学名のススメ(1)-6

ふじもり@えりー


著作権と引用

学名は誰かがつけたものだということはこれまでの話ですでにお分かりだと思う。
では、

その学名はいったい誰が、いつ、どこで名づけたのだろうか?

ある虫に名前(学名)を与えるということは、分類学者の仕業であり、彼らの分類学的考察の結果である。
このような行為を記載するという。
記載は、学術雑誌に発表される場合、著作(本)の中でなされる場合などがあるが、いずれの場合も一般に入手可能な(世界中で)媒体が用いられる。
したがって、まことに悔しい限りであるが、地の文は英語で書かれることが望ましいとされている。
別に日本人は日本語でもかまわないのであるが、国際的な学術論文が英語で書かれる以上その慣例に従うのがよい。
どうしても英語に不慣れで日本語で記載した場合には英語のsummaryを添付するのが通例である。
日本の虫は日本語で記載したっていいじゃないかと思うかもしれない。
でも、近縁種が近隣諸国に存在する場合、その国の分類学者がマイナー言語である日本語を勉強しないとならないというのはちょっとかわいそうである。
じつは、これは切実な問題だったりする。
日本に生息する虫を日本人が分類するときであっても語学の問題はつきまとうのである。
理由の一つは、日本の虫は日本だけに存在するわけではないからである。
同種、あるいは近縁種が朝鮮半島(韓国・北朝鮮)、中国、台湾、ロシア、東南アジア諸国に存在しているのである。
目の前にいる虫をどのように分類し、名前を与えればよいかということを分類学者が考えるときには、近隣諸国の似た虫の記載文献を参照する必要に迫られるのである。
理由の二つ目は、クワガタの例を見ればわかるように、外国人が幕末〜明治に日本の虫を記載しているということである。
そもそも分類学というのはヨーロッパで進んだ学問である。
イギリスはともかく、フランス語、ドイツ語・・・。
日本の虫を研究する場合も、外国語は必要になるのである。

インターネットが普及した今となっては紙媒体による情報伝達は時代遅れといわざるを得ないが、実は、CD−ROMは一定の制限内で可能となっている。
しかし、電子媒体は無効であると現在の命名規約では規定している。
くわ馬鹿はこれだけ多くの人の目に触れるのであるから、情報媒体としては非常に優れた手段であるが、記載の媒体としては不適切である。
これを逆手に取ると、くわ馬鹿であろうがなんだろうが記載という行為自体は(有効・無効に関わらず)個人の自由なんだから、別に記載したってかまわないということになる。
誰もやらないのは、それが意味のないことだからである。
パロディとしては面白い試みではある・・・(ニヤリ)。

話が少しそれたが、学名に戻るとしよう。
手元の何でもよいから学名が書いてある著作を見てみよう。
これまで例にあげてきたようなイタリックで書かれた学名の後ろになにかついていませんか?
例えば、

Pidonia (Pidonia) limbaticollis ohbayashii (Matsushita, 1933)

括弧に入った人の名前、そして年号と思しき数字・・・。
これは良く見かける形式であるが、これまでの学名の説明ではそんなことは一言も言っていない。
挿入名としての学名は語数を数えないということはすでに述べているとおりであるが、後ろに括弧でついた語は学名だとすると二語法、三語法を破ることになってしまう。
そう、良く見かける形式ではあるが、イタリックでないことからも分かるように

学名の後ろに書かれた人の名前と年号は学名ではない。

ある虫を新種として記載し発表する著作の中では普通このように書かれることはない。
誰かがすでに記載されている虫のことを、著作のなかで引用するときにこの形式が現れるのである。
なぜならば、この虫を新種として記載した松下さん本人が発表したんだから、わざわざ著者と発表年を書く必要はない。
それは自明であるからだ。
ただし、一つの著作の中で複数の記載を行い、先に記載された種について後で言及する際にはありえることである。

過去に記載さえた種について、著作中でその種について引用するとき、それが引用であることを示すために著者名日付(年号)は明示的に示されるべきであるということを命名規約は勧告している。
つまり、この虫は松下さんが、1933年に(どこかの著作で記載した)オオバヤシヒメハナカミキリという虫のことを指している。
また、著者名が学名の一部でないことを明らかにするために、イタリックではなく普通の語体で表現される。
また、発表年はカンマ1字で区切られる。
その著作のフォーマットにもよるが、たとえば著者名はすべて大文字で、頭文字だけ普通の大文字、2字目以後はスモールキャピタル(小さな大文字)で表現するような雑誌もある。
いずれにせよ、学名に引き続き記述されるため、学名と明瞭に区別されるような記述が望ましいのである。

著作者が一人の場合は当然そのひと一人の名前である。

複数である場合には2通りの書き方がある。

二人の場合にはその二人の名前が"et"(ラテン語でいうところのand)で結合され三人以上の場合には、筆頭著者の名前だけを明示し、のこりは"et al."として省略することが多い。

普通の人は原記載論文なんて目に留めることはまずないだろうが、 多くのクワガタ愛好家がよく目にする図鑑を開いてみれば、このように著作権を明示してあることに気づくだろう。
しかし、上の例のように著作権を明示して書かれたものはすべてが学名ではない。
イタリックの部分だけが学名である。

実際の著作では、多くの場合学術論文であるが、最後に引用文献(referenceあるいはliterature)として引用した文献を正式に著作者名、論文表題、発表した著書(雑誌)名、頁、発表年をリストアップするので、本文中では著作者と年号だけでもかまわない。
読者は必要に応じて、この引用文献を探すことができるのである。
逆にいうと、引用文献のリストがない著作中で学名のうしろに著者名と年号を引用することは、まったくもって意味がない
せいぜいその学名を記載した著者名と年代がわかるということだけである。
分類も学名も良く分かっているプロの出版社は当然この手のことは良く理解した上で学名を表記しているので、素人の私がいうまでもないことであるが、最近良く分からないでとりあえずクワガタ雑誌を作っているような出版社もあるので、とくに図鑑のような多くの人が目にするようなものでは、著作権を明示する場合は正式な文献リスト(できればシノニミックリストも)を巻末に添えるように注意を喚起したい。
シノニムについては第二回で触れる。

ついでなのでもう一つ加えておこう。
もしある著作のなかで、その種までは特定できないが、Pidonia属に属していることまでは分かったとしよう。
あるいは明らかにPidonia属の1新種であると思われるが、まだ名前が与えられていないとしよう。

そういうものを表記する際には、

Pidonia sp.

もし、種までは特定できるが、これまで知られているPidonia limbaticollisとは異なる亜種と思われる場合、あるいはまだ名前が与えられない亜種と思われるときは

Pidonia limbaticollis ssp.

と書かれる。
sp.はspecies (種)、ssp.はsubspecies(亜種)の省略形である。

PidoniaPidonia limbaticollisも学名であるが、sp.やssp.はイタリックではないことから分かるように、学名ではない。

基本的なことであるから、くれぐれも間違えないようにしたいものである。


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