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飛鳥U世界一周2007航海記

5.大西洋1


2007.08.13. 掲載
このページの最後へ
5月13日:ポルトガルの「オポルト」
5月14日:ローリングとピッチング
5月15日:ボルドー、サン=テミリオン、ガロンヌ川
5月16日:室内整理と航海記執筆
5月17日:ヴェルサイユ宮殿、夕方のパリ
5月18日:ルーブル美術館、昼間のパリ
5月19日:アントワープ、空撮、ビアカフェ巡り
5月20日:ブリュッセル、ムール貝の白ワイン蒸し
    
写真の多い「 写真集5. 大西洋1(フランスほか) 」に移動する

5月13日:ポルトガルの「オポルト」

バルセロナからオポルトまでの航路

オポルトの衛星写真 

ポルトガルの国旗

寄港地に、ポルトガルの「オポルト」とあるが、地図では「ポルト」はあっても「オポルト」は見つからない。いろいろ調べた結果、英語では伝統的にオポルト(Oporto)と言うことが分かった。ポルトガル名はPortoで、定冠詞をつけると O Porto である。この地で買った日本語の案内書にも「ポルト」と書いてある。船舶用語では地名も英語で通すのだろうか?

「オポルト」はポルトガル第2の都市で、ポルトガルの名はこの地に由来するとのことだ。ジブラルタル海峡を通過し、大西洋に入ると、低気圧の影響で曇天が続き、波が高くなった。ポルトに入港すると、空は曇り、寂しく暗い感じがする。アマリア・ロドリゲスが歌うファド、「暗いはしけ」のメロディーが頭に浮かんだ。

まず例によって、オポルト半日観光(午前)に参加した。まず、ボルサ宮という商工会議所の建物のような所を見学したが、描かれている肖像画は粗末で、一部は少し斜めになっていたり、宮殿がこれでは哀れという気がした。そのくせ、写真ビデオ一切禁止だから、話にならなかった。

次に訪れたサン・フランシスコ教会の内部は、ターリャ・ドウラーダと言われる金泥細工で全体が飾られていた。木彫りの細かな飾りが、全面金箔で覆われているのだ。まるで、日光東照宮の飾りをすべて金箔で覆ったようなもので、これによって豊かさや富を象徴しているのかも知れないが、私の最も嫌いな装飾だった。しかも、これがフランシスコ修道会が作ったものと知って、唖然となった。フランシスコ修道会の本拠地であるアッシジの聖フランチェスコ(フランシスコ)聖堂は質素で、宗教画とはこのようなものを言うのだと教えてくれるジョットのフレスコ画が飾られていた。だから、この聖堂を信仰の原点として納得し、胸を打つところがあった。しかし、ここはその正反対である。

そう思いながら、ポルトガルから持ち込まれたキリスト教を、日本人が受け入れたのは、当時の両国人のメンタリティーに共通するものがあったのかもしれないと思った。しかし、フランシスコ・ザビエルはスペイン人であり、教派もフランシスコ修道会ではなく、イエズス会だから、この見方は間違っているのかもしれない。

大聖堂(カテドラル)はイスラムの土地を奪ってポルトガルが建国されたころの教会のため、要塞を兼ねていたことが分かる堅固な建物が印象的だった。また、サンテ・イルデフォンソ教会の正面外壁を飾るアズレージョ(青色の装飾タイル)には目を見張った。アズレージョで最も壮大だったのは、サン・ベント駅内の壁に飾られたもので、これはまさしくポルトガルを代表する装飾だと思った。アズレンという青色の薬があるが、このアズレージョと関係があるのかもしれない。

かっては日本と一番交流のある西欧の国だったポルトガルも、今ではファドとポートワインくらいしか知らない国となってしまった。ポルトはポートワインの産地なので、ワイナリを見学した。ポートワインはワインの醗酵途上でブランデーを加えて醗酵を止め、甘味を残したアルコール度の高いもので、通常のワインとは違うものであることを初めて知った。赤、白それぞれ試飲したが、食前酒、食後酒としては、アイスワインの方を私は好む。昔、サントリーが壽屋と言っていたころ、赤玉ポートワインという甘い甘い酒があり、ワインはこのように甘いものだと思っていた頃を懐かしく思う。

ポルトを観光して感じたことは、ファドとアズレージョが似合う静かな坂の多い都市だった。ドウロ河沿いの古い建物が素朴で暖かく美しかった。

<メール>

◆MH | 20 May 2007 01:52:56
飛鳥Uは大西洋に入りました。今は夏で穏やかですがすが、北の方は冬、荒れ狂います。略してNAW(North Atlantic Winter)です。大兄の旅行記はますます快調。いつも楽しみに待っています。

*オポルト
サン・フランシスコ教会の金箔には驚きました。おっしゃる通りフランシスコ修道会は質素を旨としていると思っていました。東照宮と似ているといわれ、もうガッカリです。ブルーノ・タウトにこき下ろされて興味を失くした東照宮に4年前、同期会の旅行で初めて行きました。その悪趣味にタウトならずともゲンナリです。当時の徳川幕府の文化程度をよく現していると思います。あれが世界遺産だそうです。もう、いい加減にしたら、と言いたくなります。

*ポートワイン
甘いワインと言えば、壽屋の赤玉ポートワイン。思い出す回路が同じとは矢張り同時代です。親に隠れて呑んで、ヒャーと言う感じでした。あれで結構アルコール度は高いのです。

オポルトの市街

商工会議所の建物のような「ボルサ宮」

サン・フランシスコ教会内部(金泥細工の部分は撮影せず)

