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大腸がんの肝転移の手術

2021.04.16. 掲載
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目次
 1.はじめに
 2.大腸がんの肝転移を疑う 20-12-02
 3.S病院で外来検査 主治医交代 20-12-04
 4.S病院入院 21-01-18
 5.手術当日  21-01-19
 6.術後第1日 21-01-20
  6_1.地階控室のせん妄
  6_2.一階片隅のせん妄
  6_3.深部静脈血栓症の予防
  6_4.病室で一人過ごす
 7.術後第2日 21-01-21
 8.術後第3日 21-01-22
 9.術後第6日 21-01-25
10.術後第 8日 21-01-27
11.術後第 9日 21-01-28
12.術後第10日 21-01-29
13.術後第11日 21-01-30
14.術後第12日 21-01-31
15.術後第13日 21-02-01
16.術後第14日 21-02-02
17.退院     21-02-04
18.主治医交代  21-02-17
19.まとめ


1.はじめに

3年前に、S病院外科で生まれて初めての全身麻酔の下、大腸がんとして、大腸の約半分を切除する手術を受けた。このような体験はかけがえなく貴重なものであり、その体験記録をこのサイトに残している。

大腸がん手術後、定期検診を受けてきたが、術後の経過は良好で、がんの再発、転移を意識することが薄れ、老化の加速度的進行の中にあって、命がある間にしておきたいこと、しておかなければならないことに関心が向かう状態の毎日であった。

老化の中で最もその程度の大きいのは聴力の低下で、補聴器外来通院での改善はほとんどなく、これに時間を費やすのは時間の浪費だという気持ちで過ごしていた。


2.大腸がんの肝転移を疑う 20-12-02

ところが、20年12月2日の定期検診で、腫瘍マーカー CEA が17.8の高値を示した。
正常値は5.0以下とされている。1年前の19年11月20日の定期検診では2.1だった。 これは一大事、大腸がんの再発か転移の疑いがある。

N医師は、即刻必要な諸検査の予約を取り、手術の段取りを進めた。コロナ禍の最中であり、年末年始が多忙な時期であることを考慮しての迅速な対応に心から感謝した。


3.S病院で外来検査 主治医交代

20年12月9日  腹部エコー検査、肝臓脾臓のMRI造影検査

大腸がんの転移は圧倒的に肝転移であるという統計的データがあるが、検査結果もそれを裏付け、肝転移だった。

20年12月16日  K医師診察
CEA の高値が大腸がんの肝転移によるものの可能性が高くなったので、主治医は下部消化管チームのN医師から肝胆膵チームのK医師に交代した。

20年12月23日  尿、採血、出血時間、X線撮影、心電図、呼吸機能、歯科診検査を受けた。
はて歯科診?と思ったが、術中術後に誤嚥性肺炎を併発しないように歯垢を取り除くのが目的のようだ。


4.S病院に入院 手術前日 21-01-18

21年1月18日 入院 手術前日

コロナ禍さなかの入院のためか、部屋がなかなか決まらない。個室をあきらめかけたところで、本日退院する患者さんの部屋が空いて今室内を掃除しているから、暫く待つようにと連絡が入った。ありがたい。

10:30に病室へ案内され見覚えがあると思ったら、3年前に大腸がん手術を受けた時と同じ部屋だった。
あの時は私の耳が遠くて話が通じ難いことを理由に、部屋に簡易ベッドを入れてもらい、妻が付き添いをする許可をいただいた。

今回はコロナ禍の真っただ中で、入院中に妻と会えたのは、この入院の日と、退院の日だけ、あとはスマホで話し、下着などの品物は看護師詰所を通して交換するように制限された。

そのような経験のない私たち夫婦は戸惑い困惑したが、コロナ禍の最中なのだから協力せざるを得ない、さもなくば、入院できないのだから。

14:45にK医師から翌日の手術の説明があり、「腫瘍は切除するのに難しい場所にあるので、手術は6時間くらいかかるだろう。終わればスマホに連絡するのでICUの入口に来るように」との指示を受けた。


