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エーゲ海クルーズ

アテネ2

2001.09.12. 掲載
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ハドリアヌス門とオリンポス・ゼウス神殿

ピレウス港からアテネのホテルに戻る途中でバスを降り、ハドリアヌス門を見た。門の内側から見ると、門のアーチの中にちょうどおさまる形で、アクロポリスの丘が見える。この門はAD2世紀にローマ皇帝ハドリアヌスのために建てられた。この門は当時、旧市街とハドリアヌスが作った新市街との境界となっていた。

ハドリアヌス門のすぐ南にゼウス神殿がある。 ここは広い平地に柱が15本立っているだけだが、かっては104本の柱が並ぶ壮大な神殿だったと言う。


157)東側から眺めた早朝のパルテノン神殿


158)ハドリアヌス門の内側で記念撮影 by KENZO


158b)新婚さんのカメラで全員の記念撮影


159)ゼウス神殿 残っているのは15本の柱のみ


160)完成当時は104本の柱があった by KENZO

アテネ国立考古学博物館

国立考古学博物館には、クレタ島を除くギリシャ各地の遺跡からの出土品が収めれている。ミロのヴィーナスがルーブル美術館へ、パルテノン神殿の破風彫刻などギリシャの大事な遺物の多くが大英博物館に持ち去られているのを昨年パリ、ロンドンを旅行した時に知った。しかし、それでもこの博物館を訪れ、ギリシャ最古の文明であるキクラデス文明、クレタ文明の後のミケーネ文明の遺物を含めて、優れたギリシャ文明の歴史を知ることができたのは、私にとって大きな収穫だった。

そのわけは、ギリシャ文明が頂点に達したパルテノン時代(古典時代)やその後のヘレニズム時代のことはいくらか知っていたが、それよりはるかに古い今から5000年前にキクラデス文明、3500年前にクレタ(ミノア)文明、その後に続くミケーネ文明などがあったことをこの旅行ではじめて知ったからだ。

また、ギリシャ神話やホメロスの叙事詩に書かれていた世界が実在したことを、考古学者のシュリーマンが1873年のトロイ遺跡、1876年のミケーネ遺跡の発掘、1906年にエヴァンスがクレタ島のクノッソス宮殿遺跡の発掘、1967年にマリナトスがサントリーニ島のキクラデス遺跡の発掘で証明したことに感動を覚える。男のロマンというのはこう言う場合に使う言葉だろう。



161)国立考古学博物館の外観 by KENZO


162)国立考古学博物館入り口の柱の傍で


163)「竪琴を弾く男」 キクラデス文明の遺物


164)「竪琴を弾く男」を撮影中 by KENZO


165)「黄金のマスク」 ミケーネ文明の遺物


166)涙を流しているように見える顔 by KENZO


167)アルテシミオンで発見された「ポセイドン」像 


168)背後からの「ポセイドン」像、クラシック期遺物


169)「馬に乗る少年」像 by KENZO


妻の新しい帽子

ロードス島で私が帽子を海に落とした時、あんな古い帽子は捨てておいたら良いのにと妻に言われた話を前に書いたが、妻はこの博物館を出たあと、新しい帽子をどこかに置き忘れてきたようだ。私のデジカメ、Dr賢三の上着はどちらも手元に戻ってきたが、この帽子だけは失われたままである。これはペアルックの帽子を粗末にした罰だと考えることもできるのだが、、、(ドジ#14)

スニオン岬とポセイドン神殿

午後からは自由行動の時間である。私たちは迷うことなくスニオン岬観光のオプショナル・ツアーを選んだ。スニオン岬はアテネの南東約70km、アッティカ半島の先端にあり、ここには海の守護神ポセイドンの神殿がある。天候が良ければ、ここから7つの島が見えると言われる。また、ここから見る夕日の美しさも有名だ。

アテネからスニオン岬までの海岸線はアポロ・コーストと呼ばれ、旧国際空港(エリニコン空港)を過ぎると、美しいビーチがいくつも続き、ここがギリシャ有数の海水浴場であることを教えてくれる。

 スニオン岬の位置

ポセイドン神殿はBC440年、アテネのパルテノンとほぼ同時期に作られた。奥行き30m、幅13mの神殿には34本の柱が立っていたが、現在残っているのは北側の6本と南側の9本だけである。この神殿はギリシャのほかの神殿と違って、人々がこの神殿に常駐していた。それは、この地がギリシャ本土を守る最前線の重要拠点でもあったからであると、現地ガイドが教えてくれた。

実際にこの岬に立つとエーゲ海が一望でき、また60mあるという切り立った断崖から下を見ると、高所恐怖症の私には耐えられないほどだった。エーゲ海を渡る古代の船乗りたちが、海神ポセイドンを祭ったこの神殿と岬を「聖なる岬」「柱の岬」と呼んで崇めたのが分かる気がする。ギリシャの神々の中で人々が一番恐れたのはポセイドンだった。それは、この海の神を怒らせて海が荒れることを何よりも恐れたからだと言う。

夕日を浴びたポセイドン神殿はシンプルで厳かな美しさがあった。パルテノンと比べてもそれは明らかだった。Dr賢三はメールに「神殿の夕暮れの画像は、今回の画像の中では、最も気に入ってます」と書いてきたが、私たち夫婦もこの神殿に魅せられてしまった。

英国の詩人バイロンもこの神殿に魅せられた者の一人だ。彼は21歳のときに初めてギリシャを訪れ、アテネの下宿先の娘に恋をして書いた詩「Maid of Athens, ere we part 」が出版されるや、一夜にして詩人として有名になった。その彼はここを「列柱の岬」と称賛し、この神殿の柱にサインを彫っている。


170)遠い彼方にスニオン岬とポセイドン神殿


171)左手の西部劇に出てくる風景にビックリ!


