3月12日


名古屋国際女子マラソン
瑞穂陸上競技場発着、午後12時5分スタート
天候:晴れ、気温:12度、湿度:43%、北東の風2.3m

<名古屋国際女子マラソン記録>
順位
氏名(所属)
記録
1
高橋尚子(積水化学) 2時間22分19秒
2 土佐礼子(三井海上) 2時間24分36秒
3 大南敬美(東海銀行) 2時間26分58秒
4 麓みどり(デオデオ) 2時間27分55秒
5 大南博美(東海銀行) 2時間28分32秒
 シドニー五輪女子マラソン最後の選考レースに、五輪切符をかけた日本最高記録保持者、高橋尚子(積水化学)が、2時間22分19秒と、自己の持つ日本最高に続く2番目の自己記録で優勝を果たし、シドニー五輪代表の座に大きく前進した。高橋はこのレースが、日本最高(2時間21分47秒)をマークしたバンコクアジア大会以来1年3か月ぶりのフルマラソンで、これでマラソンでの通算成績は4戦3勝となった。
 レースは序盤から高橋を中心に、ビッグレース初挑戦となる土佐礼子(三井海上)、一般参加をした元1万メートルの日本選手権覇者、麓みどり(デオデオ)、双子の大南姉妹(東海銀行)、藤川亜希(ラララ)らが先頭集団を形成し、中間点までは1時間12分40秒と、東京国際で優勝を果たした山口衛里(天満屋)、大阪女子の弘山晴美(資生堂)らの中間点通過記録よりも2分遅い、かなりゆったりとしたペースで展開していった。
 しかし高橋は23.2キロでスパート。ここから独走に入り、最大17分28秒まで落ちた5キロのラップを、一気に30秒以上あげて16分台に。25〜30キロを16分16秒でカバーして、2時間22分台での優勝を手中にした。
 高橋は最大の難関と言われるラスト2.195キロのあがりを7分21秒でクリア。2時間22分19秒の記録で、五輪代表に前進した。

    優勝した高橋尚子の5キロごとの通過タイムとラップ
    5km 10km 15km 20km 中間 25km 30km 35km 40km 記録
    16:51 34:04 51:19 1:08:47 1:12:40 1:25:38 1:41:54 1:58:16 2:14:58 2:22:19

    (17:13) (17:15) (17:28)
    (16:51) (16:16) (16:22) (16:42) ( 7:21)

 高橋尚子の会見(抜粋)

──まるでハーフマラソン2本を走るような感覚で走ったのですか
高橋 2本というより、後半は1本、と言う気持ちで走った。前半は自重したわけではないが、走り出してすぐにきょうは体調がいいとわかったので前半我慢すれば後半取り戻せる、と思っていた。小出監督からは、とにかくタイムよりも勝ちなさい、とだけ言われていた。ただ、ハーフで時計を見たら、このままだと24分台に落ちる、だから22分で走って文句なく(代表に)選ばれたいと思い、自分の判断でスピードを上げました。
──プレッシャーは
高橋 なかったというわけではないが、監督からは、オレを信じて、と言われたし、監督が不安を取り除いてくれた。
──スポーツドリンクは2本取ってましたが
高橋 1本はバーム(体脂肪燃焼の効率をあげる、とされるスポーツドリンク)、もう1本はバイオ茶でこれは体にかけていきました。
──気持ちよかったか
高橋 実際には風も応援も非常に気持ちがよかったです。自分の走りを見た人が、気持ちよさそうだな、ああやって走ってみたいな、と思っていただけるような余裕のある、気持ちのいいレースでした。
──ご両親は
高橋 横断幕のあるところにいる、と聞いていましたんで、多分あそこにいるんだろうな、とは思っていた。でも、監督の声だけは、どこにいても一番よく聞こえました。
──今回の体調は
高橋 実は2月の徳之島合宿の前に3、4日緊急入院をしてしまい、ふらふらだったんです。(公開取材日に)40キロをやった時は本当に体調が最悪だった。その40キロが一番きつかったです。きょうは、あのときの40キロに比べれば楽なものでした。
──本当はレースの目標設定もしていたのでは
高橋 いいえ、監督からはとにかく勝負しろ、とだけ言われていました。タイムは24分でも25分でもいいから勝て、と。今回は9割の仕上がりでしたが、世界陸上(昨年8月)の前の体調ならば、きょうよりも4分速く走れたと思う。