5.手術当日 21-01-19

妻は7:30に病院に来て控室で待ち、妻の弟は11:40に来院した。

12:38にK医師から手術が終わったと連絡があり、手術の結果説明を受けた。「腫瘍の大きさは2cmで、胆石の入った胆嚢も取った」との説明を受け、切除した肝臓を見せてもらったとのことだ。

その後ICUで私と面会した妻に「分かる?」と尋ねられると「分からない」と答え、「目を開けて」と言うと、大きく目を開けたようだが、私には全く記憶がない。

手術時間が、想定されたよりも大幅に短かったことに対して、手術ができない状態で、そのままお腹を閉じたのではないのかと妻は心配した。

妻の弟はK医師の説明を冷静に聞き、想定していたより少ない範囲の肝切除で肝がんを取り除くことができたことを理解したようだ。

彼の冷静で知的な説明を聞いて、妻の不安は消え、手術後の経過に対し希望を持つことができたようだ。
義弟よ、ありがとう。

6.術後第1日 21-01-20

肝機能 AST:190(高値) ALT:202(高値) CRP:3.70(高値)

手術が終わりICUで一夜を過ごして病室に戻ってきた。13:50に妻は看護師詰所でK医師から「少しせん妄が出る。注意している」と知らされたそうだ。そのことを知って私は心当たりを思い出してみたら、以下の2つはせん妄に該当するようだ。

 6_1.地階控室のせん妄

気がつくと倉庫の中のような薄暗い部屋の、壁際に置かれたテーブルに、私は女性看護師と並んで椅子に腰掛けている。部屋には事務員風男性が2〜3人いるが、書類に目を通しているようだ。私の両手は紐で括られ、その紐は女性看護師に握られている。

おかしい、私は肝臓の手術を受ける患者だ、看護師に両手を括られて拘束されなければならない訳がない。と思ったら、生体肝移植のドナーにされようとしているのではないかと気がついた。

そんなことをされてたまるかと紐を外そうとするのだが、女性も必死で守る。一人では守りきれないと思ったのだろう。ボタンを押して助けを求め、体の大きな女性が加勢に加わわった。

その結果、私の両手は柱に括り付けられってしまった。この大きな女性は東洋人のように見えるが、言葉から中国人や韓国人ではない。スカーフを付けていないからインドネシアでもなさそうだ。ベトナム人?

両手を柱に括り付けられると身動きができない。暴れないと約束するから、柱に括り付けるのを片方にして欲しいと懇願するのだが、聴き入れてくれない。

84歳の年寄りにこんな酷なことをして良いと思うのかと詰問すると、野村さんは若い頃バスケットの選手だったのではないか? 腕の力が強い、だから片方だけにすることはできないというのだ。

バスケットなどしたこともないと答えながら、ハット気がついた。重大な判断間違いをするところだったのだ。私は大腸がんの肝転移の手術を受ける患者だから、肝移植のドナーになどなれるわけがない!!

そのことに気がついたところから記憶がない。これほど詳しく覚えているのに、これはせん妄であったのだとは!! きっと私は大暴れしたに違いない。申し訳ない。

 6_2.一階片隅のせん妄

次に気がつくと、明るく天井の高い場所で、私はストレッチャーに載せられている。「6_1.地階控室」の女性看護師が横に腰掛けている。ストレッチャーの横を人が通るが、こんな光景は見慣れているのか誰も一瞥すらしない。

件の看護師は私に書類を見せる。勤務報告のようだ。私が暴れたことに腹を立てているようだと感じたところから記憶がない。これもせん妄だったのだ。

怖いのは、この2つのせん妄の話を実際にあったことと私が信じて疑わなかったという事実である。医療側は手術だけでなく、手術後のせん妄の発症を予想し、対応策を考え、準備しておかなければならない。事故を起こしてはならないのだ!!