サン・フランシスコ教会前の広場から見たドウロ川対岸の景色

カテドラル 鐘楼には銃眼があり、かっては要塞でもあった

カテドラル前の広場から見たドウロ川対岸の景色

サンテ・イルデフォンソ教会の正面を飾るアズレージョ(青色の装飾タイル)

サン・ベント駅内の壁に飾られたアズレージョ

ドロウ川沿いにあるポートワインのワイナリを見学

ワイナリの入口から見たドウロ川対岸の景色


5月14日:ローリングとピッチング

東シナ海、南シナ海、インド洋、紅海、スエズ運河は、ほとんど海は穏やかで、揺れも気になることはなかった。しかし、地中海に入ると何度か波の高い日があり、揺れを感じる日があった。ジブラルタル海峡を通り過ぎ、大西洋に入ってからは、これまでで一番波が高く、キャプテンの放送によると3mもあるという。どうやらこれは低気圧の影響らしい。

確かに波は高く、白波が無数に立っているが、その割には揺れは少なく、廊下を歩けないことはないし、眠れないことも、船酔いの気分の悪さも起らない。やはりこれは、5万トンもある大きな船だからだろうと思う。医師になった頃、医局からの命令で、年に2〜3回、船医として黒潮丸という沖縄航路に乗ったことがあるが、あまりに揺れがきつくて、食欲がなくなり、ただひたすらベッドに臥せっているだけの日が必ず何日かあった。

船の揺れは、ローリング(rolling)と言われる横ゆれと、ピッチング(pitching)といわれる縦揺れの2種類がある。黒潮丸に乗船したときに聞いた話では、ローリングよりもピッチングの方が身体に堪えるということだった。波を乗り越えて進む時の揺れの方が、身体に影響するということだった。

この飛鳥Uでも注意してみると、揺れているのだが、その周期が遅く、ゆっくりしているために、あまり揺れとして感じないのではないかと考えて、実測してみた。と言っても、水平線の上下をローリングとし、水平線の傾きの変化をピッチングとした簡易計測だが、ローリングの周期は約10秒であるのに対して、ピッチングの周期は約20秒であった。波は数秒以下の周期で発生しているので、それに比べてかなり周期は長い。

飛鳥Uには揺れを少なくするスタビライザーも装備していると以前聞いたように思うが、それよりも船体が大きいことが、揺れの周期を長くするのに役立っているのではなかろうか?

揺れの程度を目で見て一番よく分かるのは、グランド・スパの浴槽の湯の動きである。ここには、長方形の大きな浴槽と、その両端に円形の浴槽が2つある。ゆれの強い時は、この長方形の大浴槽の湯がシーソーのように揺れて、一部は浴槽から飛び出す。グランド・スパは最上デッキである12デッキにあるため、振幅が大きいのは当然である。ところが、両サイドにある円形の浴槽は、そのような場合でもほとんど湯面のシーソー現象は見られない。これは、円形浴槽の壁から4つの強力なジェット噴流が絶えず十字方向に放出されているためだと考えられる。波の強い日も、円形ジャグジー風呂は安泰だ。

ローリング、ピッチング以外に、ガタガタと言った感じの、小さく不規則な振動を感じることはあるが、これを何と呼ぶのかは知らない。こちらは、船酔いには関係なさそうだが、不快感はある。

<コメント>

◆投稿 ヒマジンスキー | 2007年5月17日 (木) 15時45分
BOWさん
面目躍如たるものを感じさせて戴きました。一つはその卓越せる観察力と分析力。グランド・スパの浴槽の湯の動きのところが圧巻です。ジャグジー風になっていると船の揺れに対して抵抗が働くと私も同意しますが、家内は不可解な表情でした。もう一つは痛烈至極な皮肉。『まさか、樽に保存しているのが製造工程というわけではあるまい』。ヤッターと喝采を送ります。

ポルトガルといえば果実酒のマテウスロゼが懐かしいです。貧しい新婚時代に家内が緑っぽいその空瓶を一輪挿しにして使ってくれていました。だからと言って何本も用意した訳ではなく、1本だけでしたが懐かしいロゼワインです。

◆投稿 BOW | 2007年5月17日 (木) 17時55分
ヒマジンスキー さん こんにちは
ジャグジー風呂のこと、面白がって下さり、嬉しいです。あのジャグジーは重宝してます。ジェット噴流が強力なので、まず背中の痒いところにこれを当てる、痒みがとれたら、次は腰のだるくなっているところに対象を変える、次は五十肩の左肩に当てる。このお陰で、グランドスパは私の最も愛する飛鳥スペースになっています(笑)

<メール>

◆MH | 20 May 2007 01:52:56
*船の揺れ
大兄若かりし頃、沖縄航路で良い経験をなさいました。ピッチングとローリングを水平線を基準に時計を見ながら測る、風呂のお湯の動きで船の動きを推測するなどなかなか出来るものではありません。機会があったら船の関係者にこの話をなさっては如何でしょう。話に乗ってくると思いますよ。

重巡洋艦がうねりに向かって走っているのを映画で見ました。ピッチングの凄さは一寸説明できません。客船でこれをやったら、全員船酔いでしょうね。飛鳥Uには勿論優秀なスタビライザーがついているはずです。

