シドニー五輪女子マラソンの最終選考レースとなる名古屋国際女子マラソン(12時5分、瑞穂陸上競技場発着)に向けて、高橋尚子(積水化学)ら国内招待選手の会見が行われた。このレースにシドニー五輪の出場権をかける高橋は「今は、監督の言う練習をこなせてよかったな、という思いだけ。明日のレースは自分でも玉手箱をあけるような(楽しみ)気持ちです」と、ラストチャンスを前にした気負いなどを感じさせることなく、リラックスしたようすだった。
すでにここまでの国内選考レースでは、東京国際で山口衛里(天満屋)が2時間22分12秒と、日本歴代2位にあたる記録で優勝を果たし、1月の大阪国際では2時間22分56秒で弘山晴美(資生堂)が2位ながら歴代3位のタイムをマーク。高橋も2人がマークした22分台をターゲットにすることになる。
さまざまなプレッシャーを背負ってはいるが、日本最高記録保持者(2時間21分47秒、98年アジア大会)の実力を発揮するレースに注目が集まっている。
招待選手の話(会見から):
<名古屋国際女子マラソン招待選手>
番号 |
氏名(年齢、所属)
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自己ベスト
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1
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ペテルコワ(39、チェコ) |
2時間25分19秒 |
2 |
ソバンスカ(30、ポーランド) |
2時間27分30秒 |
51 |
高橋尚子(27、積水化学) |
2時間21分47秒 |
52 |
藤村信子(34、同風クラブ) |
2時間26分09秒 |
53 |
後藤郁代(31、旭化成) |
2時間26分37秒 |
54 |
藤川亜希(21、ラララ) |
2時間27分42秒 |
55 |
甲斐智子(23、京セラ) |
2時間28分13秒 |
60 |
大南博美(24、東海銀行) |
2時間30分19秒 |
65 |
大南敬美(24、東海銀行) |
2時間33分05秒 |
バンコクのアジア大会で銅メダルを獲得した甲斐智子(京セラ)「昨年の東京国際を走ってからは普段よりも練習の走り込みは少ないと思う。多分走っても800キロくらいまでだったのではないか。スピードもまだまだですが、いいレースをしたい」
期待の新人、藤川亜希(ラララ)「調子はずいぶんと上向きになっています。昨年12月からマラソン練習をはじめてやっと走れるようになった。今回は、大阪の記録を(2時間27分)を上回って、最低でも2時間25分台をクリアしたい」
双子の姉妹、大南博美(東海銀行)「1月に石垣島で走り込んできた。今回のレースでは、全体の流れに沿って自分のペースで走りたい。なんとか25分台で走りきりたい」
妹の敬美(東海銀行)「2月の中旬に故障をしてしまったので不安はある。いい方向に向かいつつある。なんとか後半上げて2時間27分が出せるようにしたい」
高橋尚子の会見から:
──今の調子はどうでしょう。また、レース運びや目標について教えてください
高橋 まずこの場に来られてよかったと思う。セビリア(昨年世界陸上)では、この場(試合直前の会見)にも立てなかっただけに、ここまで監督のメニューをこなしてきて本当によかった。昨年12月の実業団から練習をスタートしたけれど、あすのレースは自分でも玉手箱を開けるような感じ。自分の体調と相談して、(レース展開を)決めたい。ただ、負けると思ってスタートラインに立つ選手はいないと思うので、悔いのないよう走りたい。
──東京、大阪の記録が22分台、気になりませんか
高橋 タイムが気にならないわけではありません。でも、今回は前の大会のことも忘れて、名古屋だけに集中しているし、あしたの風はどうか、あるいは自分自身が練習してきたものを出せるか、ほかのことを考えると、体がこわばったり、見えないものに縛られる、そういうこともあるかもしれませんから。
──アクシデントに泣かされたが(セビリア欠場、手首骨折)、何を学びましたか
高橋 レースなど何もなかったので、むしろあっという間というか短い時間でした。いろいろ勉強できるものは多かった。これまでは練習してただ監督の言う通りに楽しくやっていればいい、という感じだったが、ケガ(長けい靭帯の炎症)をしてからはストレッチをやり、故障をしないように意識して補強(トレーニング)をしなければならないんだ、とわかった。今まではボーっと過ごしていたけれど、365日、小さいようで一番大きなことを勉強したと思う。