 6_3.深部静脈血栓症の予防

手術中や手術後に長時間同じ姿勢を続けると、深部静脈血栓症(エコノミークラス症候群)を併発し、肺塞栓症で命取りとなることがある。

その予防としてフットポンプ(間歇的空気圧迫装置)や弾性ストッキングが用いられるが、フットポンプは術当日と術後第1日まで、その後は専ら弾性ストッキングが使われた。

 6_4.病室で一人過ごす

補聴器をつけても会話が困難な私が、手術後を一人で病室で過ごすのは、想像以上に難儀なことだった。

担当看護師との連絡には押し釦を使うが、例えば用便のときに釦を押して部屋に来てもらい、終われば釦を押してまた部屋に来てもらう。

釦を押さずに用便をしようとしても、ベッドの横に置かれたマットにセンサーが仕掛けられていて、マットを踏んだことが看護師詰所に伝わり、誰かが飛んでくる。

マットを踏まないようにすると、転びそうになり、よぼよぼしてきた私のような老人には危険だ。

このシステムは、安全を図りながら患者の要望に応えることができてありがたいのだが、3年前に大腸がんの手術で入院したときのように、妻の付添看護が認められれば、このような苦労をしなくて済む。しかし、今はコロナ禍の最中であり、付添が認められないのは致し方ない。

夕刻、上の孫娘が志望中学に合格したと妻からスマホで報告があった。私の入院手術が彼女の入試に影響しないかと心配していたので安堵した。「おめでとう。よく頑張ったね。すごいぞ〜!!」

7.術後第2日 21-01-21

昼から流動食の給食をほとんど食べた。歩いてトイレに行く。14:50にスマホのビデオコールで妻と話す。18:00には、スマホで話す。

8.術後第3日 21-01-22

肝機能 AST:58(高値) ALT:89(高値) CRP:6.65(高値)

X線撮影 胸部(異常なし) 腹部エコー(異常なし)

9.術後第6日 21-01-25

肝機能 AST:28  ALT:42(高値) CRP:5.36(高値) 下がり始めた!

術後排便の無いことを訴えて、下剤 アミティーザカプセル12μg1Capと 緩下剤酸化マグネシウム錠500mg1錠の朝夕2回服用を指示された。服薬のせいか大量の快便が得られ、スッキリした。

10.術後第8日 21-01-27

肝機能 AST:24  ALT:37(高値) CRP:6.17(高値) 再度上昇!

K医師の言。CRPの値が想定より高いので、ドレーンの漏れを疑ってCT検査を依頼したが、異常なし。縫合部の感染があるかもしれないとエコー検査を行ったが、異常なし。縫合糸を切断して傷口を開けたが、感染の様相なし。それでも、感染の可能性ありと考え、抗生剤(タリビット)の点滴を指示した。

左腕からの動脈血採取指示は、菌の同定、有効抗生剤の決定のためであろうと私は思った。

これまで、術後経過は順調だとの説明を受けて喜んできたが、この頃から退院は少し遅れるかもしれないと思うようになった。

11.術後第9日 21-01-28

K医師は、創の状態は良い、浸出液も少なく、間もなく塞がるだろうと話された。

12.術後第10日 21-01-29

肝機能 AST:23  ALT:33(高値) CRP:3.25(高値) 下がり始めた!

