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2007.08.27. 掲載
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パナマ運河を通り抜け、太平洋を航行するようになってから、波は穏やかでゆれなくなった。晴れか曇りが多く、雨はない。大西洋とのあまりの違いを不思議に思う。北米大陸の西海岸に沿って航行しているためか、たくさんの海鳥がなめらかに、自由自在に飛鳥Uのそばを飛んでくる。しばらくは、その優雅な姿に見ほれてしまう。海鳥たちは、時速19ノット(35km/時)の飛鳥を何度も追い抜いていく。
その内の1羽が海面に突っ込んだ。と同時に、数羽の仲間もいっせいに海中に頭から飛び込んだ。魚の群れを見つけたらしい。この鳥たちの視力はものすごく良いのだろうと想像する。飛び跳ねている魚の群れの大きな円が、遠くに見えたこともあった。このあたりは、魚が多くて、それを海鳥はねらって、優美な飛行を続けているのだろう。飛鳥Uの航行が海中の魚を驚かし、おもてに現れたところを、海鳥がねらっているのかもしれない。
夜にはギャラクシー・ラウンジでオペラ「夕鶴」ダイジェスト版が、メキシコのオペラ歌手4名による日本語の公演があった。彼らは、来年このメンバーで日本で初公演をするそうだ。これを企画したメキシコ在住のバイオリニストの黒沼ユリ子氏は、完璧な日本語だと評していたが、そのようには聴こえなかった。 また、ギャラクシー・ラウンジはマイクを使うように設計されていて、反響が非常に悪く、いくらオペラ歌手といえども、肉声では音量が不足する。そう言うわけで、歌手たちには気の毒だった。
妻が船内で顔見知りになった方から、コーラスの男声が少ないので、私に参加してもらえないかと頼まれたそうだ。それに対して、私が参加するだろうと答えたという。自分のことは簡単に決められないのに、私のことはあっさり引き受けてくるのだから、困ったものだ。
頼まれると、よほどの理由がなければ、断れない性分で、この日が最初の練習参加日だった。女声は多く、10数名はいるが、男声は4名しかいない。「花」2部、「知床旅情」4部、「千の風になって」3部、「どじょっこふなっこ」輪唱、「村の鍛冶屋」斉唱の譜面をもらって歌ったが、確かに男声は弱い。いつから、このコーラスはあるのかと尋ねて、乗船して10日目ころからだと知った。コーラスの男性が2人、体調不良のため、ニューヨークで下船されたらしく、その穴埋めに、5月29日のインターナショナル・ナイトで、大きな声を張り上げていた私が選ばれたというのが真相のようだ。
午後から厨房(ギャレ)の見学があった。乗船客730名の半数の夕食を、同時に提供できる厨房は、どのようなものだろうかという興味があった。同じ思いの乗船客は多いようで、見学者は3〜400名はいたと思う。行列をなして、順に流れ作業的見学をした。その一番最後に厨房を出てきたら、橋田寿賀子氏が厨房見学に来られたのを発見し、これに便乗させてらい、もう一度、こんどは厨房の側の説明を充分に聞きながら、見学することができた。
ここの厨房は大きく、ほとんどがステンレス製である。面白かったのは、中身の見えるかぎ付きの小さなボックスを集めたロッカーがあり、その中に包丁などの刃物類が入っている。これは、刃物の分類とか衛生管理のためのものではなく、刃物が凶器にならないために、調理に使用後、それを厳重に保管するための管理庫だったことだ。
◆投稿 yakky | 2007年6月25日 (月) 09時21分
世界一周07 飛鳥U 追っかけての放映です?
BOW様エッセイを拝見して、TV放映を検索すると有りましたね。
・関東地区TBSで放映
橋田壽賀子&泉ピン子の美女ふたり旅(豪華客船・飛鳥Uで日本を発った橋田壽賀子に泉ピン子がイスタンブールで合流し、今回の旅が始まる。
2007年 6月16日 カッパドキア気球体験魅惑の黒海
17日クロアチアの世界遺産の街ドブロブニクでは城壁から歴史的な街並みを望む。イタリアのベネチアからバスの旅でスロベニアに入り、湖や城など東欧の美しさを満喫。シュコツィアン鍾乳洞などを訪れる放映でした。 再放映を探しています。
・関西毎日テレビ ぴったんこカン・カン
泉ピン子が橋田寿賀子(飛鳥U乗船)に便乗してバルセロナツアー 6月5日・12日・26日 放映。
・関西テレビ朝日 デコトラ 山本太郎
アメリカ国境サンディエゴから、バハ・カリフォルニア半島に入りラパス、憧れのメキシコに初上陸を果たす。07年6月?日放映有りました。 タコス(プリプリえび)を吟味 「カンブロッソ!!」
・NHK総合、BS−1、BS−2 6月15日から17日までの3日間の放映。ニューヨークの魅力をたっぷりとお届けする72時間。スポーツ、美術、ミュージカル、映画、ライブ…。現地からの中継もまじえ、魅力的な番組が目白押し。 摩天楼からの夜明けは必見でしたよ!
乗船も永くなると体調を崩される方は残念ですね。次回のエッセイを楽しみにしています。
◆投稿 シブチンスキー | 2007年6月25日 (月) 10時58分
BOWさん、毎度のことながら、書いておられる内容もボリュームも誠にご立派です。今回の記事で2人の男性が体調不良でNYで下船なさったと知り、やはり年配者が多いのでそういうことが起るのだなあと実感しました。
コーラスの男性不足は地上でも同じらしく、昨日出かけた音楽会で配られたパンフレットでも特に男性を求人していました。世の中、女性のほうが活動的ということでございましょう。
太平洋側に入って好天が続いている由。そういえば、米大リーグの野球もサンディエゴあたりでは雨天中止なんてことはほとんど考えられないそうですね。続編をお待ちしています。お元気で’
今日、パナマ運河通峡までの航海記をブログに掲載した。入手できる限られた資料を使い、実際の体験を具体的にまとめたもので、航海記の中では一番充実したものになったのではないかと自分では思っている。
海は引き続きおだやかで、晴天である。海面にイルカの群れがよく見られるようになった。飛鳥Uに驚いて、海面上に飛び上がるのではないかと思ったりする。イルカが多いのも、海鳥と同じで、このあたりの海には魚が多いせいかもしれない。船上からは小さく見えるので、カツオが飛び上がったように見えると言う人がいた。カツオが実際に飛び上がるかどうかは知らないが、その感想が分かる気もする。
◆MH | Jun 2007 15:30:00
パナマ運河の後、ご休憩中かなと思っていましたら見事的中。そうです。あれだけの大作ですから休まなきゃ。休むにしても何もせずボーっと休まねばなりません。
*太平洋
大西洋との比較で波が穏やか。文字通りに「太平」洋ですか。同じ時期に両方を通る経験など先ず無理ですので、この比較は貴重です。英語でもロシア語でも太平洋は「おだやかな」海ですから両方の海を航海した人は、そのように感じるのでしょうね。
今回の飛鳥Uのキャプテンは、乗船客にずいぶん気くばりをしてくれているように思える。今日も、アカプルコの近くを通過する際には、かなり近くまで船を近づけてくれた。そして、死のダイビングの飛び込み台のある崖だとか、いろいろを船内放送で説明をしてくれた。以前ここに行かれたことのある方が、その補足説明をしてくれるので、映画やビデオで見た映像を思い出した。この近くにはウミガメが多いようだが、船上から見ると小さくて、分かりにくい。
今日はコーラス2回目の練習があった。あまり大きな声を出すのは、コーラスでは調和を乱してよくないのだが、男声があまりにも弱いので、しかたなく(ほんとうは、それを良いことにして?)大声を出してきた。
今夜は、「夕鶴」のメンバーによるオペラアリア集のコンサートがあった。こちらは日本語ではなく、イタリア語、フランス語、ドイツ語などの原語で歌ったので、日本語の時のような違和感はない。よく知っているアリアが多く、それは良かったのだが、やはり会場の音響環境が悪く、迫力がなかったのは残念だった。
ブログに載せたパナマ運河航海記に、コメントをたくさん頂いたので、そのお返事を書き込もうと、コンピュータ・プラザに行くと、インターネット用PCのモニターに「衛星機器不具合のためインターネットに接続できません」と貼り紙がしてある。何回か、このようなことがあったので、その内に回復するだろうと思っていた。しかし、そのあと深夜まで何度か、コンピュータ室に行ったが回復していなかった。
今日もインターネット接続不能の張り紙がとれない。スタッフの女性に回復はいつかと尋ねると、電話で担当者に長い時間をかけて問い合わせてくれた結果、1)この地域は衛星の切り替え地点で、どちらの衛星を使うか本日が日曜日のため、衛星会社と連絡がとれない、2)すぐ近くのカボサンルーカスでも衛星との交信がし難く、停泊中でも接続できないことが過去にあった、3)いつ接続できるかは答えられない、との回答だった。
これは困ったことになったと思案の末、船舶用メールは大丈夫なので、これを使ってブログへのコメントの転記をお願いすることにした。以下は、転記していただく予定だった文面である。
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BOWです。航海記をお読みいただき、ありがとうございます。コメントもたくさんいただき、感謝しています。昨日夕方より、飛鳥Uのパソコンのインターネット接続ができなくなりました。衛星との交信が困難な位置にあるためだそうで、しばらくは、ブログを見ることも、Webメールを見ることもできない状況にいます。
そのことをお知らせしたく、船舶用メールを使い、T-baba様に甘えて、コメント欄に転記して頂きました。衛星との交信が回復次第、私本人がブログのコメントに書き込みますので、よろしくお願い申上げます。病気になったり、「うつ」になって海に飛び込んだりしたのではありません(笑)。
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いつ回復するか分からないと言うので、それでは困るからと、T-baba様にメールでお願いしたのだが、午後4時に、念のためもう一度確かめてみると、治っているではないか!