オポルトを出て、一路ボルドーへ


5月15日:ボルドー、サン=テミリオン、ガロンヌ川

オポルトからボルドーまでの航路

フランス国旗

ボルドー衛星写真

ボルドー衛星写真

ボルドーと言えば、ワインの知識に乏しい私でも、ブルゴーニュ、シャンパーニュと並ぶワインの3大名産地であることは知っている。飛鳥Uが寄港するのだから、海に面した港町だと思っていたら、何と大西洋から川を120kmもさかのぼったところにあると知って驚いた。その上、満潮干潮の差(これを潮差と呼ぶようだ)が大きく、5.2mもあるため、満潮時と干潮時では乗船下船時に使われる取り外し式のタラップ(ギャング・ウエイと船では呼んでいる)の位置を変えなければならないと、キャプテンの船内放送があった。実際、ツアーに出かける時は、5デッキからだったのが、帰って来た時は、6デッキに付け替えられていた。

ここでは、午前と午後の2つのツアーを選ぶことは、時間的に無理だとツアーの手引きに書いてある。ワインの名産地に来たのだから、それなら、ワイナリー見学をしようと、「サン=テミリオンのワイナリ見学(午後)」を選んでおいた。そして、午前中はシャトルバスでボルドー市内に出かけ、自由に市内散策をすることにしていた。飛鳥U停泊地点から市内まで30分かかると聞いていた。現地から船に戻るシャトルバスは11時と12時で、12時のバスに乗れば、午後のツアーは12時50分集合だから、間に合うつもりでいた。

しかし、朝のラッシュに巻き込まれ、9時出発で現地到着が10時となってしまった。これでは間に合わない。そこで、サンタンドレ大聖堂とカンコンス広場だけを駆け足で見て、11時のバスで船に戻ったが、行きは渋滞、帰りはスイスイ、30分もかからず帰船できた。ボルドーの旧市街は、オポルトと違って、町並みも立派で、ほかにもたくさん観るところがあったと思われるのに、残念だった。

ボルドー郊外、サン=テミリオンのブドウ畑と、中世の風景は世界遺産に登録されているとのことだ。、素朴な小さい美しい街だった。ここはかって石材の切り出し地だったとのことで、私たちの訪れたワイナリーは、その石材を切り出した跡を利用して、ワインの樽を保存している。至るところに水平に掘り続けられた、高さ3mほどの坑内は、石窟を思わせて、それだけで興味がある。ここに一列に並べられたワイン樽はそれだけで様になっている。

そこまでは良いのだが、ここで延々とワイナリの人の説明があり、それを、現地ガイドが通訳して話すのだから、3倍くらい時間がかかる。ここは、ワイン保存に適した温度が保たれているわけだから、薄着で来た者は芯から冷えてくる。専門的なこと、特殊な話など聞きたくないのに、そんなことにはお構いなし。とうとう誰かが文句を言ったらしく、レクチャーは終了し、洞窟の外に出た。

ここで2種類のワインの試飲があり、その後で気に入ったものをそれぞれ購入したが、ワイナリ見学とはそれだけのことで、1)ワインを保存している樽を見る、2)通訳付きの長い専門的なワインのレクチャーを受ける、3)試飲し、購入する。それだけで、製造工程のほんの一部でさえ見ることができず、製造工程の説明図さえ用意されていない。オポルトのワイナリでも、それはまったく同じだった。ツアーの案内では「赤ワインの産地サン=テミリオンのワインの製造工程をご覧いただき、、、、」とある。まさか、樽に保存しているのが製造工程というわけではあるまい。ワインを購入したら、一路飛鳥Uへ直行で、予定よりも30分も早く帰船してしまった。もう、ワイナリー見学はこりごりだ。

ボルドーでは、貴重な時間を中途半端に分断されたことが残念だったが、カンコンス広場のジロンド派記念碑を見て、フランス革命の際に、この広場でジロンド党員22名がギロチン処刑されたことを思い、サン=テミリオンでは、美しい景観、石材切り出し後の洞窟でのワイン樽保存、ブドウ酒用のブドウの木が1mくらいの小さいものであることを知ったことなど、やはり来て良かったと思う。

その中でも、私の一番興味が湧いたのは、ガロンヌ川に関係することがらだった。最初に書いたように、ボルドーは大西洋から120kmも上流にある、ガロンヌ川の流域にある。港町がこのような内陸にあることだけでも驚きだったが、もう一つの驚きは、このガロンヌ川と地中海を結ぶ運河が、17世紀に作られ、それは「ミディ運河」と言い、現存する世界最古の運河であると知ったことだ。その建設の理由が、大西洋岸と地中海岸を結ぶのに、ジブラルタル海峡を通過しようとすると、スペインの攻撃を受ける恐れがあったためだというところが、当時のヨーロッパの情勢を示している。

3つ目の驚きは、飛鳥Uがボルドーを出港して、大西洋に戻っている過程で見た川の余りにも広く、また、堤防に当るものが非常に低く、少し水かさが増せば氾濫するのではないかと心配になったことだ。恐らく飛鳥Uが下っている時刻は満潮で、最高の水位だったのだろうと思う。

<メール>

◆MH | 20 May 2007 01:52:56
*ボルドー
ボルドーと聞いただけで舌がおかしくなりますが、ガロンヌ川の河口から120kmも内陸に入っているとは初耳でした。しかし醸造所の見学はつまらないでしょうね。機械が動いているのでもなし、発酵菌がどう動こうと興味ありません。ワインが美味しければいいのですが、醸造所で呑むワインは 雰囲気がありませんものね。私も昔、モスクワのウオッカ工場で懲りました。ヨーロッパは可成の内陸まで水運で物が運べますね。私の経験ではプラハまで運んだ事があります。水路がどこでどう繋がっているのか判りませんが、荷物はきちんと届きました。

