福岡 〈 早良美術館るうゑ 〉で個展。

作品はそのまま流れを汲む。
るうゑ通信第1号に制作コメントを求められ、甚(はなは)だ困る。


るうゑ通信に寄稿:

「熱く、冷たく、強く、弱きもの。
不確かで、脆く相対的な存在。
それでいて、確かな、崇高な、
絶対的なもの、真理を夢見る。
そういう人間性、またその揺らぎを考える。

強く在りたいために、弱さを知る。
諦観(たいかん*)。
・・・『自然』で在りたいと思う。
私の中の『自然』を見極めたい。
そうして自己実現をめざしたい。」

たい‐かん【諦観】〔仏〕明らかに真理を観察すること。
てい‐かん【諦観】 入念に見ること。諦視。あきらめること。



←「AIS展」出品作品。


福岡〈 ギャラリー源 〉で個展。

キャンバスに和紙をコラージュ、オフホワイトとペイニーズグレイといった色調。
「floating gray」というシリアルタイトルと分別記号を付加、初の試みであった。

それまでは専ら「無題」を気取っていたが、
そろそろ作品のファイルと整理に支障を来し始めたせいである。

低彩度で明暗のコントラスト。上から貼られた明るい色の和紙はのっぺりしている。
暗部には細かい肌合いの濃淡が見える。

「強い日差しのなか、日陰を見ると目が眩んでよく見えない。しかし現実にはそこに在るもの」。

乳白部分は、上から貼る行為ながらも、壁画の剥落部分のアレゴリー。
(貼る、剥がれる、プラスとマイナスという逆の作用で似た結果を生む、という目論み)

打ち消された空白をもたせることで、観る側への投げかけとする意図であった。

…落ち着き老成した雰囲気、と鑑賞者にはとらえられた。

「上手い、だが若いのにこういう枯山水は早すぎる」

「岡田謙三を彷彿とさせる。」

といった皮肉っぽいコメントをいただいた。