そのまま、ブログを開き、お礼のコメントを書き込んだあと、T-baba様にお詫びのメールを送信した。幸い、なんとか間に合って助かったが、私のか弱い心をもてあそんでくれて、困ってしまう。T-baba様から、心遣い一杯の返信をいただき、感激した次第。
明日のカボ・サン・ルーカス寄港でメキシコが最後になるので、今夜はメキシカン・ディナーが12デッキで開かれた。ここで、夕鶴の、テナー、バリトン、バスの3名が、「ベサメ・ムーチョ」を重唱で歌ったが、こんどはマイクを通しているので、もう、だんぜん素晴しい。こんな「ベサメ・ムーチョ」をはじめて聴いた。彼らはそのあと、乗船客と一緒に、リズムに乗って、汗だくになって踊りまわるのだが、その陽気なすがたは見ていて気持が良かった。
カボ・サン・ルーカスはカリフォルニア半島の先端にあるリゾート地である。ここは、大型船が着岸できないので、飛鳥Uは沖合いに投錨し、ここから飛鳥Uのテンダー・ボートで上陸する。まず、ツアーの「カボ・サン・ルーカス遊覧(午前)」に参加し、大型遊覧船「カボレイ」号で、半島周辺にあるエル・アルコ(アーチ・ロック)という岩や、アモール・ビーチ、リゾート・ホテルなどを海上から観覧した。
そのあと、カボ・サン・ルーカスの街を散策した。午後1時ころ、SACHIさんのご両親一行と出会い、ロブスター料理を勧められた。妻は、メキシコでは、水、氷、生野菜を摂らないようにと寄港地案内で聞かされているので、ここで昼食など毛頭思っていなかったが、ご親切なお勧めを頂いたので、妻もこわごわながら食べる気になり、その有名店に入った。そこに、親しくして頂いている方が来ておられて、ちょうど食べ終われたばかりだった。そして、今まで飛鳥Uの乗船客で一杯で、多くの人は1時間以上並んで順番待ちをしたとお聞きした。
私は長く並んで待って食べるのが嫌いな人間で、どれほど美味いものでも、そのような場合は必ずあきらめている。だから、もしも普通の昼食時間にそこへ行ったなら、ロブスター料理を食べずに終わっていただろう。
ロブスターは身がコリコリして、美味かったが、これを食べることができて良かったと感激するほどではなかった。コーラを飲みたかったので注文したら、氷入りだったので、妻は氷なしのコーラに取り替えてもらい、これなら大丈夫と思ったのだろう。私が一気にコップ半分ばかりを飲んだところで、これは、先のコーラの氷を抜いて、注ぎ足したのかもしれないというひらめが妻の頭に浮かんだようだ。それ以上飲むな、との命令が発せられた。結局妻は一滴も口にすることはしなかった。
そして、しきりに私に謝るのだ。「きっとこれで貴方は下痢をするだろう。早く気がつけばよかったのに、ごめん」と。妻の心配しいには40年も付き合っているので、私は苦笑するばかり。
散策中に見つけておいた一番品数の多いハンモック店に立ち寄り、椅子型ハンモックを購入することにした。まず、スモールサイズを選んで、そこの主人に持たせて、妻は座ろうとする。主人は「オー、ノー」と飛び上がって驚き、私にも一緒に持てと言った。結局二人で妻の座っているハンモックを吊り下げたが、かなり重い。座り心地を確かめようとしているのか、妻はなかなか降りないので、「早く降りろ」と亭主の威厳を示してやった。
ところが、そんなことは気にかけないで、ミディアムサイズを試したいと妻は言う。怒るかと思いきや、主人はニコニコ顔で、太いチェーンと南京錠を持ってきた。何をするのかと見ていると、かもいにチェーンを掛け、椅子型ハンモックをこれにつなぎ、南京錠でロックして、乗れと言う。妻が乗ると、ちょっと大きめの良いサイズだ。主人は私にも乗れというので、乗ってみたがちょうど頃合だった。
ここまで面倒をかけたら、買わないわけには行かないと読んだ主人は、それでニコニコ顔になったのだろう。黒のビニールの袋でぐるぐる巻きにしてくれた。弓状になった黒い代物を肩に担いでいると、たくさんの好奇の目の注がれているのが分かる。「何を買われたのですか?」と問われて、「何だと思われますか?」と問い返したら、「象牙ですか?」、ああ愉快だ! 「その100万分の1の値段のもの、ハンモックですよ」と答えた。なんでハンモックなんか買うのだろうという目をされるので、息子が変わっていて、ハンモック趣味があるので言うと分かったような顔をされるのが面白い。
◆MH | Jun 2007 15:30:00
*カボ・サン・ルーカス
カリフォルニア半島の一番先っぽですね。大陸側はカリフォルニア湾でどちらもメキシコ領なのに何故カリフォルニアとアメリカ領の名前がつくのでしょう。反対側はメキシコ湾。沿岸にはモービルとかニュー・オーリンズ等のアメリカの都市が並んでいます。それでもメキシコ湾です。韓国の「日本海」名称排斥運動と比べたら面白いですね。
さて、ご指摘通りこの辺りには魚がワンサといるようです。有名な海洋探検家がここの海に潜ったり、半島の山に登ったりしてTVでレポートしています。
*コーラスメンバー
この人はコーラスが出来るかどうか。見分けはビブラートではないでしょうか。我々は一人で歌うときもビブラートは殆どつけませんものね。奥方を口説くとは敵もさる者。人生を良く知っています。
*ロブスター料理
奥方に「モンテスマの呪い」をお知らせするんじゃなかったと後悔しています。野村家にはモンテスマさんがのろいをかけないと言っています。どうかご安心ください。一寸遅すぎたかな。
モスクワ時代、一年に2−3回、魚屋にロブスターが出ました。何故か頭の部分がないのです。日本人の間を情報が駆け巡り、あっという間に売り切れます。私も仕事中でも買いに走りました。NYでは遠くないメーン州が産地とあってよく食べました。おっしゃるとおり、飛びつくほど美味しいとは思いません。しかし形がよくてテーブルに映えます。食べ過ぎてニキビを出しました。
*ハンモック
大兄が弓状の黒い品物を担いで帰船なさった時の周囲の反応が面白いですね。ハンモックは暑い地方で使うものと思っています。蚊が来たらどうしましょう? 手が動きつらいです。息子さんに聞いてください。
航海はスケジュール通りに進んでいます。さすが日本郵船ですね。こんなところに会社の実力が出ます。「真実は末端にあり」です。いくらロケットを宇宙に飛ばしてもお札が汚かったり、郵便切手の裏糊がしっかりつかないような国は所詮二流、三流国です。ロシア人がいやがりましたねえ。
私、社会に出ましてから40年近くを「外国屋」で過ごしました。大兄のこの度の世界一周旅行では、待ってましたとばかりに雑学を開陳しては喜んでいます。ご無礼があったらどうかお許し下さい。
今日も太平洋は波静か、天候も良い。コーラスに参加して4回目の練習が、ピアノのあるマリナーズクラブで行なわれた。新しく「遥かな友に」3部、「海」斉唱、「故郷の人々」斉唱、の譜面をもらった。
明日はサン・フランシスコに入港する。その前に、私が抱いてきたサン・フランシスコという都市のイメージをまとめてみたい。というのは、訪れたことのない都市の中で、ここほどはっきりイメージを思い浮かべることのできる都市を知らないからだ。それを教えてくれたのは、一つの歌「I Left My Heart In San Francisco」である。この歌は私の愛唱歌の中の、少なくともベスト5に入っている。また、トニー・ベネットが歌ってヒットし、サン・フランシスコ市歌に制定されている。
何が良いかと言うと、まずヴァース(verse)が良い。これは歌の前口上に当る部分で、パリもローマも大したことはない。マンハッタンでは、ものすごく孤独で、見捨てられていた。私は湾の傍にあるわが街サン・フランシスコへ戻りたい、と望郷の思いを述べるのだ。3つの都市の名を挙げて、ここでは私の心は満たされない、やはり、心はサン・フランシスコにあると語る。
どんなところかと言うと、高い丘(hill)があり、そこを小さなケーブルカー(little cable cars)が登って行く。朝は霧が出て(morning fog)冷えるが、気にならない程度だ。青くて風の強い海(blue and windy sea)があり、金色に輝く太陽(golden sun)が待っている。
これに映画で見たシーンが重なり、サン・フランシスコは、人に優しい街、心安らぐところというイメージが湧いてくる。サン・フランシスコに寄港したら、サン・フランシスコ湾、丘、ケーブルカー、朝の霧、輝く太陽をこの目で確かめたいと思う。
いよいよサン・フランシスコ(SF)である。ここもニューヨークと同じように、2日間を、テーマごとに分けてまとめることにした。テーマは、1.地理、2.入港、3.入国審査、4.徒歩観光、5.車窓観光、6.ショッピング、7.ケーブル・カーと丘、8.出港、9.まとめ、に分けたが、実際に歩いて体験した4.徒歩観光が中心になっている。ニューヨークと違って、ミュージカルはないが、それに代わってサン・フランシスコ独特のものであるケーブル・カーと丘をとりあげた。