サン・タンドレ大聖堂

世界文化遺産に登録されているベージュ色の街並みは美しい

至るところに堀り広げられた坑道にワイン樽が並んでいる

どこまでも広がるブドウ畑、ワインのブドウは意外と小振りだ


5月16日:室内整理と航海記執筆

この日はまず室内整理をしたあと、13日から15日までの航海記の執筆に時間を費やした。

5月17日:ヴェルサイユ宮殿、夕方のパリ

ボルドーからオンフルールまでの航路

フランス国旗

オンフルールとパリ 衛星写真

オンフルールは雨の中の着岸だった。この「オンフルール」も普通の地図に載っていなくて、寄港地を調べるのにちょっと苦労した。セーヌ川が大西洋に注ぐ河口の街は、北側がル・アブール、南側がオンフルールで、フランスの北西部のノルマンディー地方にある。ル・アブールとオンフルールの間には、斜張橋としては世界で2番目に長いノルマンディー橋が、1995年に架けられた。

かってノルマン人("北の国の人"=スカンジナビアのヴァイキング)が、この地に何度も侵入して、セーヌ川を上ってパリにまで攻め込んできた。そこで、フランスの当時の王が、この地方を与えて、ノルマンたちを住み着かせて懐柔した。彼らは、ここにノルマンディー公国を作ったので、この地方をノルマンディー地方と呼ぶことになったそうだ。オンフルールからパリへ向かう高速道路の左手に、ノルマン人の移住を記念するステンレスの勇ましいオブジェがあり、うまくデジカメで撮影することができた。

ノルマンディー公ウイリアム(ウイリアム1世征服王)がイングランドを征服し、ノルマン朝を作ったことから、英国王朝のこと、英仏百年戦争の原因などが少し理解できるようになったことは収穫だった。

地図を調べてみると、このノルマンディー地方には、知っている名前の街が多いのに驚く。ノルマンディーといえば、あのノルマンディー上陸作戦のあった上陸作戦海岸を思い出すが、ミュージカル映画「シェルブールの雨傘」の舞台のシェルブールがあり、オンフルールのすぐ東側には、映画「男と女」のドーヴィルの海岸がある。また、7年前に訪れたモン・サン・ミッシェルもこの地方にある。飛鳥Uがこの地に寄港したのは、パリやモン・サン・ミッシェルへの玄関口として選ばれたのだろう。

また、オンフルールは印象派の画家達に愛された街で、モネの最初の出展作品「印象、日の出」はオンフルールの風景を描いたもので、印象派の名前の由来となったことを知った。

オプショナル・ツアーは「ヴェルサイユとパリ1泊2日の旅」を選んだ。オンフルールからヴェルサイユまで3時間、高速道路から眺める風景には、イタリアのトスカーナ地方とは違う美しさがあった。どこまでも続くなだらかな平野、広々とした牧草の緑、放牧された牛の群のゆったりした動きは牧歌的で、フランスが牧畜国であることを印象づける。以前、パリからモン・サン・ミッシェルへ向かう道中で見た風景は、フランスが農業国であることを教えてくれたが、今回はそれ以外に牧畜業の国でもあることを分からせてくれた。

この高速道路の、パリ、ヴェルサイユ方面行きは普段よりも空いていて、反対方向が多いとガイドは言う。そのわけは、今日5月17日がキリスト昇天祭で祝日で、木曜日なので、このような場合、フランス人は金曜日を休んで木金土日の4連休として、郊外へ出かけるのだそうだ。だから、パリは人出が少なく、郊外に人手が多いだろうと話していた。

それは間違いではなかった。パリは以前来たときよりもはるかに人間の数が少なく、反対にモン・サン・ミッシェルは大混雑で、現地ガイドも余り経験したことがないほどだったと言う。パリなど都会の人間は郊外に出かけたのだろう。夏のバカンスの季節ではないので、手近な場所が選ばれるのだろう。

ここで面白いことを聞いた。フランスでは超過勤務に対して金銭が支払われるのでなく、有給休暇の時間が与えられるのだそうだ。だから、このように4連休などが簡単にとれるようになっている。そう言うわけで、日本とフランスの給与額の比較なども、正確にはできないといっていたが、それは国民性の違い、価値観の違いだろう。

ヴェルサイユ宮殿は改修工事がほとんど終わっているためか、以前来たときよりも外観も内部も美しかった。写真もビデオも許されているのが嬉しい。ここは、すべてが壮大、豪華、華麗であったが、「鏡の間」の鏡だけは、反射率が悪く、うす汚れている感じがして、時代の限界を感じた。

ここの建物と内部の装飾、絵画、彫刻、調度品などについては、前回も驚いたが、今回はそれよりも庭園に感嘆してしまった。もし、次回ここを訪れることがあれば、建物を鑑賞するよりも、庭園をゆっくり歩いてみたく思う。ルイ14世自身が「ヴェルサイユ庭園案内法」を編纂したというが、どのようなものだったのだろう。

今回のヴェルサイユ見学で、これに連なる歴史上の3人の「ルイ」という名の王について、面白いことを知った。ヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世太陽王の権力が如何に強大で、栄華の極みであったことを示す館である。驚いたのは、彼が77歳まで生存し、在位72年であったことで、現代人に換算すると120歳くらいに相当するというが、それほど違ってはいないだろう。そのため、息子も孫もみんな先に亡くなり、後を継いだルイ15世は14世の曾孫になる。この王も長生きで、64歳まで存命し、在位59年だったが、この人の代で多くの植民地を失った。次のルイ16世はルイ15世の孫で、アメリカ独立戦争に介入して財政を悪化させ、在位18年39歳でギロチン処刑された。その王妃がマリー・アントワネットである。