K医師は、CRPが下がってきている。経過は順調で、来週には帰れるだろうと話された。

看護師詰所を通して、妻が差し入れてくれた朝日新聞に、「中村 泰信 教授(量子情報物理工学分野)が 蔡 兆申 東京理科大学教授・理化学研究所チームリーダーとともに「量子情報技術の発展に資する超伝導量子ビットの創出」で2020年度朝日賞を受賞されました。」の記事が載り、久し振りに切り抜きをした。

13.術後第11日 21-01-30

K医師が、傷口はきれいで治っているとガーゼを取ると、傷口を覆うものなし。血液検査のデータを見て、週明けの月曜に退院を決めようと話された。

14.術後第12日 21-01-31

I様よりのお見舞いのアレンジメントが届いたと、妻よりスマホで報告があった。「感謝」

15.術後第13日 21-02-01

肝機能 AST:24  ALT:32(高値) CRP:0.90 正常化

K医師は傷口OK、血液検査の結果を見て退院OK。糖尿病で共同管理の医師は、インシュリン注を止め、メトグルコ内服に変更すると連絡あり。

16.術後第14日 21-02-02

K医師、昨日の血液検査でCRP正常化している、いつでも退院可能と。

K医師から入院中の採血データを頂いたので、感染の指標となるCRP数値の変動を調べた。

大腸がんの肝転移を疑った2020年12月2日のCRPは0.03で正常、 術後第1日目のCRPは3.70と高くなり、3日目は更に高く6.65になるが、6日目には5.36に下がり、以後下がり続けると予想された。

ところが、予想に反して、8日目のCRP値は上昇に転じた。この日からしばらく周りが慌ただしかったのは、このデータのためだったのだろう。

想定外の状況変化に対して、迅速に次々と対処されるK医師を私はカッコいいと思い、嬉しくなってそのことをスマホで妻に伝えた。

CRP値の上昇に対して、感染等を疑い諸検査が行われたが、CRP値再上昇の原因は不明で、抗生剤の点滴注射を行い、10日目は3.25、13日目は0.90、14日目は0.42と直線的に数値は下がり、正常化した。

お見舞いのアレンジメントを頂戴したI様から、立春大吉のお手製絵葉書を頂き、妻が看護師詰所を通して私に届けてくれた。「I様 オシャレな絵葉書 ありがとうございます。大吉 嬉しいです。」

17.退院 21-02-04

妻が私の病室に出入りできたのは、入院の日と退院するこの日の2回だけである。妻の弟(私の義弟)が車で迎えに来て、自宅マンションまで送ってくれた。よく気がつくいい男だ。ありがとう。

18.主治医交代 21-02-17

肝機能 AST:16  ALT:14    CRP:0.07    CEA:2.3   いずれも正常

退院後始めてK医師の診察を受けた。術後の経過は順調、肝機能、CRP、CEA、いずれも正常で、これからは下部消化管チームのN医師に主治医として診て頂くようにとの指示を受けた。

続いて大腸がんの肝転移を見つけて下さったN医師を受診し、主治医としての診療をお願いした。便通不順に対して、グーフィス錠を処方して頂いた。

K医師、N医師のお二人は明るくて行動的、テキパキ処理をされるのが心地よく、良い医師に恵まれて嬉しい。

19.まとめ

・3年前、ステージ3の大腸がんの手術をS病院で受け、半年ごとの術後検診を受けてきたが、術後3年
 目に肝転移が見つかり、同病院で手術を受けた。

・転移がんは2cm大の球形で、胆嚢の近くにあり、腫瘍を含めた肝切除が行われた。

・胆嚢には結石があり、これも切除された。

・手術当日の夜に術後せん妄が出たが、本人の私がその情景を詳しく記憶していて、その時に見た
 光景を実際にあったことと思いこんでいたのだから、事故が起こらなくて本当に良かったと思う。

・手術後の経過は順調だったが、8日目にCRP値が異常高値を示したため、からだのどこかに感染が
 あるのではないかとの疑いで精査を受けた。しかし、原因は不明で抗生剤の点滴注射が続けられた。

・その後、血液データが改善し、正常化したので、退院となった。

・70歳が寿命、それより命があればオマケの人生と思って生きてきたが、オマケを15年も頂いた。
 人類は、生物は、地球は、宇宙は、これからどうなるのだろう。分かるわけはないのだが気になる。


<2021.4.16.>

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