サン・フランシスコは、今回のクルーズでは一番イメージができ上がっている都市で、それがどのように変わるのか興味があった。正味1日半の時間しかなかったが、見たい場所はできるだけ歩いて確かめ、ツアーバスの窓外見学で満足できない場所は、改めて別に歩いた。そのためにタクシーをフルに利用したが、ここはニューヨークと違って、タクシーを捕まえるのが難い街だった。
サン・フランシスコも知っているようで、ほとんど何も知らないのと同じだったので、自分のために地理の概略をまとめてみた。サン・フランシスコ半島は、北に向けて突出している。サン・フランシスコは、その先端部分にあり、西は太平洋、北と東はサン・フランシスコ湾によって海で囲まれ、ちょうど正方形に近いかたちをしている。その中心になるのは、北東4分の1のようだ。また、ゴールデン・ゲート・ブリッジは、北西の端近くから、対岸に向けて南北に架かっている。
区画は、ニューヨークのように、数字の付いたAvenueとStreetの道路によって整然と人工的に分けられたものではなく、すべてが名前のついたStreetとAvenueである。例外は、SOMA地区で、ここでは南西に向けて1から11までの数字の付いたStreetがある。
北緯38度に位置し、新潟、仙台の緯度に当る。気候は、現地ガイドが「常秋」と表現したのが面白かった。なぜ「常春」でないのか聞きそびれたが、晩春がなく晩秋があるということだろうと理解した。
飛鳥Uは、6月21日、12:40にゴールデン・ゲート・ブリッジの下を通過し、13:30にピア35に着岸した。ゴールデン・ゲート・ブリッジには霧がかからず、朱赤の美しい姿を見せ、サン・フランシスコ湾上からは、サン・フランシスコ市街を含めて、360度を眺望することができた。快晴で霧はなく、視界明瞭、最高のコンディションだった。水鳥が数え切れないほど飛翔している。ここは予想していた以上に素晴しい街という印象を受けた。
ニューヨークで厳重な入国審査を受けているが、ここでも対面審査があった。審査はニューヨークと違って船内で行なわれ、14:20に対面審査が始まり、乗船者全員の審査が終わって下船許可が出たのが16:20である。ニューヨークでは船外で審査が行なわれ、終わった者から港の外に出ることができたので、審査開始1時間後には観光に出かけられたことを思うといささか腹立たしい。
徒歩観光した地区を、A:ベイ・エリアと、B:市街中心部に分け、それぞれについて、おおよそ、北から南の順でまとめることにした。
1)ゴールデン・ゲート・ブリッジ(Golden Gate Bridge)
「歩いて渡るゴールデンゲートブリッジとケーブルカー(午後)」のツアーに参加した。飛鳥Uが通ってサン・フランシスコ湾に入ったこの橋を、歩いて渡ることができるのだから嬉しくなる。
この橋は1937年に建設された。私が生まれた翌年である。潮流が激しく、絶えず霧が出るなど悪条件の中でこの時期に建設されたことを思うと、当時のアメリカの技術が如何に素晴しかったのかを思う。また、この橋の計画が、あの大恐慌の中で行なわれたことを知ると、アメリカの経済力の底力を感じてしまう。
全長2789m、幅37.4m、6車線の道路と両外側に歩道・自転車道がある。水面からの高さは66mあり、今までその下を通り抜けられなかった船はない。橋の色は、周囲とのコントラストが美しい朱赤(インターナショナルオレンジ)で、自然と調和し、同時に、霧の中でもよく見えるように、安全面も考慮されている。
この橋を、対岸のビスタ・ポイントからサン・フランシスコ市内まで歩いて渡った。ツアーに参加したのは80名。左手にサン・フランシスコ湾の光景が眺望できる。右手は猛スピードで走り過ぎていく車の列、そのさらに右手には太平洋が見える。橋を進むにつれて、左手のサン・フランシスコ湾の光景が変わって行く。橋梁も同じで、ものすごい迫力だ。
絶えず立ち止まっては、写真とビデオ撮影をする。同じことを、半数近くの人がしていたようだ。グループに遅れないように、早足で歩いて先頭近くに出て、撮影で遅れて、また急ぐ。このようなことを何度もくり返した。誰も元気で、楽しそうだ。45分もかからずに全員が楽々で渡りきった。太陽は燦燦と照り、太平洋から吹いてくる風も、それほど冷たくはない。絶好の渡橋条件だった。
現地ガイドによると、このようなツアーはこれまで滅多になく、ガイド生活を長年してきたが、記憶では4〜5回しかない。昨年は天候が悪く、霧も濃く、風が猛烈に冷たく、散々だったそうだ。私たちはなんと幸運なんだろう。
2)フィッシャーマンズ・ワーフ(Fisherman's Wharf)
ここは、かってはイタリア人の漁港として栄えた。その後、再開発が進められ、今やレストランショップが軒を連ねる観光名所となっている地域である。その中のピア39(Pier 39)に出かけた。
ピアというのは埠頭のことで、飛鳥Uが停泊しているピア35のとなりの埠頭がピア39である。ここは飛鳥Uから、歩いて7〜8分の位置にある。かっての桟橋は、今では大ショッピングエリアに変わり、レストラン、ブティック、土産品店など100店舗以上が軒を連ねている。ここはウォーター・フロント再開発のはしりで、その後の世界のウォーター・フロント再開発計画のモデルになったところだ。そういえば、ここに来てすぐ、神戸のモザイクに似ていると思ったが、間違いではなかったようだ。規模はここの3分の1くらいだが、恐らくここを真似したのだろう。
ピア39の端のKドッグには、野生のアシカが、いかだの上で何頭か寝そべっていた。これが人気者らしいが、私たち夫婦の趣味ではない。
入口の2階のレストランの蟹料理が美味しいと教えてもらった。店の名「FOG HARBOR 霧の港」は上出来だ。GARIC CRAB(ニンニク利かした蟹料理)を注文した。かなり雑に料理してあり、食べるのに手が汚れてしまう。そのため、たくさんの紙製ナプキンが付いてきて、最後には臭い消し用のレモンが半分に切ってネットに包んでおいてある。
味は確かにニンニクがよく効いていて、塩味も頃合だが、あの蟹特有のうまみがない。パサパサした感じで、やはりヤンキーの料理はこんなものかと納得した。私は無類の蟹好きだが、これを美味いうまいと言うわけにはいかない。
パンは、サワー・フランスパンという少し酸っぱ味のするフランスパンで、これは、まあ悪くはなかったが、これとて、普通のフランスパンより良いということはない。大体、アメリカ料理で美味いものを求めるのが間違いなのだろう。
ツアーの日本人ガイドが面白いことを言っていた。「アメリカ人は料理の天才だ」、なんで?と思っていると、訂正が入り、「料理を不味くする天才だ」と。彼らは、かって西部へと開拓で向かっていた時に、生ものを食べるのは病気のもとだからと、何についても厳重に火を通してきた。その習性が残っているため、肉料理の注文でミディアムと言えば、ウエルダンが出てくるし、ウエルダンと言おうものなら、革靴の底のような食べられないものが出てくると言って笑わせていたが、分かる気がする。
蟹料理についても、アメリカ人は湯の中に蟹を長時間放り込んで煮えたぎらせて、うま味を全部湯の中に抜けさせてしまう。その味がたっぷり出た湯は捨てて、味の抜けた蟹を食べるというのだ。この話を聞いて、ピア39で食べた蟹料理を思い出した。
3)ピア35(Pier 35 Cruise Ship Terminal)
ここは客船専用の埠頭で、飛鳥Uクラスの大型客船が2隻同時に停泊できる。奇数番号のピアは客船専用で、偶数番号は貨物用埠頭だと日本人ガイドは話していた。
4)サン・フランシスコ湾の日の出 サン・フランシスコ入港翌日の朝、キャビンのバルコニーから見た朝日は、クルーズを通してだけではなく、これまでの人生で見てきた朝日の中でも一番美しいものだったような気がする。私は感動しながら、この貴重な映像を、写真とビデオに収め続けた。左舷側のキャビンの乗船客の多くが、同じ感動を味わったに違いない。
5)マーケット・プレイス
1階に「マーケット・プレイス」というショッピングセンターが作られた。
ここは、かってのフェリー・ビルディングがリニューアルされ、1階に設けられたショッピングセンターで、グルメやオーガニック食材などの専門店が約30軒並んでいる。ここからは、ベイ・ブリッジが近くに見えて、写真撮影に適している。私はショッピングに興味がないので、写真とビデオ撮影で、ツアーの自由時間をできるだけ多く消費した。この建物のある表通りには、ヤシの木が並んでいて、南国ムードにしているが、どういう意図があるのだろう?