宿泊は、ル・グラン・ホテル・インターコンチネンタルで、オペラ座の西前方の一角を占める大きなホテルだった。何よりも場所が良く、部屋の窓からオペラ座の頂の飾りが見える。夕食を済ませ、オペラ通りをルーブルまで歩き、ここから、チュイルリー公園横を通ってコンコルド広場に出て、コンコルド橋から、ライトアップされたエッフェル塔を望み、マドレーヌ寺院を経てホテルに戻った。

夕食後や朝食前にホテルの周辺を散歩するのは、15年前の最初の海外旅行以来、私たち夫婦のおきまりのパターンであるが、これが、意外と新しい発見につながる。今回も、これによってパリの建造物の素晴しさを改めて知った。特にオペラ通りの建物は重厚で、格調高く、しかし個性的で見事だと感心した。これが140年前に出来あがっていたのだから、明治の初めにここを訪れた日本人の感動が想像できる。

<メール>

◆MH | 28 May 2007 23:31:15
旅は佳境です。こちらも感想が湧いて出てどうにもきりがありません。えいやーと短くしました。

*オンフール
・ノルマンディー公ウイリアムとは懐かしい名前です。この辺りを見せてもらっていれば西洋史など間違いなく満点です。フランスとイギリスは海を隔てただけで元々一つの国だったのでしょうね。

・「シェルブールの雨傘」
ラストシーンはガソリンスタンドでしたよね。故あって別れた元恋人がばったり出会います。お互いに家族がいます。「元気かい?」「まあね」。大人の会話に痺れました。

・農業国
フランスはこてこての百姓の国ですよね。農産物・果物・酪農品すべて美味しいのはそのせいでしょう。誰にも気を使わなくてよい百姓はフランス人に人気があります。彼らにはサラリーマンなど最低の職業でしょう。

パリへ向かう高速道路の左手に見えたノルマン人移住の記念碑

放牧されたたくさんの牛、フランスは牧畜国である

ヴェルサイユ宮殿の全体像 衛星写真

ヴェルサイユ宮殿の建物部分 衛星写真

ヴェルサイユ宮殿の入口付近(内側より)

ヴェルサイユ宮殿の入口から建物までの広場

アポロンの間の「ルイ14世の肖像画」

アポロンの間の「ルイ16世の肖像画」

鏡の回廊

マリー・アントワネットの肖像画

戴冠の間のダヴィッド作「ナポレオン1世の戴冠」

戦史の回廊

庭園

夕暮れのオペラ座

夕暮れのルーブル美術館

夕暮れのコンコルド広場、遠くにエッフェル塔

夕暮れのセーヌ川とエッフェル塔


5月18日:ルーブル美術館、昼間のパリ

朝食後、オペラ座とその周辺を散策した。オペラ座は前回来た時は補修中で、うす汚れていたが、今は輝くばかりの美しさで、堂々と聳え立ち、前から見ても横から見ても素晴しいの一言に尽きる。この地下に怪人が住んでいたとは到底信じられない。ただ、早朝なので、中に入ることができなかったのは残念だった。

9時開場と同時にルーブル美術館を訪れた。早くここに来た効果は著しく、前回と比べて比較にならぬほど見学者が少ない。あの「モナリザ」でさえ、近くで鑑賞することができるのだ。絵画は撮影禁止だが、彫刻はOKなので、「サモトラケのニケ」「ミロのヴィーナス」などを存分に撮影できた。批判の多かったあのガラスのピラミッドも、もうすっかりルーブルになじんでいる。エッフェル塔もそうだが、斬新なデザインが時とともにパリに調和して行くのが面白い。

昨日ヴェルサイユ宮殿で見たダヴィッド作「ナポレオン1世の戴冠」の絵をルーブルでも見た。ヴェルサイユの絵と違うのは、一人女性の衣服の色が違うだけであるというこの絵を見ながら、ナポレオン・ボナパルトのことを思わざるを得なかった。パリ革命の後の混乱の中で、さっそうと登場し、ナポレオン法典を編纂し、産業発展の基礎を作り、ヨーロッパ大陸を支配した彼の在位がわずか10年であったと知って、何と優れた才能の持ち主だったのかと感嘆する。おそらくは、フランス革命という環境が、持っている優れた遺伝子の多くに対してスイッチ・オンに働いたのだろう。

ルーブル美術館に続いて、その西側にあるコンコルド広場で、エッフェル塔、オベリスク、凱旋門を同時に写せる場所へ現地ガイドが案内してくれ、写真撮影をした。この広場も前回より美しくなったように思う。ルイ16世が処刑された場所、マリーアントワネットが処刑された場所などの説明を受けている時、フランス革命の血なまぐさい恐怖政治を思い出した。フランス革命時に、ボルドーの近隣にあるナントという都市で「反革命容疑者2600名が銃殺され、さらに数千人が溺死刑に処せられ、ロワール川の水は血に染まり、裸にされて二人づづ縛られた男女の死体が川面を埋めた。」という記事を、ボルドー寄港時に読んだが、そのことが記憶に強く残っている。

その時考えたが、フランス人が本来このように残虐で冷血であると考えるのは正しくない。人間は誰もがこのような残虐なことを好む遺伝子を持っており、通常はこれがスイッチ・オフの状態である。そこへ環境の変化、群集心理などが加わる時、この残虐を好む悪魔の遺伝子のスイッチがオンとなると考えるべきだろう。そう考えるとアウシュビッツのドイツ人も、2発の原爆で日本人35万人の命を奪ったアメリカ人も、理解することができる。人間は神にも悪魔にもなれるというのは、そういうことだろう。

