3月13日


マラソンシドニー五輪代表決定

 日本陸連はこの日、シドニーオリンピックの男女マラソンの代表選手を、理事会、評議会を経て決定した。
 女子はすでに内定していた市橋有里(住友VISA)に加え、東京国際女子マラソンで優勝した山口衛里(天満屋)、名古屋国際女子マラソンで優勝した高橋尚子(積水化学)。男子は佐藤信之(旭化成)、犬伏孝行(大塚製薬)、川嶋伸次(旭化成)となった。なお補欠選手として、女子は小幡佳代子(営団地下鉄)、男子は小島(おじま)宗幸(旭化成)がそれぞれ選ばれた。

市橋有里のコメント「立派な先輩方が選ばれて、心強い限りです。一緒に練習させていただくことはないかもしれませんが、お互いに刺激し合い、励ましあってシドニーで会心の走りができたらいいな、と思います」

バルセロナ五輪銀、アトランタ五輪銅メダリストの有森裕子(リクルートAC、今回は大阪女子マラソンで五輪に挑戦)の話「選考方法や過程にはさまざまな意見があると思いますが、選考結果が出た以上、選ばれた選手が気持ちよく本番を迎えられるように見守っていくことが大切だと思います。代表選手は、自らが目標としたレースで全力を尽くし、納得できる結果を出した人たちです。私としても選考レースで結果を出し、代表に選ばれた選手みなさんに素直におめでとうを言いたい。オリンピックに出場できる誇りと喜びを大切にシドニーのスタートラインに立って欲しいと思います」

「一発選考レースを実施して欲しい」

 日本陸連(東京渋谷区)ではこの日、午前中、強化と幹部の下案を作成するための打ち合わせが行われ、その案を理事会にかけて決定。資料配布のみを評議会に先駆けておこなった。選考理由については、まだ会見が行われていないが、JOC(日本オリンピック委員会)の八木会長が会見を行った。

 会長は、12日の名古屋女子マラソンにも観戦に訪れており、「高橋さんの快走で、(女子マラソンチームに)筋金が入った。陸連も決定は大変だったと思うが、こういう結論になったのだから、あとは気持ちよく戦わせてあげたい」と総評を述べた。

 そして選考方法について、「みなさんが一緒に出るレースをケアして欲しいとお願いした、最後は順位で決めるのではなく、記録になった。内定した人(市橋のこと)が27分で、ほか3人が22分というと、素人目にみても、町の中でスポーツを知っている人たちから見ても、なぜ(27分が)強いか、という常識的な質問も沸く。陸連主催で一発レースを作るようにお願いしたい」と、選考方法について提案をした。

 会長はこれまで、女子マラソンを金メダル有力種目と位置づけ、「いっそ6人で行って現場で絞れば」などと仰天プランを発言するなどしていた。この日は「余計なことは言いたくないので」としながらも、選考方法に提案をした。「金メダルを取って、国民の皆様の期待にこたえたいと思うし、JOCとしてはスポンサー企業から具体的な援助、栄養とか環境面でのサポートを積極的にしていきたい」と、金メダル有力種目に全力を傾けることを約束した。なお、会長は、「男子については何も言うこともなく……」と話していた。


日本陸連は午後5時から会見を行った。手前が佐々木秀幸専務理事、マイクを持つのが桜井・シドニー強化特別委員会委員長(撮影・MM)
 日本陸連は午後5時から、日本体育協会(渋谷区・岸記念体育館)で男女マラソン選考の過程についての説明を行った。
 また代表選考から漏れた弘山晴美(資生堂)が夫の勉氏とともに、同場所で会見を行い、「オリンピックのスタートには立てなかったけれども、マラソンランナーとして次のレースは楽しみにしたい。これから目標を切り替えて10,000メートルで代表を狙い、代表になれればメダルを狙います」と、毅然とした表情とユーモアを交えながら話をした。
 陸連ではまず原案を作る部会で3人の代表と補欠を決め、結果的にはこの原案が、理事会、評議会でも承認された格好となった。
 女子選考ではまず12日の名古屋国際女子マラソンで優勝した高橋尚子(積水化学)が決定。残る一議席を、山口衛里(天満屋)と弘山が争う恰好となり、その結果、「弘山選手は大阪で(世界一と言われる)シモンと競り合って勝負をした。山口選手は難コースとされる東京で、あれだけの強さで優勝を果たした。どっちが上と見るか、十分に議論を重ねた結果、山口となった」と桜井・シドニー五輪強化特別委員長が説明。女子マラソン3人はそれぞれ五輪初出場となる。
 男子の川嶋伸二(旭化成)も、「フィス(スペインのチャンピオン)と競り合ったことが非常に大きい」とした。男子の3人も初出場(川嶋はアトランタ補欠)。
 山口は、陸連合宿を行っている延岡で(男子の川嶋も同じ)、高橋はこの日午後、名古屋から帰京した足で積水化学本社(港区)に赴いてそれぞれ会見を行った。
 なお、補欠をいつまでおくか(誰かに故障などが出た場合の交替時期)は、今後検討することになった。