6)ダッグアウト・ショップ
ここは、AT&Tパークにあるサン・フランシスコ・ジャイアンツホーム球場の店で、かって新庄選手が居たころは彼のネーム入りTシャツがよく買われていたが、今は置かれていないと言う。不思議なことに、ヤンキースの松井選手のネーム入りTシャツが置かれていた。どうして、ヤンキースのグッズがあるのか、ガイドも怪訝に思ったようだが、しばらくして、今夜この球場で対ヤンキース戦があることが分かり、納得した。日本人のヤンキース応援団が、たくさんこちらに乗り込んでくるのだろう。
この球場は敷地が狭く、ライト・スタンドを作ることができなかった。そこで、ライト・スタンドに相当する部分は海になっている。このジャイアンツの何とかいう選手がホームラン・ダービーのトップを走っていて、間もなく新記録が出るような状況らしい。彼がライトにホームランを打つと、それはポチャンと海に落ちる。それを手に入れようと飛び込む人が続出し、ボートもひしめいているらしい。ここの海は冷たいので、犬を訓練して、ボールを取らせるのが、最近のトレンドとなっているとも聞いた。なんとも、平和なことだ!
7)ベイ・ブリッジ(Bay Bridge)
ベイ・ブリッジはサン・フランシスコから、東側対岸のオークランド(Oakland)を結ぶ。その中間点にトレジャー・アイランドがある。この橋は、大恐慌後のニューディール政策の一つとして、1936年に建設された。現在この橋を高速道路80号線が通り、そのまま突き進んで行けば、ニューヨークに達する。1989年の地震で、オークランド側の橋は大きな被害を受けたが、サン・フランシスコ側は大丈夫だった。
1936年は私が生まれた年である。この時期に、この橋が建設され、翌年にはゴールデン・ゲート・ブリッジが建設されたのだ。もし、日本の軍部の要人が、太平洋戦争の前に、これらの二つの橋を見ていたなら、この国と戦争をするなどという無謀なことは決してできなかっただろうと、ガイドは語っていたが、まったく同じ思いだ。彼我の差が如何に大きかったかを改めて思い知らされた。
私の誕生年に、ベイ・ブリッジが建設されたことを知って、この橋だけではなく、サン・フランシスコに対して親近感が湧いてきた。そこで、サン・フランシスコの姉妹都市は、ひょっとして大阪ではないかと調べてみたら、当っているではないか! ますますこの都市が好きになってしまった。
8)トレジャー・アイランド(Treasure Island)
トレジャー・アイランドはベイ・ブリッジ中間近くにある小さな島である。直訳すれば、「宝島」だが、名前の由来は知らない。ベイ・ブリッジを通って、この島に降りて、サン・フランシスコ湾を眺望した。ゴールデン・ゲート・ブリッジは少し霞んで見える。ガイドは、あれが朝の霧(morning fog)だと説明してくれた。アルカトラズ島(Alcatraz)もすこし霞んで見える。それに対して、サン・フランシスコ市街とベイ・ブリッジは、朝日を受けて鮮やかだ。入港時に飛鳥U船上から眺めた時よりもはるかに美しい。ニューヨークの摩天楼とは違って、ここには自然と人工がたくみに調和し、色も形も配置も変化に富む。素晴しい。
1)ロンバード通り(Lombard St.)
普通「ロンバード通り」と言えば、Lombard St.のうちの、Hyde St. と Leavenworth St.の間を指す。「世界一曲がりくねった坂道」として有名なところで、直線にすれば100メートルくらいだろう。勾配約30度の坂に、8箇所の急な曲がり角が設けられた道だ。その両脇に、満開のアジサイが植えられていて美しい。いろいろなタイプの車が絶え間なくここを降りて行くが、極めてゆっくりと、中にはデジカメとかビデオ撮影をしながら、降りてくる者もいる。みんなニコニコ顔で陽気だ。
カッコイイ真紅のオープンカーが下りて来た。妻はそのそばに駆け寄り、一緒に写させてくれと頼んでいるようだ。もちろん、彼らは笑いながら応じてくれたので、スナップを撮った。アジサイがきれいだから、ブーゲンビリアが素晴しいからと、何枚も写真を撮らされた。
じつは、飛鳥Uを下りて真っ先にタクシーで来たのがここだった。寄港地ガイドでこの場所を知り、日の明るい内に、この楽しい場所をこの目で確かめ、歩いて下りたいと思ったのだ。それが正解だったことは妻も認めている。このような遊び心を大切にする街が好きだ。
ケーブルカーのパウエル・ハイド線は、このロンバード通りを横切るので人気がある。そのため、乗車するのに長時間並ばなければいけないようなので、直接タクシーでここに来ることを選んだのだった。二人はルンルン気分で、坂道をどんどん下って行った。
2)コイト・タワー(Coit Tower)
Lombard St.を下って行くと、遠くにコイト・タワーの円筒状建物が目に入った。タクシーを捕まえ難いので、歩いてここに行き、展望台に登った。ここからはサン・フランシスコの景色が360度の方向で見える。飛鳥Uも眼下に見え、トランスアメリカ・ピラミッドもすぐ近くに聳え立っている。
3)ノース・ビーチ(North Beach)
ここは、チャイナタウンの北東にあり、イタリア人街がある。街は落ち着いてシックな感じで、おしゃれなレストランなどがあった。
4)チャイナタウン(Chinatown)
米国で一番古く、最大の中国人街で人口16万人という。アジア以外では最大規模のチャイナタウンだという。神戸や横浜の中華街とは比較にならぬほど大きい街だが、中華街特有の猥雑さがより強く、同じアジア人でありながら、私たちの好みではないと思った。
5)トランスアメリカ・ピラミッド(Transamerica Pyramid)
トランスアメリカ社の本社ビル。サン・フランシスコで一番高い建物(256m)で、どこからも良く見える。
6)ユニオン・スクエア(Union Sq.)
