届かないものを身近に感じて

 これまでいろんな旅をしてきた。2週間南アルプスを彷徨ってつかんだのは、自然に忠実に生きるということだし、バイクで闇を突っきってつかんだのは、孤独のねじ伏せ方。四国サイクリングに行くフェリーの中で思い浮かんだのは、自分のライフスタイルのモデルだし、逆らわず流れてみようと始めたカヌーでつかんだのは、淀んでもいけない流されてもいけないということだった。
 3日間の有給休暇をつかい、総合口座に15万円という赤字が打ち出されたこの香港の旅で、僕が発見したのは「小さな自分」そのものだった。いろいろと自分で自分を試してみたが、僕らしいと言えばそれまでかもしれないけど、言葉が通じたか通じなかったかの問題じゃなく自分の思いを素直に伝えられなかったし、自分の殻に閉じ篭もっている自分がそこにいた。確かに、Lucとの出会いは素晴らしかったけど、卑屈な自分、卑怯な自分、虚栄の自分をそんな甘いオブラードでくるんでみたところで、僕の旅の価値は所詮セット価格でしかない。今はまだ、日本との習慣の違いに一喜一憂して驚いていれば満足出来るかもしれない。そのうちきっと分かる時がくるだろう、もっともっと真剣に考えなければならないことが沢山あるということに。 「与えられるのを待つだけでなく、自ら前向きに動き、肝を据えて体当たりを繰り返し「好きか嫌いか」という単純で女々しい尺度を投げ捨てて、必要に応じて必要な手が打てる大人に少しでも近づかなくてはならない。くだらい冗談をのべつ飛ばし、流行に振り回され、他人の視線の中でしか充実を得られず、逃げることばかり上手でしまいには自分自身が困るだけのそんな日々に見切りをつけるには、きちんとした旅をするのが一番だ」と一時期僕がかぶれていた丸山健二さんも「本物の旅のすすめ」という一文の中でこう語っている。


<<トップページへ>>   <<もくじへ>>   <<次の章へ>>