「原案を作った強化担当者会議、宗茂・シドニー強化特別委員会委員長の評価基準」

 モスクワ五輪、ロサンゼルス五輪のマラソン代表でもあった宗氏が、この日の選考基準について解説をした。
「陸連が論議を尽くして決めたという結果が第一」とした上で、「女子の代表3人はすごいメンバーになったと思う。世界歴代10位の中でも3人が揃って入っている」と決定については自信をのぞかせた。
 弘山と山口の選考については、「東京は気温18度の中で走った最高の結果といえる。日本人2位の千葉(真子、旭化成)と7分もの差がある。ほかのレースを見た場合、大阪はマラソンとしては絶好のコンディションだった中で、弘山と日本人2位の小幡(佳代子、補欠)との差は2分ちょっと。昨日の高橋と日本人2位の土佐も同じくらいの差。そう考えると、山口がいかに圧倒的な力で独走したかわかると思う。2人の優劣をつけるのは本当に難しいが、東京の山口のほうが一枚上だった」と、数字を例にあげる。
 また、オリンピックに初出場の3人で大丈夫かという懸念には、「市橋も、世界陸上で(ビッグイベントを)経験しているから大丈夫だと思う」と、過去、有森裕子がベテランとして加わったバルセロナ、アトランタとの比較にも不安はないことを強調していた。
 男子の選考は、自らが指導する小島と川嶋との争いになったが、「犬伏選手が決まった時点で(部会の)席を離れた」と、男子の選考には加わらなかったことを明かした。

 弘山夫妻の会見から(抜粋)

──今の気持ちを聞かせてください
晴美 マラソンでシドニーに出場するということが最大の目標だったが、スタートラインに立つことができなくて残念です。けれども大阪の結果には満足しているし、マラソン選手としてはまだスタートしたばかりです。もっと上の記録にチャレンジして行きたいし、10,000メートルもある。もし10,000メートルで代表になれれば、メダルも狙いたい。
夫の勉氏 確かにこういう結果になったことは残念です。彼女の力は、コーチである自分が一番よくわかっているつもりでしたし、僕自身はシドニーにも意外と自信を持っていました。彼女ならかなりやれる、と思っていただけに残念ではあります。
──今の体調、それと今後の予定を教えてください。
晴美 疲れは取れています。3月22日からボルダーで合宿を行って、帰国後4月23日の兵庫リレーカーニバルに出るつもりです。少しずつトラックに移行してシドニーの10,000メートルを狙う。
──選考過程について陸連からの説明は受けましたか。それと補欠に入らなかったことについては何か打診などはありましたか
晴美 説明はまだ聞いていません。(連絡は杉本ゼネラルマネジャーの元にまず入り、それを伝えたという)私はホテルで寝ていましたが、そのときちょうどニュース速報が流れて……。
 補欠になるかどうかの打診はありませんでしたが、あってもお断りする(10,000メートルのために)ことになったと思う。
──2000年一番強い女子マラソンのランナーは自分だと証明したいですか
晴美 そういうつもりで練習したい。
 20分を切るというマラソンへの手ごたえは、大阪の前のトレーニングでつかんでいるので、力は今後十分に示せると思う。
──聞かれたときのお2人のお気持ちは
 会話は特にはありませんでした。いくら夫婦といっても、彼女の気持ちを思えばそんな軽率なことは話せませんでした。悔しさを黙ってかみしめていた、というところでしょうか。晴美はある方とちょっと話したときに涙ぐんでいましたが、後はしっかりしていたと思う。
──高橋さんのレースをどう思いましたか
晴美 前半は遅かったが、きっとどこかでペースを上げるだろうと思っていました。ペースをあげたときは、凄いな、と思いました。きょうは、結果が出るまではやはり不安で、気を紛らわすために近くのデパートで買い物をしました。
──選ばれた3人には
晴美 そうですね、やはりいい体調でスタートラインに立っていただきたいと思います。
──自分がこのレースで成長したところは
晴美 生活の色々なところで自分の体調を管理できるようになった。10,000メートル内定の件もあった中での挑戦でしたし、精神的には大分強くなったと思います。
──選考についてはどう思いますか
晴美 選考というよりも……、いつもマラソンはもめていますし、最後までもめていたバルセロナの松野さん(明美)、鈴木さん(博美、積水化学)そして私と、3人とも同じ年なんですよ(3人とも選考されず)。なんか不思議ですけど。選考そのものについては、今の時点で私の方からは何も言えません。
──陸連は、勝負にこだわった、と選考理由を話しています。振り返って、大阪の時、シモンさんに勝つことに集中すればよかったのでは、とは思われませんか
 いえ思わないですね、22分台だからこうやって選考の中でも3人並んでの評価をしてもらえたと思う。あそこで23分、24分で勝っても、こういうことにはならなかったでしょう。それに、ラスト5キロで果敢に記録と勝負を狙ってスパートしていった彼女の勇気を、私は評価している。
晴美 あのレースで学んだことは私は後悔しません。
 マラソンを始めてまだ2回ですし、マラソン練習を満足にできたのは初めてでした。彼女も、私も次のレースが楽しみです。舞台はシドニーではなくなるけれど、2人とも次を励みにがんばります。
──励ましの便りもあったそうだが
晴美 単に速い、ではなくて、強かった、と言ってくださる声がうれしかった。強さは数字には表れませんが、これまでにない強さを持ったランナーだと言ってくださったことが本当にうれしかった。