ここはサン・フランシスコのダウンタウンの中心地で、ショッピングエリアである。公園を取り囲んで、南面はメーシーズ百貨店、北面にティファニーなど、西面にウェスティン・セント・フランシス・ホテル、東面にディオール、グッチなどのブランド店がある。一番の繁華街だけあって、銀座や梅田なみに賑わっている。
7)ケーブルカー終点(Cable Car Turntable)
ユニオン・スクエアの西側を南北に通るPowell St.を南に少し下がり、Market St.に交わるところに、2種類の系統のケーブルカーの乗車場がある。ケーブル・カーは、ここで男2人の力によってターンテーブル上で回転し、180度方向転換をする。これに乗る人が、長蛇の列をなして、この発着所を取り巻いていた。
8)SOMA(south of market)
SOMAとは、Market St.より南の地区で、再開発が盛んに行なわれている。その中心となるのが、サン・フランシスコ近代美術館(San Francisco Museum of Modern Art "SF MOMA")である。飛鳥Uの寄港地デスクで、ここは21時まで開いていると聞いたので、ユニオン・スクエアのブランド店が閉まったあと、こちらに来てみたら、既に閉館だった。ここの売店は開いていたので、尋ねても閉館だと言われ、運が悪いとあきらめた。あとで、飛鳥のスタッフから、自分は入館できたと聞いたが、17時ころだったという。金曜日は早く閉館するのかも分からない。
彼女は、ここへ自転車で来たという。湾岸沿いの道を通れば、あまり坂も無く、自転車が便利なようだ。閉館では仕方がないと、タクシーで飛鳥Uに戻ろうとするのだが、なかなかタクシーが捕まらない。ニューヨークと違って、ここは本当にタクシーの数が少なく、あちこちの通りに移動してみるが駄目だった。
ウェスティン・セント・フランシス・ホテルの前にタクシー乗り場があるが、2〜30人は並んでいる。並んでみたが、なかなかタクシーが来なくて、他に探しに行ったりして、結局またこちらに並び、最初から1時間近くかかってタクシーに乗ることができた。タクシーが捕まり難かったのは、その日が金曜日だったせいのようだ。
また、サン・フランシスコではタクシーが少ないのは、ケーブルカーを初め、ヒストリック・ストリートカー、ミュニ・メトロ、ミュニ・バス、バートなど交通機関が豊富にあるためだろう。東京や大阪、ニューヨークなどで空車のタクシーが走り回っているという状況こそ異常というべきだろう。
ツアーで車窓観光したところは、すべて、徒歩観光もしたので省略する。
ユニオン・スクエア周辺のブランド店、デパート、一般店のめぼしいショップに入ったが、ニューヨークと同じで、梅田のショップより規模の大きく豪華な店は少なかった。なお、サン・フランシスコでは消費税が8.5%かかり、外税で、免税はない。サン・フランシスコのブランド店は18時閉店のため、21日は上陸が遅れた上、他を観光したので、ウインドウショッピングだけに終った。22日もツアーを途中で離断して、こちらに来たが、1時間あまりしか入店できなかった。おかげで私は助かったと内心思っている。
サン・フランシスコは丘の街である。丘はけわしく、いくつもあり、丘だらけという印象を受ける。だから、この街の交通機関として、ケーブルカーが使われるようになったのが、よく理解できる。このケーブル・カーは、1873年から営業を開始しているというから驚きだ。ゴールド・ラッシュの頃、鉱山のケーブルカーを設計した技師が発明したという。
街を走っているケーブル・カーは、小さくて可愛い。歌の文句にある little cable cars だ。このケーブル・カーのステップに足をかけて、バーをつかんで半身を乗り出し、ぶら下がるように乗っている人が多い。チンチンと鐘を鳴らしてやってくる。この鐘を打ち鳴らしながら、乗客が歌ったり、拍子をとっているケーブルカーにも出くわした。なんとも楽しい光景だ。
ツアーで、比較的乗客の少ないカリフォルニア線(CALIFORNIA LINE)に、バン・ネス(Van Ness)終点から乗車し、マーケット通り(Market St.)終点で下車をした。ケーブルカーの前半分の両側は窓も無く、外向きの4人掛けの椅子があり、椅子の下の外側にステップがある。また、椅子の間に3本の円柱の支柱があり、これに握り棒がついている。椅子に腰掛けた乗客の外側に、ステップに立った乗客が、握り棒を掴んで、落ちないようにぶら下がることができる構造になっているのだ。初めから、このような乗り方ができる構造になっているのだから、面白がって、ぶら下がっているのではないことが分かった。
両側が椅子なら、その間はどうなっているかと見てみると、ここに大きな歯車があり、これが両側のレールの中央にある第3のレールに挟まり回転しているのだ。これがケーブルカーの本体と言えよう。この歯車の停止再開をするのが、長いサーベルのような鉄のブレーキだ。つまり、ここは運転室。ここをデジカメで写すことはできたが、運転の邪魔になるので、ビデオ撮影はできなかった。この第3のレールを歯車が回転して坂を登り降りするメカニズムは、パナマ運河で船舶を牽引する電気機関車と本質的には同じだ。
発車とか停車の際に、チンチンと鐘を鳴らすが、これも天井から垂れ下がっている紐を引っ張ると、前方屋根の上に固定した鐘を叩いて鳴るようなっている。
このケーブルカーの外向き座席に座って、かなり長時間ビデオ撮影をしたので、うまく撮れていれば、ケーブルカーの擬似乗車体験を味わってもらえるかもしれない。
ケーブルカーに乗ると、タクシーよりもずっと丘の起伏が強く感じられる。少し視点が高い位置にあるためか、ガタガタ、チンチン、ギーギーの音がそのような気分にするのか分からない。勾配40度もあるかと思う坂道を下って行くときは、ちょっと怖いほどである。
出港午後10時のため、9時が最終帰船時刻である。タクシーを拾うのが難しかったが、夕食最終時刻には間に合った。気疲れと歩き疲れで二人とも不機嫌になり、キャビンに戻らず、そのまま、フォーシーズンで夕食を摂った。
10時出港の予定が、パイロットの乗船が遅れ、10時40分に出港した。疲れたのと出港が待ちきれず、出港風景を楽しむことはしなかった。
サン・フランシスコは訪問前のイメージを越えた素晴しい街だった。この街の印象を数え上げてみると、1)こじんまりした、2)温かみのある、3)個性的な、4)オシャレな、5)楽しい、6)調和のとれた、7)自由な雰囲気のある、8)威張っていない、9)人間的な都市となる。これではベタ褒めに近いが、そう言わざるを得ないのは確かだ。
しかし、私たちがここに永住したいかというと、それは違う。やはり、私たちは大阪の中之島が良い。外国よりも日本が良い。もう、オマケの人生にいるのだから、なおさら、そのように思うのだろう。
◆投稿 シブチンスキー | 2007年6月28日 (木) 15時50分
待ちかねていたサンフランシスコ紀行は流石にご本人が楽しみにしておられただけあって内容の濃い記事となりました。よくあんなに1日半で歩き回られたものだと感心しました。ゴールデンゲートブリッジの徒歩も天候に恵まれて感動的だったでしょう。
私は一度仕事で行っただけですが、SFは坂のある街だと痛感させられました。ホテルのすぐ近くにレストランを地図で見つけて出かけたのですが、凄い坂道で予想の3倍ほど疲れたことを記憶しています。
◆投稿 BOW | 2007年6月29日 (金) 13時38分
シブチンスキーさん、コメントありがとうございます。
>よくあんなに1日半で歩き回られたものだと
おかげで、翌朝顔が痛く、次の朝はそれが倍以上にひどくなり、次の日は顔が突っ張って、しかめ面ができなくなり、その次の日からすこしづつ皮がむけ始め、現在はまだらな醜い顔になっています(笑)。小学生以来の経験?だと思います。
>凄い坂道で予想の3倍ほど疲れた
私も経験して良く分かりました!
◆投稿 T-baba | 2007年6月28日 (木) 20時11分
とにかく驚きのサンフランシスコ紀行文でした!たった一日半でこれだけ膨大な記事が書ける記者さん(笑)を私は知りません。スゴイ!見所を外さず、地理も分りやすく、もう何年も滞在されたかのような細かい描写にたまげながら読みました。サンフランシスコに関してはちぃとばかり先輩だと思っていたT−baは脱帽、平伏です。
広すぎるゴールデンゲートパークを外して、実に要領よく回っておられました。お奨めしたかったのが、ゲートの真下のFort Pointで、昔の砲台跡などがあって湾の水が手に取れるところですが、あまりにマイナーすぎて案内がなかったのでしょう。
ピア39やワーフはすっかり俗化してしまいましたし、蟹は美味しくありません、おっしゃるとおりです。急な坂道、、あの「ダーティハリー」が、ムスタングをぶっとばして競りあがってくるシーンを思い出しますね!