──焦りはありませんか
高橋 確かに、12月くらいまでは焦りというか、見えない敵みたいなものに縛られていることも感じました。けれども、どうせ1日1日の練習をこなすなら、楽しく、監督について行くことが、不安や焦りを抱えてやるよりもずっといいと思いました。1日、1日を楽しくやろう、そういう考え方になったと思う。
──アジア大会前の練習と比べてどうでしょうか。また具体的に何を注意しましたか
高橋 あの時は、駅伝もあるし、セビリアは夏のマラソンでアメリカで練習した。今回は冬のマラソンですし、調整の仕方は全部違うので一概に調子がどうのこうの、と比べることはできません。私自身、蓋を開けるまでわからない、という状態。今はとにかく、監督のメニューをこなしてきてよかったな、というのが一番です。ケガをしたことで、毎日決められたオモリをつけてストレッチをしたり、補強をするし、外出から戻ったらうがいをする。それから手を骨折しないように(笑い)、つまずかないようにするとか、転ばないように注意するとか、そんな感じです。
──距離はどのくらい走りましたか。また、何か目標となるようなタイムはありましたか。(練習で)つらい時には何が励ましになりましたか
高橋 (月刊走行距離など)距離を数えたことがありませんので、アジア大会の前も1日、1日、必死でしたし、まあ1,000キロくらいは走ったかな、というくらいです。つらい時はやはり小出監督の力で乗り越えてきました。監督は前で笑って、いつでも明るくしてくださった。太陽みたいに私を照らしてくれました。監督のお陰です。参考にするタイムなどは、千葉のサンスポマリンマラソンで1時間8分55秒を出したので、それくらいです。
報道陣が200人近く詰め掛け、異常な緊迫感が漂うはずの会見は、東京とも大阪とも違う、不思議な雰囲気に包まれた。
つまり、これが「オリンピック」選考レースであり、高橋尚子自身がマラソン代表にどのくらいの決意を込めているのか、東京では山口衛里、大阪では弘山晴美、小幡佳代子、有森裕子たちが「五輪への思い」を明確に語っていたのと比較すると、かなり色合いの違った会見になったように見える。高橋が、「ほかのレースのことも、選考レースだということもあえて考えず、楽しく走りたい」と話すにとどまったからだろう。高橋の持ち味は、もちろんこうした「楽しみ」を前面に押し出して走ることであり、一見無欲なレースへの姿勢が、常に積極性を生んできたともいえる。こうした、いわば高橋にとっての「平常心」を取り戻している点は、プレッシャーの大きなレースにはプラス材料である。
一方、小出義雄監督は「時間が足りなかった。時間というのは、夏場のトレーニング(セビリア前)と冬場のトレーニング(今回のため)、その差がどう出るか、サンプルがない点」と、会見後、話していた。
確かに、12月のバンコクで冬ながら猛暑のマラソンを走り、このあとはセビリアを目指して、アメリカで夏場の練習をこなした。高地であることも含めて、このときのマラソン練習のクオリティが、これまで最高のものだったと監督は言う。
そこを基準とすると、今回、再度冬場の練習を、佐倉でこなした場合のデータが圧倒的に足りない。そして、夏の消耗がどれほど肉体に影響をしたのかを冷静に見る時間も、ケガや故障によって奪われている。スケジュール、サイクルが、一端乱れた中からの再起だけに、小出監督の心配は非常に理論的で、しかもプロにしかわからないものなのだろう。
「暑いバンコクも走ったけれど、真冬の名古屋も走れる、あの子はたぶんそういうたくましいマラソンランナーだとは思うんだ。だから、なんとかこの苦しいマラソンを走ってさえくれれば、5、6、7月と夏場に高橋には適性のあるアメリカでの練習を十分にこなせて、9月以降にものすごいレースができるときにぶつけてみたい。なんとかがんばってほしい」
もちろん9月こそ、シドニーマラソンの本番である。
スタートから全速力はするな、という以外、ペース設定もしなければ、レース展開への指示も出さないという。大会前にはペースメーカーをどうするか検討もしたが、「ラビットはいるか、と聞いたら、高橋がいらない、と言うんだ。たぶん、自分で走るほうがいいんだろう」と、信頼を寄せる。
すでに走ったライバル2人の22分という時計、ライバル不在の単独レース、見えないプレッシャー。これらに勝ってゴールに飛び込むようなら、同時に五輪のメダルにも手が届いたといっていいはずだ。
高橋のレースにはそれほどの難しさと、とてつもない可能性が秘められている。
「あの子が、玉手箱を開けるような気持ち、というんなら、オレもそれに付き合うよ」
玉手箱の中身は果たして……。