山口衛里の話(会見より抜粋)「東京でシドニーをつかんだと思ってきたが、正直辛い時期もありました。日の丸を背負うこと以上に、シドニーではいいレースをしたいし、今年の最大の目標にがんばりたいと思う」

高橋尚子の話(会見より抜粋)「昨日(名古屋国際女子マラソン)走るまでは、『オリンピック、オリンピック!』とずっと思い続けてきたのに、きょうになったら逆になんだかオリンピックという実感がわかなくなってしまった。今は、これでようやくもう1本マラソンを走れる、昨日のようにまた楽しいマラソンを走れるんだという気持ちで一杯です。きょう、起きたときから、気分もとてもよくて足も痛くなかったんです。だから監督と60分のジョギングをして、東京に戻ってきました」


※参考:女子代表3選手のプロフィール

    ●市橋有里(いちはしあり)/1977年11月22日、徳島県鳴門市出身。157cm、40kg。大麻中学で陸上を始め、卒業と同時に上京、陸連の長期プロジェクト「東京ランナーズ倶楽部」に所属し、浜田安則コーチに師事。97年の名古屋国際でマラソンデビュー。98年の東京国際では浅利純子とデッドヒートの末、2位。4度目の挑戦となった99年世界陸上で銀メダルを獲得し、史上最年少(21歳)メダリストとなった。昨年11月にシドニー五輪代表に内定。
     選考レースでの成績…99年8月 世界陸上(スペイン・セビリア)2位 2時間27分02秒

    ●高橋尚子(たかはしなおこ)/1972年5月6日、岐阜県岐阜市出身。163km、47kg。藍川東中から陸上を始め、県岐阜高から大阪学院大に進学。大学ではインカレで1500m2位が最高位。4年の秋、高卒しか採用しないリクルートの合宿に自費参加し、強引に内定をもらう。小出義雄総監督(現・積水化学監督)の指導で力をつけ、97年の大阪国際では2時間31分32秒で7位に入った。99年アジア大会(タイ・バンコク)では酷暑の中でのレースを制し、日本最高記録(2時間21分47秒)をマーク。歓迎会で「オバケのQ太郎」を熱唱したことから愛称は“Qちゃん”。
     選考レースでの成績…2000年3月 名古屋国際女子マラソン優勝 2時間22分19秒

    ●山口衛里(やまぐちえり)/1973年1月14日生まれ。名門西脇工業高からダイエーに入社。不況のあおりを受けて陸上部が廃部となり、95年4月より岡山に本社のある天満屋に所属。98年の北海道マラソンで2時間27分36秒のタイムで優勝し、一躍シドニー五輪の有力候補に名を連ねる。99年11月21日の東京国際女子では難しいとされるループコースを2時間22分12秒(=日本歴代2位)の好タイムで走り優勝している。
     選考レースでの成績…99年11月 東京国際女子マラソン優勝 2時間22分12秒

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