「サバにあたって、サバを読む」

 高橋は、前半これまでの過去3レース中、もっともゆっくりとしたペースで「忍耐」を経験した。遅いペースを維持することは、スピードランナーにとって、この上ないストレスになり、そのストレスゆえに実際には、一見楽に見えるスローマラソンに惨敗してしまう例も過去多くあった。
 しかしこの日の高橋は違った。これまでならば完全に自滅しかねないレースを後半から見事に自分のものに変えた点に、高橋の成長ぶりがあった。

 ひとつは、自らの体調の読み。ここまで自分自身として手ごたえのある距離走は踏めなかったというが、走りだしたトラック1周、高橋は足元を見ながらリズムを確立することに集中した。決して飛び出さず、無理なスピードも出さず。ここで「きょうはすごく調子がいい」という記憶を、体にインプットしたという。
 第2には、コース自体の読みである。名古屋はほかのコースと特徴的に違い、レース後半のハーフが、前半を上回る。つまり「前半我慢すれば、かなり回復できる」という特別な読みと、自信と、実際に名古屋でマークした記録を持つ(2時間25分)経験と、3本の強力な柱を支えにロングスパートに挑んだことになる。

 大会前、貧血と腹痛のため緊急入院していたことを明かしたが、実際、その徳之島で行われた40キロ走に、小出監督とともにワゴンに同乗した。その際の走りは、かつてないほど弱々しく、そして、途中で何度かトイレに駆け込むという悲惨なものだった。
 小出監督はこの日「あの時は、入院していて、もし取材日がなければ引き上げていたはず」と言った。取材陣が大挙して訪れる合宿に、突然のキャンセルはできない。そこで強行突破をし、無理な40キロを走らせた。しかし実際には、その無理が高橋の体調と、モチベーションへの点滴となった。
「みなさんのお陰です。あそこで来ていただかなければ走らずに終わった。無理をしてよかったんです」と、高橋は笑顔を見せた。腹痛で入院、点滴をした理由は「鯖の食べ過ぎ」と監督は披露し、笑った。治療には、徳之島特産の「アロエ」を毎日飲んで回復を早めたという。

 距離も練習スケジュールも結果的にはかなりの「サバ」を読むことになったはずだ。しかし、レースでは、前半と後半のペースを2分も切り替え、スピードだけでなく、鮮やかなテクニックまで披露してみせたといえる。技術点のほかに、アピールポイントも十分に稼いだ格好といえる。
 アジア大会から1年と3か月、長けい靭帯を痛め、手首を骨折し、最後の最後にかけたレースで力を発揮し、代表云々よりも日本最高を持つマラソンランナーとして意地とプライドをはっきりと取り戻せたこと、これが高橋にとって何よりの収穫だったに違いない。

 なお、小出監督はレース終了後、急きょ14日から22日までの予定でシドニー五輪本番のための練習地の候補選びを行うことを明らかにした。あす陸連理事会の決定を待って詳細を決定することになっているが、早くも本番に向けて始動することになった。

小出監督の話「高橋を見ていてかわいそうになるくらい苦しい時期もあった。けれども、よくがんばってくれた。この大会8日前、疲労を抜いてやることがレースで成果を発揮する一番の方法だ、と思った。顔は、貧血を訴えていたし、休ませたことが、幸いしたと思う。高橋はあと4分から5分早いレースができる。5キロラップを15分50秒(男子並み)にすることをシドニーまでの宿題にする」

2位、2時間24分36秒で「初マラソン日本最高(※厳密には初マラソンではない)」をマークした土佐「大学の時、一度遊びで走ってしまっていたんですよ。でも、きょうは小鴨さん(由水)の2時間26分の初マラソン最高を目指して走りました。いい流れに乗って、いけるところまで行こうと思っていました。次の五輪を目指していい練習をしたい

