1月12日
Special Column
「レナトクーリの北風」
中田英寿がまたひとつ階段を上る。
12日、日本時間の深夜、この原稿を書いているほんの1時間前に、現地ペルージャの知人、何人かに電話をかけてみた。
そのうちの1人の携帯からは、冷たい北風がそのまま受話器を通して耳に届くかのような「音」が聞こえた。レナトクーリには冷たい北風が舞う。ちょうど丘に囲まれた中心にあるため、風の方向も一定せず、冬になると厳しい底冷えがする。初めてペルージャに行った一昨年の秋、現地の記者たちに「彼が、このペルージャでの冬を果たして乗り越えられるかな」と言われたことを、ふと思い出した。
電話の相手は、移籍がほぼ決定したという報道を聞きレナトクーリで行われている午後の練習に、今まさに駆けつけたところだという。恐らく、金網にへばりついて、ペルージャでは残り少なくなった練習に参加している中田の姿を遠くから見ているのだろう。
「ええ、本当に……」
彼女は、あのスタジアムの周りに吹く、独特の冷たい風に負けないように怒鳴りながら返事をしてくれる。
「ええ、本当にこんなに寂しい気持ちになるとは思わなかったの。だから、来てみました。私と同じような、何ともいえないような寂しさを抱いていると思うんです。ペルージャのみんなが……」
'98年夏、日本人の一体何人がイタリアで唯一海のない州にあるペルージャ、という町を知っていただろうか。ここをウンブリア地方と呼ぶこと、盆地に囲まれていたこと、バッジチョコレートのホームタウンであること、ローマからは車で2時間程かかること、電車ならどう行き、バスなら何時で、ホテルはどこが便利か、レナトクーリスタジアムへの行き方は……。この1年と何か月で、日本人のサッカーファン多くが、ペルージャという小さな町に関心を寄せてきた。
私自身、彼の移籍のお陰でペルージャを知り、近郊にあるさらに田舎町に練習試合に行くこともでき、さらにそこにもう100年近くもある小さなクラブや、そこで暮らす人々がいかに深くサッカーを愛しているかを知ることができた。しかし同時に、中田の存在は日本人だけにではなく、ペルージャの人々にとってもまた計り知れないほど大きなものだった。
13日の現地のある朝刊コラムにはこんな記事があった、と彼女が教えてくれた。
「中田は移籍にハイ(HAI)と言った」
記事は、中田がペルージャを離れ、ローマに行くことについて合意した時の「YES(※イタリア語ではSI)」を「ハイ」と返事したという想定で始まる。イタリア語にはHの発音はなく、HAIは、AI=アイと読むことになる。
アイとは、イタリア語で「痛い」という意味である。そのいわば「掛け言葉」を使って記事は続く。
「私たちにとって、中田がここに来たことによって得た時間を思い出にすることには、本当に痛みが伴うのだ。中田にも、私たちにも、ペルージャにも、そしてこの街中にも」と書かれている。そして、「しかし痛みは痛みでも、これがきっと痛みだけでは終わらない、もっとすばらしいものに変ることも理解しなくてはならない」
ペルージャに一度でも行けば、人々が中田をいかに暖かく見守って来たかが分かる。もちろん、観光収入を目当てにした、そう言う側面もあった。しかし、それはほんの一部の話だ。
昨年10月22日のベネチア戦を取材に行った際、アリタリア航空の隣席に、自動車メーカーに勤務するご主人が日本支社におり、夏休みに1人でペルージャの実家に帰るという女性と出会った。彼女も面白い話をしてくれた。
「日本人に知名度を高めただけじゃないのよ、中田は」
セリエAに戻ったばかりのペルージャは、イタリアの中でさえ取り上げられることのないチームだった。しかし中田が入り、最初はもの珍しい日本人として注目を浴び、そして本物の実力で常にイタリアの注目を小さな街に集め続けることになった。
「とても誇らしい気分よ。これまでは、え? ペルージャ? って言う感じだったのが、今は、ああ、中田のいるペルージャって。これはとてもうれしいことだった。それに、観光に多くの人々が来るようになって、静かな街のささやかな暮らしが彼らに愛されることにもなった。素敵なことよ」
サッカーのファンでなくても彼女のような気持ちで彼を見ていた人々があの街には大勢いた。中田も、「のんびりと暮らすには本当にいい所だね」と話していた。彼があれほど早く言葉を覚え、仲間と楽しい時間を共有していたのも、本人の努力はもちろんだが、普通の人々の暖かさゆえでもあった。
中田が去ることを「痛みが伴う」と書いたコラムの主張、つまり、痛みはあるが、しかし中田のような可能性を持った選手がここに留まっていてはいけない、この移籍を祝福しようとする複雑な気持ちがこの日のペルージャ全体の気持ちを、代弁するものだったのだろう。チームの大黒柱が高額の契約金をものにしてチームを去る、という事実関係だけではかたのつかない「心境」がそこにある。
北風の舞うグラウンドに立っている彼女によれば、過激でなるサポーターもガウチ会長をののしったり、中田に行くなと言ったりするなどそういった光景はまったくなく、ただただ呆然としている状態だという。
イタリアの中でも、どちらかといえば「閉鎖的な」地域であると聞いた。しかし中田はそこに受け入れられ溶け込んだばかりではなく、人々との心の連帯を持った。私たちマスコミが常宿にして来たチョコホテルに住んでいる82歳のお婆さんは娘さんの家が中田の隣だとよく自慢してくれた。「あんないい男の子はいないわ」とも。
中田はきっと、この数日間、ある意味で辛い別れをいくつもしなければならないのではないかと思う。移籍はビジネスであり、ガウチ会長や今後のペルージャを思うとき、今回は良かった、というべきかもしれない。辣腕の代理人もついている。しかし突然やって来る別れはそんなに慣れるものではないはずだ。もちろん彼のことだ。センチメンタルになんてならずに笑って「チャオ!」と言うに違いないのだが。
グラウンドに立つ彼女から受話器に届く北風の音は、止まない。
中田は移籍を、ペルージャを去ることを決めた今、あの北風の中で何を思っているのだろう。
受話器に響く音に、耳をすました。
「果たしてデビュー戦は?」
現地のジャーナリストらに確認したところ、現時点(12日午後)では2通りの見方があるそうだ。
ペルージャはあす13日、ユベントス戦を想定した練習試合を行うことになっており、この試合にはマッツォーネ監督は「中田は使わないだろう」と話した、と伝えられる。しかしメンバーとして16日のユベントス戦でプレーをし、会見で本人がコメントをし午後にローマに移動して18日から合流、というスタイル。もうひとつは、ユベントス戦には出場せず、その場合は今週中にもローマに移る可能性がある。16日、ローマはホームのオリンピコスタジアムでベローナと対戦する。
16日、中田はどちらのユニホームでピッチに立っているか、あるいは立っていないのか、注目されているという。 |