凱旋門と凱旋門前広場(エトワール広場)には、12本の道路が放射状に連なっている。前回、凱旋門の頂上に登り、下を見下ろした時、そのことをこの目で確かめ、驚嘆したことを覚えている。今回はこの広場をバスで3回廻ったので、交差点としてのロータリーに非常に興味が湧いた。ここでは信号はなく、車は反時計回りに動きながら、12本のいずれかの道路に移動して行くのである。信号が無い分待ち時間の無駄はないが、車の移動する距離は増え、車の数が多い場合は、かなり高度の運転技術がいるだろうと思った。フランスではこのロータリー方式が数多く見られ、信号のある四辻交差点の方が少ない感じを受けた。

ツアーの最後は、パリ三越でショッピングになっていた。私たちのツアーより少し後で、別のツアーで来ていた飛鳥Uの乗客が、この三越前で引ったくりに遭い、パスポート入りの鞄を盗まれるという事件があった。現場を目撃した人の話では、買い物を終えて、ツアーのバスに乗車する時に、皆から少し離れたところで一人で立っていた男性が単車を当てられ、倒れたところを鞄を奪われ、逃げられたそうだ。一瞬のできごとだったという。

飛鳥Uからその件についての説明はないが、これまで6件ほど被害があったこと、パスポートを盗られた人もいること、パスポートは最重要なので肌身離さず持つこと、鞄は、たすき掛けか身体の前にかけることなどの注意が繰り返し行なわれている。クルーズで親しくなった海外旅行のベテランも、内ポケットに入れた財布をすられ、すられたことが分からなかった経験があると教えてもらった。

<コメント>

◆投稿 T-baba | 2007年5月25日 (金) 22時55分
旅も中盤、お疲れが出る頃と拝察していましたが、UPされた記事は連日のご活躍が元気印でびっしりと書かれていました。引き込まれて一気に読みました。違った視点からのパリ観光の詳しい記事や歴史の考証に接し、興味津々でした。「冷血の遺伝子」のon とof のお話、例え方がBOW先生らしく、ユニークでしかも現実味がありました。

ノーマンディのシードル蒸留酒カルバドスなどお試しになりましたか?たまには土地の飲食物に関する情報も少し下さいませんか、パリというと☆しかおもいつかないクイシンボウも読者におりますれば(笑)

◆投稿 BOW | 2007年5月26日 (土) 17時11分
T-baba さん、コメントありがとうございます。相変わらずのへそ曲がりな見方ですが、お読みいただき嬉しいです。

カルバドスは前回のモンサンミッセルで飲んで、さっぱりしてこちらの方が私には合うように思った記憶があります。フランスで食べたフォアグラより、前にお土産で頂いた方がよほど美味しかったと、家内と話しています。ベルギーで食べたムール貝の白ワイン蒸しは、久しぶりに満足し、家内の分までぶん取りました(笑)

◆投稿 ヒマジンスキー | 2007年5月26日 (土) 10時43分
歴史にも弱いヒマジンにとって今回の記事は大変に啓蒙される内容です。王位を曾孫に継いだという長寿のルイ14世のこと、ルイ16世が39歳でギロチンされたとか、その王妃マリー・アントワネットも処刑されたとか、知らないことばかりで恥ずかしくなります。「人間は神にも悪魔にもなれる」というのは誰の言葉なのか知りませんが、説得力溢れるお話でした。

今日は夕刻にK高校7回生首都圏同窓会に出席してきます。BOWさんのクルーズも立ち話のトピックになるでしょう。クシャミが出ないように祈ります。

◆投稿 BOW | 2007年5月26日 (土) 17時17分
ヒマジンスキーさん、こんにちは
ルイ14〜16世の年齢など意外だったですね!ちょっと驚きました。今日はK高東京支部の集いですか、皆様によろしくお伝え下さい。もう今から風邪気味です(笑)

◆投稿 モナリサ | 2007年5月26日 (土) 17時17分
5月13日から10日間中欧(ブタベスト・ウィーン・プラハ)を旅してまいりました。北欧からの入国でしたので「ひょっとして飛鳥Uが見えるかも?」などと思い飛行機の窓から下の景色を覗いていました(笑)。“エンジョイBOW”さんのURLもメモして出かけました。先ずは関空の搭乗ゲートのパソコンでチェックしました「OK!これこれ・・・」

次回はブタベストのホテルのパソコンルームで・・・しかし、私がチェックした限りでは、日本語で書かれたページは見ることが出来ませんでした。日本語ソフトが対応していないのでしょうね(残念) そうそう、BOWさんがオペラ座の見えるホテルに宿泊されている頃、私達はウィーンのオペラ座で小澤征爾さん指揮の“マーラー交響曲第二番ハ短調『復活』”を楽しんでおりました〜。前日はドミンゴ指揮の“トスカ”も観ました。ドミンゴさんは多才な方でテノール歌手だけではなく指揮もされるそうです。

プラハは4連休(キリスト昇天祭)ということでカレル橋も人・人・人であふれかえっていました。あの人達はパリからの旅行者だったのですね・・・プラハ城に懸かかる三日月と金星がとても印象に残りました。飛鳥Uから見る月も少しふっくらしてきましたね。では、飛鳥Uの旅行記後半楽しみにしています。

◆投稿 BOW | 2007年5月27日 (日) 03時08分
モナリサさん、詳しいコメントありがとうございます。
ブタベストのホテルのパソコンで日本語が駄目だったとのことですが、5〜6年前ハワイでも駄目でした。研究の余地ありですね。パリの住人がプラハ、十分考えられますね(笑)

ドミンゴの指揮とはちょっと驚きです。彼はもともとはバリトンだったと聞きますし、最近声が出なくなったとか聞きましたが、どうなんでしょうね?