「史上最悪の選考レース」

 女子マラソンの選考レースに置いて、最初の「ボタンのかけ違い」は、昨年の世界選手権だった。ここで、圧倒的な候補だったはずの高橋尚子(積水化学)が欠場したことで、「日本最高を持つ高橋が世界陸上でメダルを獲得し代表に決定、残る2議席を国内選考で争う」としていた陸連、そして何より選手たち自身が抱いていた選考レースの「青写真」すべてが、ご破算になってしまった。

 すべての計算が狂う中、さらに予想外のことが起きる。
 代表最年少、アテネ五輪をマラソンのメダルを狙う、としていた市橋有里(住友VISA)が銀メダルを獲得してしまったからだ。市橋の強化プランが4年も速まったことが全体に与えたインパクトははかりしれないものだった。
 すべてのボタンの掛け違いがここから始まり、陸連は注意深さを徹底的に欠いた事務的処理のミスから、自らの首を自らできつく締めることになった。

 この日の名古屋で昨年11月、東京国際女子マラソンから4ケ月に渡って続けられた国内選考レースは、十分にキャリアを積み、国際舞台での経験もこなして来た3人のトップランナーが奇しくも22分台という「とてつもない記録」で並んで終わった。一体誰が、この結果に優劣をつけることができるだろうか。

 昨年10月以来、女子マラソンの選考の過程に密着する仕事に恵まれた。
 彼女たちの練習を、普段の言葉を取材するため十数回の出張をした。彼女たちが、まるで、レースに向かって細くなるばかりの平均台を走リ抜けるかのように壮絶で、しかも緊張感に満ちた練習に敢然と立ち向かう姿も何度も目の当たりにしている。

 東京国際で、「弱い自分と決別する」とそれまでできなかった自分のペースで押し切る独走レースに挑戦した山口衛里(天満屋)。初めて合宿地を訪れたとき、朝の海岸沿いを黙々と走り孤独と戦っていた。
 弘山晴美と勉(資生堂)は、五輪に出ることではなく、五輪でメダルを取ることを2人だけの志に掲げ、1万メートルの内定を蹴ってマラソンに挑戦した。簡単な決断ではない。
 最初の選考レースとなったセビリアの世界陸上で8位と見事入賞を果たし、大阪では25分台の自己新記録をマークした小幡佳代子(営団地下鉄)は、セビリアと2つの選考レースを走ってともに結果を手にしたたった1人のランナーとして称賛されるべきだ。
 長けい靭帯を痛め、手首を骨折し、アクシデントの数々を抱えて名古屋のスタートラインに立った高橋も、誰にも言うことのできない内面の、あるいは外的な葛藤と戦い続けたに違いない。

 この4人のうち2人が代表になり、1人が補欠に回る。誰1人としてサボった選手もいなければ、誰かの不幸を願ったりした選手もいない。
 弘山は恐らくこの日、都内でレースを観戦していたはずだ。願わくば、高橋が自分の記録をもっと大幅に上回る日本最高でも出してくれればいっそスッキリしたかもしれない。山口はあえて仙台でのハーフマラソンに出場したが、発熱でベストを下回る記録で7位に終わったという。2人ともが、高橋の走りを見て「強い」とは思ったはずだ。

 しかし一方では誰もが正々堂々と、自らの勝負だけに挑み、スポーツマンとして相手の成功に敬意を払った。
 日本陸連はすでに12日レース終了後から帰京した関係者によって隠密で選考に入っている。資料を揃え、13日の小部会、理事会、評議会を経てシドニー五輪マラソン代表が発表される段取りだけが決まっている。
 ひとつだけ断言できるのは、2時間22分という世界歴代10傑にも入り、今季の世界ベスト5にも相当しようかという2時間22分台をマークしながらもなお、落選しなければならない選手が1人いる、ということだ。
 しかしそれに感情的になることは陸連ではなく、逆に選手たちの「心」の方を傷つけてしまう。有森裕子は過去2度の選考で最後の最後に選ばれたことで、五輪そのもののプレッシャーと戦うこと以外に、「硫酸をかけるぞ」「練習中に足の骨を折るぞ」、また汚いブラックメールに耐える日々を乗り越えなくてはならなかった。