酸っぱいフランスパン!!ほんまにそうです!美味しくないのにどうしてこんなパンを焼くのかと、いつも息子とぼやいていました。冷たい湾から上がったヒラメなのに、大きさが座布団くらいもあって大味で全く美味しくなく、アメリカ人が魚を食べない訳がわかったように思ったものでした。
ジャパンタウン近くの Van Nwss Ave から Geary St はボロ車でよく通過しました。涙が出るほど懐かしさイッパイで、書かれているストリートとアヴェニューの名前を読みました。ありがとうございました!
◆投稿 BOW| 2007年6月29日 (金) 13時43分
T-baba さん、コメントありがとうございます。
>先輩だと思っていたT−baは脱帽、平伏です
それはオーバーな! だけど、ものすごく嬉しいです!!
>ムスタングをぶっとばして競りあがってくるシーン
そうですね。そのムスタングをやはりサンフランシスコでは良く目にしました。あの曲がり坂で、のろのろ下りてくるムスさんを見て笑ってしまいました。
◆投稿 SACHI | 2007年6月28日 (木) 20時30分
風邪で寝込んだことも下痢に苦しんだ話も聞いたことがない驚異的な我が両親。氷もお構いなしで いろんなものを楽しんでいるのだろうなぁ。。。と思っていたら昨日「母、左足関節骨折」のメールが届きました。サンフランシスコにてギプス固定、そのまま旅行が続けられると知ってほっとしました。
三食昼寝付き、家事をすることもなく、北に向かえば蒸れに悩むことも少なく、不幸中の幸い!? お友達とゆっくりとおしゃべりの時間を過ごし、疲れも取れて帰国かな。。。と (^^ゞ
私は活動的なこちらのブログで引き続き楽しませていただきます。
◆投稿 BOW | 2007年6月29日 (金) 13時50分
SACHIさん、コメントありがとうございました。
>「母、左足関節骨折」のメールが届きました
このことは、知っていましたが、私はブログに書かないから、ご安心くださいと申し上げていたのです。今朝お父様にお会いし、夕食後お母様にお会いしました。お元気で、楽しくおしゃべりを楽しんでいらっしゃるようです。
>ゆっくりとおしゃべりの時間を過ごし、疲れも取れて帰国かな
ニコニコされて、お元気ですよ!!
◆投稿 さくら38 | 2007年6月28日 (木) 21時34分
サンフランシスコのいろいろ、懐かしく読ませていただきました。というのも随分昔にロスに居る友達を訪ねて行った時に、レンタカーを借りてサンフランシスコを廻った時の事を、思い出しました。
でも説明の中にも行っていない所(当時にはなかったのかも)が多々ありました。その時、私はこの町なら転勤になってもあまり抵抗はないなあと思ったのですが、やはり若かったからでしょうか、なにかなじみやすく感じたのだと思います。
でも今までご無事でご機嫌よろしく、旅を続けられなによりです。あとわずかの旅行記楽しみにしています。
◆投稿 BOW | 2007年6月29日 (金) 13時53分
さくら38 さん、コメントありがとうございます。
>私はこの町なら転勤になってもあまり抵抗はないなあと思った
その気持分かるような気がします!
>あとわずかの旅行記楽しみにしています
ありがとうございます。
◆投稿 ikeda | 2007年6月28日 (木) 22時15分
サンフランシスコはニューヨークよりも行かれた方が多いと思いますが、私は前に、お話した昭和45年にニューヨークへ行く時に寄ったのが初めてです。アメリカへの出張は初めてでしたが、商社で決めてくれたホテルはブッシュ・ストリートにありました。朝フロントから電話があって「ハロー」と返事したら「お早うございます」と返事があったのには驚きました。翌朝、外へ出たら語呂合わせでしょうが「武士道」と日本語で看板が掛かっているのに、またビックリしたことを思いだします。
翌年、別件でサンフランシスコへは2回行きましたが、行き先はゴールデン・ゲートを通って北へ車で1時間くらい行ったサンタ・ローザにある会社ですが、良い所でヒッチコックが「疑惑の影」や「鳥」のロケをした所です。そのためゴールデン・ゲートは何回か往復しましたが、歩いて渡る余裕がなかったのは残念です。ただ通勤時間帯に合わせて、上下車線の分離標識を置き換えているのを見た事があります。
> フィッシャーマンズ・ワーフ
ここへも一度行って、蟹は食べませんでしたが、カップに入ったシュリンプを買って食べました。これまでのお話を読むと、多分手にされなかったと思いますが。それにしても今は、ここと同じ名前を付けた所が、内外とも、あちこちにありますね。
> ダッグアウトストア
不勉強で最近のジャイアンツのホーム球場がAT&Tパークにあるという事は知りませんでした。ジャイアンツの前の球場キャンドル・スティックに野球を見には行った事がありますが、スタンドで座っていたら寒くて仕方ないので、途中で早々に引き上げてしまいました。
> 今夜この球場で対ヤンキース戦
ジャイアンツは、昭和33年頃までニューヨークの球団でヤンキースの好敵手だったので人気ある組会わせだと思います。
> 彼がライトにホームラン
これはボンズの話だと思いますが、これを聞いた時、確かそんな場所ではないと記憶していたので、おかしいなと思っていました、今回調べたら、違う球場だと知って納得しました。
それ以後、サンフランシスコには行っていませんが、アメリカでは、こことボストンが一番好きな所なので、いずれ機会があればと思っています。
◆投稿 BOW | 2007年6月29日 (金) 15時44分
ikeda 様、コメントありがとうございます。
>ブッシュ・ストリート
これを「武士道」とは愉快ですね!
>通勤時間帯に合わせて、上下車線の分離標識を置き換えている
ベイ・ストリートもそのようです。また、SFに入るのは無料、3人以上乗っている乗用車も無料と、合理的ですね。
>ジャイアンツは、昭和33年頃までニューヨークの球団
そうなんですか。
>これはボンズの話だと思いますが
ありがとうございます。ガイドはそう言ってました。毎日電光掲示が出るそうです。
>こことボストンが一番好きな所
やっぱりそうですか、分かる気がします。
◆投稿 musi | 2007年6月30日 (土) 16時36分
スゴイスゴイ!一日半でこれほど膨大かつ濃密に記録されてるなんて!と驚きつつ奥様との会話を含め楽しく読ませていただいてます。
Dr.GOは目をショボつかせながら(ないしょ)地図を広げブログを読みつつmusiへ細かい説明をして下さいます。細部にわたる文章に驚いているようです。強い日差しもなんのその(o^^o)。 残りのクルーズお元気でと願っています。プリント出来ないのが残念で〜す。
◆投稿 BOW | 2007年7月 1日 (日) 12時15分
musi さん、コメントありがとうございます。DrGOに、くれぐれもよろしくお伝え下さいね。長くお付き合い願って恐縮していると、、、
日焼けはなんのそのですが、シミができないことだけを、本気で願ってrいます(笑)幸い、いまのところ、まだその兆しはありませんが、、、
◆投稿 SACHI | 2007年6月30日 (土) 18時37分
お気遣いありがとうございます。こうして生の情報をいただけること感謝しています。
全く身勝手ですが "^_^" BOW様にお目にかかってからは 父から連絡が無くてもなんら心配することがなくなりました。寄港地での様子、飛鳥での雰囲気が伝わり、一緒に世界一周を楽しんでいる気分です。スキャグウェイを出航すると 最後の寄港地スワードを残すのみとなりましたね。お友達と過ごした楽しい101日間を思うと 日本での両親二人だけの生活は大丈夫だろうかと。。。ちょっと不安です。
若いはずの私でも真似の出来ないハードスケジュールで回られたBOW御夫妻、どうか怪我の無いよう、お疲れが出ませんよう 飛鳥の旅 お楽しみ下さい。
◆投稿 BOW | 2007年7月 1日 (日) 12時22分
SACHIさん、何度もコメントありがとうございます。
スキャグウエイでは山脈の関係で衛星通信ができず、インターネット接続は出港まで不能でした。今ようやくそれが可能になり、ほっとしています。
お母様はお元気で、ニコニコされて、いまや時の人のご様子です。災い転じて福となす、の見本のような方ですね。お父様が、「娘が心配するかと気にしていたが、そうでなくて励ましてもらい、安心したし、びっくりした」と話されていました。 もうスワードのみの寄港となりました。早いものですね!