172)はるか丘の上にポセイドン神殿が見える


173)北側から見たポセイドン神殿


174)南側から見たポセイドン神殿は素晴らしい!


175)神殿の南からエーゲ海が一望可 by KENZO


176)夕暮れのポセイドン神殿 by KENZO


ギリシャ最後の夜は赤ワインで

スニオン岬で二人だけになった時、Dr賢三は「今夜はワインを飲んでギリシャ最後の夜を楽しみませんか」と耳もとでささやいた。もちろん、OKだ。すると「部屋は先生のところにしたいんだけど」と笑いながら続けてくる。こんどの旅行で私の妻の性格がよく分かった。私たちの部屋でワインを飲むとなると、妻は人目を気にするから、きれいに自分の部屋を片付けるに違いないと言うのだ。単純な妻の性格はとっくに見破られているのを知って苦笑しながら、こちらもOK。

ワインは乗船前にピレウス港の免税店で仕入れて、航海中ずっと部屋の氷の中に漬けてきたものを、今は部屋の冷蔵庫の中で冷やしてあると言う。話は脱線するが、明石夫妻は私たち夫婦と違って買い物好きで、絶えず何か買われているようだった。そのことは、この旅行の1月後にあった医師会旅行でも確かめられた。楽しいご夫婦である。

サントリーニ島のイアの町から夕日が沈むのを見ると、エーゲ海はブドウ色に輝くと聞く。その鮮やかな色あいの赤ワインを飲みながら、いろいろ話をした。二組の夫婦で海外旅行をするのはどちらも初めてだったが、奥方たちも始めの緊張はすぐにとれ、一緒に旅行できたことを喜んでいた。亭主どもは、もうお互いに慣れ過ぎているくらいだから、ドジやハプニングを倍増させての愉快な旅だった。

アテネ出発前のドタバタ

帰国はウイーンとチューリッヒ経由で、ホテルを午前7時15分に出発するため慌しい。全員がバスに乗りいざ出発という段になった時、Dr賢三は突然バスを飛び降り、脱兎のごとくホテルに飛び込んで行った。忘れ物か、それともひどい腹痛かと思っていたら、ほどなく戻ってきた。

あとで聞いたところでは、シャワールームの扉の裏のフックに掛けたショートパンツに全財産を入れて居たのを思い出したのが事の真相らしい。日頃の行いが良いとお金は無くならないということだろうか?(ドジ#15)


関空へ帰国

19日(日)の午前9時に関空に着いたが、荷物がなかなか出てこない。最後まで待って、結局私たちツアー全員の荷物が不着であることが分かった。スイス航空と提携している日航の社員が荷物不着に対する手続きに来る。荷物の滞留先がアテネ、ウイーン、チューリッヒのどの空港か分からない。また、荷物がいつ届くのかも分からない、2〜3日はかかるかもしれないと言うのだ。そういう訳でゴタゴタして1時間は無駄に時間が過ぎた。ドジ、ハプニング続きだったこの旅行は、最後までツキ通しである。(ハプニング#10)

関空を出てJRの切符発売コーナーに行くと、生あったかい空気が首の周りにベットリまとわりつき、たまらなく不快だ。ギリシャで45度でも平気だったのは、湿度が低かったせいだということがよく分かった。大急ぎで待っていた列車に飛び乗ると、冷房が効いていて車内は快適だった。


177)関空に無事帰り着いて嬉しい! by KENZO

やっぱり和食は最高だ!

正午を少し過ぎて帰宅した。やはり、我が家は良い。くつろぐ。すぐに食事をして、風呂に入るとバタンーキューで眠ってしまい、目が覚めたら午後5時を廻っていた。もうすっかり元気で、夕食に好きなものを食べたくてしかたがない。その夕食がどれほど美味かったかを食べた直後に興奮して掲示板に書き込んだのでご紹介する。


夕食は、暖めた丼に、讃岐風の腰のしっかりしたうどんを入れ、その上にかき揚げ天ぷらを載せ、たっぷりのきざみねぎを加え、熱い出し汁をかけ、一面に、一味唐辛子をふりかけ、もう待ちきれずに、ガツガツと食べながら、うまい美味いを連発して、5分もかからずに平らげた。

一息ついたところで、スーパー・ドライを開け、次は水茄子の漬物に、味の素とたっぷりの醤油をかけ、それを、アツアツのご飯に載せ、これまた、ガツガツと、しかし、この時になるとビールを飲む余裕も出て、ウマイ美味いと食べながら、私にとって、日本の食事以上に美味いものはないと思った。冷たくした冷奴が、これまた、たまらなくうまくて、本当に幸せだ!!

恐らく計れば、これで15分はかかっていないと思う。普段の晩飯とは違う、飢えたような食べ方、飲み方で、物理的に胃に入らなくなったところで、満ち足りた気持一杯になり、ようやく落ち着いた。

今夜も家内に言った、貴方は料理の天才だと。外国に魅せられることは多いけれど、食事はやっぱり和食、それも私の好きな和食が最高!


翌日の夜に荷物は到着し、一件落着

不着だった荷物が翌日の午後8時頃、空港から宅配便で届いた。出発前に関空で落としたDr賢三の上着も届いたとのことだ。これを以って、楽しかったエーゲ海クルーズの全行程は終了した。


<2001.9.12.>同時多発テロ報道の中で

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