<メール>

◆MH | 28 May 2007 23:31:15
・ナポレオン
教会の機関紙に「二人の擲弾兵」なる作品を載せるべく昨年、作業を開始しましたが、登場人物達が大物過ぎてどうにもまとまりません。海軍用語で「猫マグロ」と申します。就中、ナポレオンが最も始末が悪いです。おっしゃるとおりの法律、産業分野もさることながら、モスクワ遠征だけに絞ってもエピソードと背景説明が目白押しです。現在休刊中です。

朝のオペラ座

ルーブル美術館のピラミッド

ルーブル美術館ピラミッド下(ナポレオン・ホール)

「サモタラケのニケ」

「ミロのヴィーナス」

ミケランジェロ「囚われの奴隷」

コンコルド広場のオベリスク

シャンゼリゼ大通りを凱旋門へ向う

凱旋門

エッフェル塔


5月19日:アントワープ、空撮、ビアカフェ巡り

オンフルールからアントワープまでの航路

アントワープは、大西洋からスヘルデ川を80km遡ったところにある港町

アントワープはスヘルデ川の東岸に位置する

ベルギー国旗

ベルギーのアントワープ入港前に、飛鳥U専属中村カメラマンによる空撮が行なわれた。イスタンブール入港前にも空撮はあったが、その時にロングツアーで不在だった乗客からクレームが出て、2度目の撮影となったらしい。前回は、撮影しているカメラマンを、ズームアップでビデオ収録することに夢中になり、空撮の写真では顔の半分がビデオカメラに隠れて、オペラ座の怪人風(そんなにカッコは良くないが)になっていたので、こんどはしっかり顔を全部写してもらおうと思った。幸い天候に恵まれ、良い撮影条件だった。その内、展示されると思うが、空撮でも意外と個人の顔が識別できるのが驚きだ。

アントワープ港も、大西洋からスヘルデ川を約80kmさか上ったところにある。ボルドーと言い、ヨーロッパには河の港が多い。これは、かって船舶が輸送の最重要な手段であり、内陸に港があることが利点だったためだろう。

アントワープの上陸が遅れ、待ちきれない思いで「ビアカフェ巡り」のツアーに参加しようと、船を降りたところで、知らない女性が「野村 望さんですね」と声をかけて下さった。すぐ、その方が、このブログにコメントを下さったSACHIさんであることが分かり、もうビックリ。そばでご両親がニコニコ笑っていらっしゃる。お話を続けたかったが、ツアーがあるので残念ながら、それだけでさようならをした。それにしても、どうして私がお分かりになったのだろうとつぶやくと、「ブログのプロフィールに写真を載せたからでしょう」と妻に言われて納得した。その後、ある方のご紹介でSACHIさんのご両親にお目にかかることができて、船旅はほんとうに出会いの旅であるとつくづく思う。

ツアーの案内文には、3ヶ所の特色あるビアカフェを訪ね、それぞれ2種のビールを味わうと書いてある。飛鳥Uに乗った時から、この日が楽しみだったので、わくわくしながら、アントワープの街の中を歩いた。前日まで、アントワープは3日間嵐が吹き荒れていたそうだが、この日は晴天で、屋外はビールを飲んでいる人たちの集団で溢れている。

私たちのグループは13名で、屋外で飲むことを選び、他のベルギー人のビール愛飲家たちと交歓し、通り過ぎる人たちとも声を掛け合い、ご機嫌だった。最初のビアカフェでは、さくらんぼから作った赤い色の甘いビール、次は白ビールだったように覚えている。それから、修道院ビール(トラピストビール)やピルスビールなどを飲んだが、どれも美味い。横に監視人が張り付いているので、最初はセーブさせられたが、最後のビアカフェでは、安心したのか、監視人の分まで飲むことを許され、中ジョッキくらいの量を6杯以上飲んだことになる。ビールが変わるごとにコップの形が変わり、そのビールの名前が付いている。記録好きのBOWも、アルコールが入れば、そんなものはクソ食らえで、もっぱら雰囲気を楽しんだため、記録は残っていない。

ご機嫌で船に戻る途中、出てくる鼻歌が「ヴォラーレ」なのが、何故だか分からない。壊れた昔のSPレコードのように、同じところをくり返し唄っている。と思ったら、「もしもし、かめよ」のメロディーで「ああ、ゆかいなり、ゆかいなり、ああゆかいなり、ゆかいなり」に変わってしまった。それからあとの記憶はない。飲んだ量も多かったが、上陸時間が大幅に遅れてしまったので、飲む時間が短くなり、早いピッチで飲んだ影響もあるに違いない。しかし、翌朝は二日酔いもなく、次のツアーに元気で参加できた。

この「ビアカフェ巡り」は、クルーズで一番楽しかったツアーで、一緒に廻った飛鳥Uのアシスタントに、後日そう伝えると、これは今回がはじめての企画だという。今回成功したのは、晴天だったからで、もしも雨、嵐であれば、みじめだったかもしれないことを思うと、来年もこの企画を続けるべきか否かはなかなか難しい問題だろう。

アントワープと言えば「フランダースの犬」の舞台になったところというが、こちらの人は97%がこの物語を知らないと現地ガイドは話していた。最近この物語の日本のアニメが放映されたので、少しは知っている人も増えたかという程度で、図書館にも本は置いていないそうだ。