◆MH | 2 Jul 2007 18:25:20
「 I left my heart in San Francisco」良い歌ですね。歌詞よし、メロディー良し。残念ながらキーが高すぎて小生には無理です。バリトンの大兄が羨ましい。さて、やって来ました、サン・フランシスコ。歌詞どおりに美しい街です。
30年ばかり前、家族で遊びに行きました。時期も今頃です。家内の目的は市内観光の後はサリナスにありました。エデンの東です。小生は街の北にあるサン・アンドレアス断層を見たいと言ったのですが押し切られ、市内観光もそこそこにUSNo.1を太平洋に沿って南下しました。
航海記には小生が行ってないところがどんどん出てきて又例によって「へー」とか「ほー」を連発しています。
*金門橋
1937年の作ですか。小生が生まれた年です。アメリカの技術は侮れません。歩いて渡ったのですか。立派です。観光の真髄は徒歩にあります。私は車でした。橋から遠くない場所にアル・カポネが収容された監獄島があったと記憶しています。岸まで大した距離ではないと見えますが潮の流れが速くて脱獄は難しいと説明されました。
*フィッシャーマンズ・ワーフ
今では大変わりでしょうね。小生の頃はとても世界のウォーターフロントのモデルとは行きません。奇しくもここで小生も蟹を食べました。まずかったです。アメリカで唯一美味しい蟹はソフトシェルクラブと教えられました。或いは魚屋で買って自分なりに茹でて食べるのが良いとか。大兄折角期待されたのにお気の毒でした。帰国後口直ししてください。サワーフランスパンもお気に召しませんでしたか。進歩がないなあ。ドンQで育った大兄にはなまじっかなパンでは駄目でしょうね。
*AT&Tパーク
ホームランボールをせしめようとボートが出ている球場はここでしたか。ワン公まで出るとはもう脱帽です。
*チャイナタウン
まったくおっしゃるとおりです。あの原色には馴染めません。日本人と中国人は考え方が対極にあります。勿論ビジネスのことです。白人に囲まれて少し疲れた時、黄色人種を見てホッとして近寄ると痛い目に遭います。隣の親父のような顔をするな、と言いたいです。一方で台湾人は全く違うのです。
*ケーブルカー
天に昇るケーブルカーはシスコの街に似合いますね。ギーギー音は一寸怖いですが。乗客をよくよく見れば、騒いでいるのは観光客で地元の人は大人しく座っています。小生は勿論騒ぎました。すれ違うときに手を振り声を上げて丸で子どもです。終点のターンテーブルでは乗務員と一緒に車体を押して方向転換を手伝いました。
小生現役の頃、住んで快適な街で3Sと言うのがありました。筆頭がこのサン・フランシスコ、次がシドニー、最後がサンパウロでした。サン・フランシスコはもう一度行きたくなる街ですね。
飛鳥Uはサン・フランシスコを出て、カナダのヴァンクーヴァーに向けて航行中である。サン・フランシスコで焼けた額と鼻が非常に痛く、ほてる感じが強い。眼鏡を外すと、その部分の日焼けは少なく、パンダのようだ。もちろん、そんなかわいいものではなく、異様な顔貌で、我ながら怖くなる。
これまで2回、夕食でシャブリのお付き合いをさせていただいた方に、お礼の気持ちで、私たちのキャビンにお越しいただき、今度はシャンパン、スコッチなどを飲みながらお話をした。楽しい夕べだった。日焼けした額は少しかゆくなってきた。
ヴァンクーヴァー(Vancouver)が、カナダの太平洋岸の大都市であることは知っているが、それ以上の知識はなかった。ここも、地理的にかなりややこしいので、この地の観光に必要最低限の知識をまとめてみた。
ヴァンクーヴァーは、米国のワシントン州と接しているブリティッシュ・コロンビア州の最大の都市で、この南西にヴァンクーヴァー島(Vancouver Island)あり、ちょうど太平洋の荒波の防波堤になっている。ヴァンクーヴァー島にヴァンクーヴァーがあるのだろうと思ったが、違っていた。しかし、この州の州都は、このヴァンクーヴァー島のビクトリア(Victoria)だというから、話がややこしい。また、北には、高級住宅地の北ヴァンクーヴァー(North Vancouver)があり、こことヴァンクーヴァーを結ぶ橋が、有名なライオンズ・ゲート・ブリッジで、その西(ヴァンクーヴァーの北西)には、超高級住宅地である西ヴァンクーヴァー(West Vancouver)が控えている。
緯度は北緯49度で、樺太の南3分の1あたりに相当する。それなのに、6月の平均最高気温が19度、最低平均気温が11度で、1年を通じて過ごしやすい気候である。これは太平洋側の暖流と、取り囲む山々が寒気を遮るためらしい。
また、ブリティッシュ・コロンビア州の面積は日本の2倍あり、カナダは世界の国の中で、ロシアに次いで2番目に広く、3番目が米国というのだから驚きだ。
ここは、7:00入港、20:00出港で、寄港が1日だけだった。午前と午後のツアーに参加し、自由行動ができたのは、午後のツアー終了後の約1時間ばかりだったので、それを時間を追ってまとめることにした。
A.午前
ツアー(ヴァンクーヴァー半日観光)
1.カナダ・プレイス(Canada Place)
ここに飛鳥Uは停泊した。エキスポでカナダ館として建設されたもので、白い5つの帆を持つ帆船のようなデザインが美しく、オシャレだと思った。
2.スタンレー公園(Stanley Park)
ここは、ヴァンクーヴァーのダウンタウンのすぐそばにある広大な公園で、日比谷公園の25倍の広さがある。原生林が生い茂り、グリーンが美しい。トーテンポールが立ち並ぶ場所から、ダウンタウンの高層ビル群もよく見える。この公園の道路は反時計回り(左周り)の一方通行と決められている。公園周辺を1周すると、途中にウエット・スーツの少女の銅像が岩の上にあったり、水鳥が多く飛び交っていた。
プロスペクト・ポイントで、ライオンズ・ゲート・ブリッジを眺めた。この下を飛鳥Uは通って、バラード入江(Burrard Inlet)に入り、カナダ・プレイスに着岸したのだった。たにか、サンフランシスコに似ている。今春の暴風で原生林が1万6千本倒れた。その跡が生々しく残っている。以前より視界が良くなったとガイドは言う。
10kmほど走ったところにレストランがある。一方通行だから、これだけ走って、ようやくたどり着けるレストランは公園の西側にあり、イングリッシュ・ベイに面していて、夕陽が素晴しいという。
3.イングリッシュ・ベイ・ビーチ(English Bay Beach)車窓
このビーチ沿いで毎夏花火大会はが開かれるが、日没が午後10時のため、それから開かれるのだと言う。
4.グランビル・アイランド(Granville Island)
グランビル・アイランドは、ダウンたタウンの南側、グランビル橋を渡ったところにある。倉庫街を改造してパブリック・マーケットとなり、ヴァンクーヴァー市民のお気に入りのスポットのようだ。ここのマーケットで、ビーフのフランクフルトのホットドッグを食べたが、美味かった。
30年以上ヴァンクーヴァーに住んでいるという現地ガイドは、ここができて大助かりで、ここにくれば大抵のものが手に入るので、1週間分をまとめて買いして、冷凍しておくそうだ。30年前は、1頭の牛を10人で分けて持ち帰っていたが、今はそのようなことをしなくて済むと話していた。
5.イエール・タウン(Yaletown)車窓
ここは、最近人気のオシャレな町で、ファッションデザイナーのアトリエなどがある。
6.チャイナ・タウン(Chinatown)車窓
アジアを除いては、サンフランシスコに次ぐ大きな中華人街だという。香港の中国返還を嫌って、こちらに移住してきた人が増え、カナダの中国人人口は20万人に達するという。サンフランシスコよりもここの土地が安いので、この地に移住者が増えたようだ。そのため、ヴァンクーヴァーでなくホンクーバーだと陰口を叩かれると、現地ガイドは言っていた。ヴァンクーヴァーでは日本車の人気が高いが、彼らはドイツ車のベンツ、BMWを乗り回している。日本人はカローラどまりらしい。
7.ギャスタウン(Gastown)車窓
ダウンタウンの東側にあり、ヴァンクーヴァー発祥の地であるという。ホテルとバーを最初に作ったギャッシーというニックネームの人物の銅像が建っていた。
B.午後
ツアー(ヴァンクーヴァー・ノースショア半日観光)
1.ライオンズ・ゲート・ブリッジ((Lions Gate Bridge)
スタンレー公園の真中を貫通する道を走ると、両端に2頭づつライオンが鎮座している橋に連なる。これが、午前中にプロスペクト・ポイントから眺めたライオンズ・ゲート・ブリッジである。北ヴァンクーヴァーとヴァンクーヴァーをつなぐ橋で、カナダでは最長の約1500mあり、1938年に開通した。サン・フランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジに良く似ていると思ったら、設計者は同じで、ゴールデン・ゲート・ブリッジの開通が1937年だから、その1年後ということになる。
しかし、色がダーク・グリーンで、まったく映えない。なぜこの色を選んだかというと、カナダはエバー・グリーンが国の基調であるため、それに合わせなければならなかったのだと言う。それを聞いて、なんと愚かなことと私は思った。緑一面の中で、赤、橙、黄などの色があれば、どれほど美しく見えるか、これはコモン・センスではなかろうか?
