5月28日


体操NHK杯
兼シドニー五輪日本代表決定競技会
第2日目

(金沢市・県立体育館、男子6種目、女子4種目)

 すでにシドニー五輪代表に決定している塚原直也(朝日生命体操クラブ)が、鉄棒では大技のコールマンを決め、平行棒ではこの日最高点となる9.725をマークするなど安定した力を見せてNHK杯2連覇(113.400)を果たした。2位には、五輪までをもって廃部が決定している大和銀行の斎藤良宏(112.375)が入った。
 また4月の第2次選考での得点の半分を持ち点とした代表選考競技会の得点では、徳州会体操クラブの藤田健一がトップ(167.737)で代表入りを果たし、斎藤、笠松昭宏(徳州会)、岩井則賢(大和銀行)、原田睦己(セントラルスポーツ)がシドニー代表に選出された。塚原と合わせて6人が団体代表となる。
 女子では、NHK杯、選考会とも山脇佳奈(ビット体操クラブ)が制し、女子の代表(枠は2人)には山脇と竹中美穂(東海テレビ東名体操クラブ)が選ばれた。
 塚原(父・光男さん=ミュンヘン、モントリオール五輪金メダリスト)は2度目、笠松(父・茂さん=ミュンヘン団体金)、女子の山脇は(父・恭二さん=ロス五輪団体銅)と、両親とも五輪を経験した「2世代表」として、それぞれ初のオリンピックに挑む。

「依然、断崖絶壁」

 2次選考の時点で「五輪代表候補にはサポートを続けるが、それ以外の選手については活動を停止してもらうことにしたい。また五輪選手も9月以降は行く先を検討してもらわなければならない」と明らかにしていた大和銀行から、斎藤と岩井、2人の五輪代表が誕生した。
 斎藤は鉄棒と吊り輪で9.6をマークするなど積極的に難易度の高い演技にチャレンジし、ファンからも大きな拍手を集めていた。
「演技に関しては気負うことなくできたと思うが、現在の状況を考えると、この選考が終わったからといって大喜びできるものでもないし……。とにかくシドニーまでは行ける、そこでいい結果を出せばいいんだ、という心境でがんばっていきたい」と、複雑な表情を見せていた。
 順大から大和銀行と体操界では安定した進路を取ったはずが、会社の不振からクラブが廃部されることが決まり、さらには京都で染物屋を営む実家も経営難から店をたたむことになったという。
 日本の体操の発展にも大きく寄与した大和銀行には、専用の体育館もあり代表合宿などにも協力をして来た。関係者は「五輪の年にと思うが、精一杯踏みこたえたつもりです。選手には申し訳ないが」と唇をかむ。もしクラブごと売る場合は1億円といわれたが、不況のあおりで彼らが移籍できる会社も見つからなかった。競技との戦い以前に、環境との厳しい戦いがこれから果てしなく続くことになる。
「ほかにもいる仲間と最後までやり抜くために弱音など吐けないし、オリンピックで結果を出す」
 斎藤はそれでも前進する理由をそう話した。仲間と7人とともにオリンピックまで練習を続ける。

「ちょっと、いいですか」

 初の五輪代表となった笠松の父・茂さんは、女子で2位を狙っていた竹中美穂のコーチでもある。笠松が幼い頃から、茂さんは女子のコーチだったために直接細かな指導を受けるなどの経験はなかったという。
 日体大から塚原とともに「2世選手」として注目を浴び卒業して徳州会へ。塚原のように、常に父と母が寄り添いながら息子を見守るといった指導の形とは対極にあった。
 茂さんは竹中の得点を計算間違いし、2位には入っていないと諦めていた。そこへマスコミが「おめでとうございます」と殺到したために「本当ですか」と絶句して涙を流していた。
 練習で怪我をし、競技を続行できるか分からなかった竹中に集中していたのか、息子の結果には「私は聞かれればアドバイスをするくらいですから」と、試合中も、竹中の演技の合間にチラリと息子に目をやるくらいだった。
「父、というよりもオリンピックが目標でした。うれしいです」と笠松は試合後、ほっとした表情を見せた。
 国際大会にデビューしたとき、電光掲示板には、「笠松跳び」の技もあり、自分の名前よりもはるかに知名度のある父・茂の頭文字「S・KASAMATSU」と出たことがあった。あれから3年、五輪は「A・KASAMATSU」の名前を待っているはずだ。
「自分が五輪に出たときよりも感動しましたね」
 茂さんはそう言ってまたも目を潤ませていた。
 代表全員の記念写真の撮影が始まったとき、プロのカメラマンの後ろからジャージ姿で懸命に背伸びをしながら、笠松をインスタントカメラで撮影する男性が一人。
「ちょっとすみません、いいですか、撮らせてもらって」
 父は笑っていた。それをみつめる息子も笑っていた。

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