどこか大らかで、しかもダイナミックは走りが好きでしたし、昨年は薬物疑惑で一年間の出場停止を受けた(本人は無罪を申し立てて審議され1年になった)後の復帰がどんなものか楽しみでした。今は米国のフロリダに住んでいるそうです。マリオン・ジョーンズからはさすがに遅れたものの銅メダルでゴールし、すぐにスリランカの国旗を体中に巻いて、ジョーンズとともにウイニングランに出ました。
 ジャヤシンゲの同国初のメダルを喜ぶとともに、あれを見ているマニディさんと友人は3階席のどの辺にいるんだろう、きっと飛び跳ねて喜んでいるのだろうとさまざまな思いがスタジアムの中でめぐりました。

「彼女がいたから、私たち女性の地位は少なからず上がったのだと思う。シドニーで働いたお金で、そんな歴史的なメダルを見られたんですから、本当にうれしい。夕べはみんなでお祝いしてました」
 翌日、シーツを変えてくれる彼女とそんな話をし、アジア女性スプリンター唯一のメダルとして、自分もうれしいと祝福しました。
 スリランカのことを私は食べ物以外ほとんど知りません。しかしジャヤシンゲという偉大な女性スプリンターがいて、シドニーで歴史的メダルを獲得し、そして特に女性たちに大きな支持を得ている、彼女のためにお金をため応援に行った女性たちがいるということ、これらはすべて「スポーツがあるから」知ることのできる話であります。
 オリンピックにはメダルと成績のほかにこうした話が無数に散らばっているのでしょう。今大会、非常に幸運にも私は日本人のすべての金メダルを現場で取材し、2つのメダル以外のメダル獲得シーンも取材することができました。しかしながら、私にとって五輪を取材する楽しみは、それだけではありませんでした。

 マニディさんは毎日、私の部屋に一部屋1袋のビスケットを6袋も置いてくれました。それが夜食どころか夕飯になってしまった夜も何度かありましたが、彼女の優しさに大いに助けられたと思います。
 ジャヤシンゲが走るのを見るたび、私は彼女との楽しい会話やスタンドに揺れた、あの原色の国旗を思い出すのでしょう。

 さて、閉会式で終わったかのように見えた五輪ですが、実は次の大会に向けての戦いはすでにスタートしています。サッカーはアジア杯に出発し、室伏広治(ミズノ)はハンマー投げの年間チャンピオンを決めるGPのためにドーハに出発します。
 スポーツの魅力とは私にとって「終わらないこと」にあります。
 ですから、私もリスタートし、また国内の取材現場や海外取材に戻ります。
 それではまた、スタジアムで会いましょう。

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