2.キャピラノ渓谷吊り橋(Capilano Suspension Bridge)
北ヴァンクーヴァーのキャピラノ渓谷に、高さ70m、長さ137mのつり橋がかかっている。鉄製のワイヤーで吊り下げられ、底は木製の板でできている。人が歩くと左右にゆれて傾く。高所恐怖症の私は、とうてい谷底をみることなどできないが、妻は案外平気だ。樹木の間に作られた空中散歩道も、無理やり歩かされてしまった。
3.グラウ山(Grouse Mountain)
ふもとからロープウエイでグラウ山の山頂に上がり、ヴァンクーヴァー一帯を眺めた。
4.シーバス(SeaBus)
北ヴァンクーヴァーからヴァンクーヴァーへ帰るのに、シーバスという小型フェリーに乗った。北ヴァンクーヴァーのロンズデル・キー(Lonsdale Quay)から、ヴァンクーヴァーのギャスタウン近くのシーバス・ターミナルまで、約15分で到着した。シーバスというだけあって、非常に合理的な構造になっている。駅の大きさはシーバスの幅より、乗船ステップ分だけ大きく、駅にシーバスが入港すると両側の乗船ステップが自動的に降ろされる。まず、下船側の4箇所のドアが開き、乗客が降りる。次いで、乗船側のドアが開き、乗客が乗る。椅子は乗船下船ドアと直角に配置されていて、乗降がスムースに行なえる。
5.ロブソン・ストリート(Robson Street)
シーバスを降りて飛鳥Uに戻らず、ヴァンクーヴァーのダウンタウンの中でも一番賑わっているというロブソン・ストリートへ徒歩で行き、約1時間ばかり、散策した。
◆投稿 シブチンスキー | 2007年7月 2日 (月) 21時13分
わが懐かしのヴァンクーヴァーのことをBOWさんの記事で想い起こしていますが、何度か訪問したものの何ら記録を残しておらず、またまたBOWさんの詳細な分析に圧倒されています。
1967年に初めて米大陸へ渡ったときの最初の街がヴァンクーヴァーでした。湾状の内海にガソリンスタンドがあるのにビックリしました。モーターボート用だったようですが、ガソリンは自動車用だけと思っていたので驚きました。それとBayshore Innで一杯戴きながら見た西陽の夕焼けが印象的でした。
もう少しですね。お元気で何よりです。おまけの人生は意外に長々と続きそうですね。クックルクック!(=嬉しい笑い声です)。
◆投稿 BOW | 2007年7月 3日 (火) 12時22分
シブチンスキーさん、コメントありがとうございます。
>1967年に初めて米大陸へ渡ったときの最初の街がヴァンクーヴァー
それは、思いで深く懐かしいでしょうね!
>Bayshore Innで一杯戴きながら見た西陽の夕焼け
西が海の夕日はきれいですね、大阪もそうです。夕陽丘という地名があるほどです(笑)
>クックルクック!
ありがとう、嬉しい鳩の笑い声!!
◆投稿 T-baba | 2007年7月 2日 (月) 21時49分
懐かしく拝読いたしました。2000年7月から8月にかけて滞在したヴァンクーヴァーは、いろんな思い出がいっぱいです。この街もサンフランシスコについで好きなところですが、ロブソンStでは車のトランクからカメラや日用品の入った鞄を盗まれたりして嫌なこともあったのですが、それでも爽やかないい街でした。盗難事件があるとヴァンクーヴァーの人は「悪い外国人が入ってきてるからだ」と言います。どこでも同じですね(笑)
シーバスは便利でよく乗りました。イングリッシュベイの花火、スタンレー公園、ライオン橋、、又行ってみたくなりました。
読むだけで楽しく、いろいろな知識を得ることが出来、しかも一緒に旅をしているかのような臨場感溢れるBOW飛鳥日記は、気配りが隅々までいきわたり、読者にとって分りやすくかつ面白い読み物になっていました(弟子の分際で、失礼なことを、、)
毎回つくコメントにも豊富な知識に裏打ちされた有意義なものが多くて、BOW師匠の交友の幅広さを示してくれていたように思います。随分勉強になりました!あと少しの航海、あまりお疲れにならないようになさって下さい。ご無事のご帰国をお待ちしています。
◆投稿 BOW | 2007年7月 3日 (火) 12時33分
T-baba さん、コメントありがとうございます。
>ヴァンクーヴァーは、いろんな思い出がいっぱい
それについて、私も思い出すことがかなりあります。その一つは、診療中に届いたメールがHotmailで、それがカナダからだったことです。あれがWebメールの初体験でした(笑)
盗難事件ではSONYのビデオカメラもやられましたね!「悪い外国人が入ってきているからだ」で笑ったことも思い出します(笑)
>読者にとって分りやすくかつ面白い読み物
もし、そうなら、とても嬉しいです!
>コメントにも豊富な知識に裏打ちされた有意義なものが多く
ほんとうに、ありがたいことだと、いつも感謝しています。その他に、メールもかなり下さっています。その中で、最初からUPする度に、私の本文に匹敵するほどの量の(ちょっとオーバーかな)感想や、情報をくれる友人がいます。日曜に歌う会のメンバーの一人です。このような素晴らしい友人に恵まれて、自分は本当に幸せものだと思っています。
皆様、ありがとうございます。
◆投稿 musi | 2007年7月 3日 (火) 01時49分
皆様方がとってもいいコメントをされるので…musiは他のことで一席
シワはスクランブル交差点。シミは顔のアクセサリー…と聞いたような。帰国時分にはツルッツルのお顔になれていることでしょう!エンジョイブログで知らなかった世界を体験しています。ご無事でと願っております。
◆投稿 BOW | 2007年7月 3日 (火) 12時38分
musi さん、コメントありがとうございます。
>帰国時分にはツルッツルのお顔になれていることでしょう
夢でなければ、そのようなことはあり得ないというヒドイ状態です。しばらくは、外も歩けない(笑)
>ご無事でと願っております。
ありがとうございます。SACHIさんのお母様のように、15分前には、アドバイスを頂いたのに、骨折ということもあります。充分気をつけます!
◆投稿 さくら38 | 2007年7月 4日 (水) 11時37分
いよいよ最終ラウンドに入ってこられた様ですね。私もカナダに行ったのは30年ほど前の事、ずいぶん昔です。たまたま行く時に同じ務め先の方が出張で同じ飛行機になり、着陸時窓からあれがヴァンクーヴァーだよと眺めた時の事を思い出しますが、もうその方は今は天国、古い話です。カナダの西岸の旅行だったのですが、記憶もさだかでないところが多く、ブログを読みながらああそうだったのかと楽しませていただいています。7月13日もう少しですね、お元気で・・・。
◆投稿 BOW | 2007年7月 4日 (水) 11時56分
さくら38 さん、コメントありがとうございます。
>いよいよ最終ラウンドに入ってこられた様ですね
そうです。今日のスワードが最終寄港地でした。やはり感慨があります。
>カナダに行ったのは30年ほど前の事
私たちと違って海外旅行の大先輩ですね!
>ブログを読みながらああそうだったのか
そのようにお読みいただき、ありがたいです。
◆MH | Jul 2007 17:01:27
*ヴァンクーヴァー
3年前、高校同期会がカナダ旅行を募集しましてね。ヴァンクーヴァー、バンフとあるので、こりゃいいわい、と参加を考えたらこの有意義な場所を殆ど素道りして、ナイヤガラだ、モントリオールだ、と言います。あんな馬鹿な所はやめとけ、と言いましたら、そういうのはあんさんだけどす、とやられました。勿論不参加です。
ヴァンクーヴァーはなかなか機会がありません。ここには確か豊かな森があるはずで一週間ばかりこんな所で過ごせたらいいでしょうね。
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