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初めての人間ドック

 早期発見早期治療について


2007.12.08. 掲載
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この1年間でに、生まれて初めてという体験をいくつか持った。初めての入院、初めての手術、初めての世界一周クルーズ、初めての1600枚もの大量写真の整理、そのほかにもあるが、昨日受けた人間ドックもその一つである。71歳になるまで人間ドックを受けたことがなく、もうこれからは受けないつもり、という人間も珍しいだろう。医者ともあろうものが(正確には「医者だった」だが)とか、「医者の不養生」と思われるかもしれない。


これまで検診を受けた来なかったわけ

私はこれまで人間ドック的な検査を受けたことがない。その理由を、過去をふり返りながらまとめてみた。

1)健康に不安を感じたことがほとんどなかった
37歳で開業したが、それから引退するまでの32年間、快眠快食快便で、病気で休診することはなかった。

2)死ぬ時に悔いの少ないように生きようと思ってきた
私にとって、それは、したいことをするとほぼ同じで、目標値を80%、最低値を60%としてきた。

3)死亡想定年齢を決めていた
いろいろな条件を勘案して、70歳までは生きることができるだろうと想定していた。

4)最終ゴールまでの限られた時間を無駄に使いたくなかった
人間ドック的な検査を受けることによって、別の検査とか治療を受ける必要が出てくるかもしれない。それによって、死亡想定時期までの貴重な時間をとられたくはなかった。生きながらえようとするより、したいことをし終えておくことの方が、私にははるかに価値があった。

5)症状(苦痛)があれば検査も治療も受ける
人間ドック的検査とは、無症状であるのに、病気の早期発見を求めて受ける検査とも言えよう。それに対して、苦痛のある症状があって、それに対して検査や治療を受けることには抵抗はない。したいことをするのを妨げるものは、取り除こうと思う。

その場合でも、様子をみるとか、自然治癒力を高めようと試みるだろう。実際猛烈な下痢とそれに続く尿管結石、尿の腎盂外溢流による猛烈な腹痛の際には、検査や治療を受けた。また、前立腺炎と前立腺肥大症により尿閉を起した際にも、検査や治療(手術も)を受けた。


今回人間ドックを受けたわけ

飛鳥Uでクルーズ中、私の体重が少し減ったことを妻が極度に心配して、繰り返し検診を受けることを求めた。その頻度と程度に耐えかねて、一回だけ受けることを約束してしまった。一旦約束したことを、反故にするのは嫌な性分なので、受けることになったという次第。

一般血液検査、心電図検査、胸部X線検査、腹部エコー検査、胃透視検査、オプションで胸部CT検査を加えてもらった。結果は重大な異常はないとのことだった。


これからは、人間ドック的検診を受けないつもりでいるわけ

1)オマケの人生に入ったから
今年の4月に71歳を迎え、オマケの人生に入った。本当の人生で、したいことの70%を果たせたと自己判断できたので、もういつ死んでも悔いはない。これからは、これまでの本当の人生から離れ、自由に生きようと決めている。早期発見をして、少しでも長生きをしようとは思わない。なるがままで良い。遅かれ早かれ死ぬのだから、死ぬ時は死ねば良い。

今回の人間ドックを受ける前に、もし、この検査でガンなどの異常が見つかった場合にどうするかと妻に問われ、何もしないと答えた。それを聞いた妻は、もうこれからは検査を受けることを私に求めないと言った。見つかっても放置するのであれば、知らない方が良いというのが妻の考えのようだ。

2)苦しい症状があれば、検査を受けたり、症状を軽くする治療は求める
苦しみたくはないから、苦痛を軽くするために検査を受けたり、治療を受けることはするつもりだ。しかし、延命治療に移行することは、可能なかぎり避けたい。


医者の不養生について

人間ドックを受けないとか、早期発見早期治療を求めないなどと言うと、反射的に「医者の不養生」の見本のように言われることがある。他にも、私の生き方について医者の不養生と言われたことがあった。他人にどう言われても構わないが、へそ曲りの私には、医者の不養生と言うことばの誤用だと思えるのだ。

医者の不養生」の意味は、1)患者に養生をすすめる医者が、自分自身はかえって不養生をしていることから、理屈ではわかっていながら、実行が伴わないこと。2)医者は無茶を承知で仕事をして、身体を壊してしまう。分かっていても、忙しくて自分まで管理が回らない。という二つのケースで使われているようだ。

1)について、私の場合、症状のある人に検査をし、あるいは、他の医療機関での検査を勧めることはあっても、人間ドック的検査(いわゆる成人病検査)を積極的勧めたことはない。もちろん、それを望む人には、持っている情報を提供することは行なってきた。だから、人に勧めながら自分は実行しないということは、当らない。

2)について、確かに忙しくて朝食や昼食はインスタントものなどを早食いして来たが、それで自己管理ができていないとも思っていないし、そのため自分の健康に悪影響があったとも思っていない。


早期発見早期治療について

昔から「早期発見早期治療」ということばが、誰も疑うことのできない真理として、使われてきたようだ。確かに、放置しておれば手がつけられなくなる病気を早期に発見し、それを早期に治療することで、治療効果が高まる場合は非常に価値がある。

しかし、早期発見が本当に早期発見なのか、放置しておれば手がつけられなくなるほど悪化するものなのか証明できていない、あるいは、本質的に証明できないものもあり得る。

また、早期治療をしなかった場合に、手がつけられなくなるほど悪化するということについても、証明されていないもの、あるいは、本来証明することができないものもあり得る。

そのような場合に、それを分かっていて、「早期発見早期治療」を勧めるのは罪悪であり、分かっていなくて勧めるのは、無知であると言われても致し方あるまい。

また、医学的に証明されたという場合、多くは統計処理により、ダブル・ブラインド・テストで有意差があるか否かで判定されている。多くは、正しいと判定して間違う割合が5%以下であれば、危険率5%で証明されたことになる。

この場合、5%については当てはまらないのだということを理解しておかなければならない。それを分かっていて、100%証明されたように説明するのは、罪悪であり、知らずに説明するのは、無知であるといわれても仕方があるまい。

証明された事実にも5%の例外がある。その例外に賭けるという選択もまた、尊重しなければならないのは当然であろう。

それに似ているが、95%証明された事実を認めた上で、それを選ばず、あるがまま、なるがままに生きるという選択も尊重されるべきであろう。


あとがき

健康に関するエッセイとして、健康一口ことばを掲載したことがある。これは私の人生哲学心に生きることばの中から、健康に関するものを抜粋して分類したものだった。今回の「初めての人間ドック」はそれに対する補足のつもりである。

あたかも真理であるかのように君臨している、「早期発見早期治療」ということばについて、このような側面もあるということ。そして、医療というものは、一人ひとりの生き方と切り離せないものであるという問題提起をしたつもりだ。

賛同を期待しているわけではないが、自分の頭で一度考えてみていただければ、これを掲載した甲斐があったと思う。大きなお世話であれば申し訳ない。


<2007.12.8.>

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