 選考3レースは、世界的に見ても、かつてない「史上最高のレース」だった。それは間違いない。しかし同時に、2時間22分台のランナーも五輪に出場できない、という、歴史上に残る「史上最悪の選考」になること、これもまた残念ながら間違いがない。

小出監督の選考についての話「22分台で代表になれない国なんて世界中どこにもないし、おかしな話だ。弘山(晴美)は強い、本当に強いマラソンランナー。現選考レースで22分をマークした3選手が、内定を受けた選手よりも劣っている点は少なくてもまったくない。自分は指導者としてそう思っている」

山口の指導をする天満屋・武富監督の話「ものすごい選考レースでした。本当に弘山さん、高橋、そしてうちの山口ともに自分の持ち味を存分に発揮した選考レースだったと思う。山口は、中でももっともいい記録をマークしておりレース内容もよかった。選ばれることを信じているが、一方で誰かが落選すると思うと、正直本当に辛くなるし、他人事には思えない。いい方法はほかになかったのでしょうか」

シドニー強化推進部部長の桜井孝次氏「前半は記録が厳しいかと思ったが、よく途中でペースを思いきり変えて行った。終わってみれば会心のレースだったのではないか。選考はこれで終わったので、あす、関係者から資料の提出をしてもらって代表(補欠も含めて男女4人ずつ)を決めます」

※参考:陸連の五輪代表選考を問う(Number連載『シドニーへのパスポート』第4回)

「持ち味を活かすということ」
文・山下佐知子(第一生命陸上部監督)

 大本命だった高橋さんが、最後の最後に快走し、シドニーオリンピック女子マラソン国内選考レースの幕を閉じました。
 きょうの高橋さんは、相撲で言うなら、まさに横綱のようでした。最後に出てきて、格の違いを見せつけるという……。
 前半ペースを抑えたのは、仕上がり具合が万全でなかったからだそうですが、5kmのラップが16分台に上がった後半は動き的には非常にいいものがありました。最初から最後まで16分台のラップで押して行ったとしても十分走り切れたのではないかと思います。そうすれば日本記録も可能だったかもしれません。

 しかし、きょうは前半抑えたからこそ、かえって高橋さんの持ち味がアピールできた点があります。それは、スピードの切り替え能力です。国際舞台で戦うにはどうしても欠かせないテクニックです。バルセロナオリンピックで、有森さんが金メダルに届かなかったのも、昨年の世界陸上で市橋さんがラストで置いて行かれたのも、スピード切り替え能力に欠けるというのが大きな理由です。私自身も世界陸上東京大会で2位ですから、金メダルに届かなかった1人ですが、やはり、ラストでスピードが切り替えられなくて負けました。私自身のスピードが落ちているのではなく、私もスピードupしているのですが、相手ほどに大きくupさせることができなかったのです。まあ私の例は時代遅れとしても、例えば、今年1月の大阪国際女子マラソンでも、弘山さんが35km過ぎでスパートした時、もっと大きくスピードを切り替えていたならば、シモンもあきらめてしまっていたと思うのです。じわじわとしか引き離せなかったから、後ろの選手から見ても、いつまでも“射程圏内"の差になってしまうのです。相手があきらめざるを得ないほど、インパクトのある切り替え能力、高橋さんにはこれがあります。2年前の名古屋国際ですでにその力は証明済みでしたが、今回は自らスパート地点を判断し、選考の重要ポイントである2時間22分台をクリアしたことが、2年前より格段に進歩したと言える点です。

 指導者として、選考レースに1人も選手を送ることができず、世界陸上、東京国際、大阪国際、名古屋国際と4つのレースを第三者的にしか関われなかったのは情けないばかりですが、たくさんのことを勉強させてもらいました。そのひとつは、選考レースでは、とにかくその選手の持ち味をいかにアピールするかが重要だということです。世界陸上の市橋さんの冷静さ、東京国際の山口さんの力強さ、大阪国際の弘山さんのレース運びのうまさ(最後に抜かれはしましたが)、そして今回の高橋さんの切り替え能力、本当に見応えがありました。オリンピック本番まで、各選手それぞれが、さらに持ち味に磨きをかけて、金メダルにつなげてほしいと思います。

BEFORE LATEST NEXT