アントワープはダイヤモンドの研磨で世界の70%のシェアを占めていて、その中心はユダヤ人であることをまったく知らなかったが、私たちには関係のない話である。

<コメント>

◆投稿 SACHI | 2007年5月21日 (月) 16時55分
15日に成田を出発。オランダからベルギーへ。旅行の途中、飛鳥を4時間体験し今日帰宅しました。ご縁があればお会いできるかと密かな期待。一瞬の出会いでしたが、神様の計らいに驚いています。そして すぐに分かっていただけたこと とてもうれしく思っています。

いろいろなエッセイを読ませていただき(まだ途中ですが)是非お話を伺えたらと・・・でもあっという間に時がたち、ツアー宿泊先のブルッセルのホテルへ戻ったのは1時前でした  (;^^)

飛鳥の日々 想像以上に楽しそうですね。両親を始めみなさんのキラキラした顔、最高でした。これからの旅行記も楽しみにしています。そしていつかお会いしていろんなお話しを伺える日が来ることを・・・(厚かましくごめんなさい。)

◆投稿 BOW | 2007年5月21日 (月) 18時33分
SACHI さん、こんにちは!
アントワープでビアカフェ巡りに出ようとして、お目にかかりびっくり仰天でした。ツアーだったので、ほんのわずかしか、お話できなかったですが、不思議な出会いを感じました。飛鳥2ではこのような思いがけない出会いが多くあり、村上先生とお話した運命を信じるということがいくつも経験できます。今は一番忙しく、大西洋を航海中に、これまでのことをまとめてUPしようと思っています。

<メール>

◆MH | 28 May 2007 23:31:15
*アントワープ
・ビール
ビアカフェ巡りだけでも参加したいです。帰船途中のヴォラーレは最高にご機嫌ですね。西欧・北欧の夏は歩道にテーブルが出て、真昼間から呑んでいるのですね。不思議に酔っ払わず、いくら呑んでもトイレに行きません。水分は何処へ行くのでしょうね。

・フランダースの犬
最初、地元は驚いたようですよ。日本人がやってきては犬はどこだというので慌ててどこかに銅像を作って誤魔化しているとか。まあ、悪い話じゃないし、その内に日本人がネロ饅頭、パトリッシュ  チョコなどを売り出すかもしれません。

・ダイヤモンド
仰せの通りダイヤはユダヤ人の独壇場です。マンハッタンの42th Street, 6th Avenue 辺りは黒装束に黒帽子、顎鬚を生やしたユダヤ人がぞろぞろいます。全部がダイヤモンド関係者です。装束から見てOrthodox というガチガチのユダヤ教徒でしょうね。42th Streetは6番街からウエストエンドにかけて柄の悪いところですから行かないほうがよろしいですよ。

スヘルデ川を遡り、アントワープへ向けて航行する、このあたりはオランダ国内

空撮のヘリコプター飛来、このあたりからベルギー国内

格調の高いノートルダム大聖堂

飛鳥Uから下船すると直ぐこの街角に出る。中央に大聖堂の鐘楼が聳え立つ

3軒目のビアカフェ、ああ愉快なり、愉快なり

飛鳥Uのすぐそばの街角はもうすっかり夜のムード


5月20日:ブリュッセル、ムール貝の白ワイン蒸し

この日のツアーは「ブリュッセル1日観光」である。バスに乗ると、現地ガイドが、ベルギーは1年の200日が雨で、天気予報には雨、曇り、晴れの3つがいつも載っていると言う。天候が変わりやすく、雨具を携行しておくのが無難らしい。実際、出発時には晴れていたが、昼食後は雨となってしまった。また、雨が多いとしたら、ブリュッセルの建物はカビで黒ずんでいるのではないかと思ったが、それも当っていた。

まず、サンカントネール公園で下車して、ここを眺めた後、王立古典美術館を訪れ、ルーベンスやヴァン・ダイクなど絵画を鑑賞した。ストロボ発光なしで撮影OKはありがたかったが、ガイドの絵の選択や説明が充分でなく、また、ルーブルを見たあとだったためか、印象に残る絵は少なかった。

次のグラン=プラス広場はブリュッセルの中心地で、110m×70mの広場の周辺を中世の建物が取り囲み、世界遺産に登録されている。中でも王の家と、ゴシック尖塔が見事な市庁舎が向き合っている姿は素晴しい。この広場の近くに、有名な小便小僧の銅像がある。ガイドから世界3大ガッカリ像だと予告されていたが、小さな愛らしい像で、妻などは可愛いと言って喜んでいた。

グラン=プラス広場の近くのグルメ横丁にあるレストランで、昼食に「ムール貝の白ワイン蒸し」を食べた。山盛りのムール貝に、刻んだセロリがたっぷり添えられ、塩味か効いていて、とても美味い。ちょっとバターが多すぎる感なきにしも非ずだが、辛抱できる。ムール貝の貝柱を貝殻ではずし、実を食べる。これを早いスピードで食べて、無くなると妻の分にまで手を出し、久し振りに満足感を味わった。

フライドポテトが添えてあり、これに食卓塩をたっぷりかけて食べていると、隣のご夫婦が呆れていらっしゃる。お二人は高血圧症なので塩分制限をしておられるとのことだ。ムール貝もフライドポテトもビールの肴にとてもよく合う。これもアメリカに移住したベルギー人が持ち込んだものだとガイドは話していた。

昼食が終わると自由行動になり、散策、写真撮影、ショッピングなどの時間が与えられたが、あいにく雨が降り出して、行動が限られてしまった。しかたなく、大部分を近くにあるギャルリー・サンチュベールの中で過ごした。ここは1846年に建造された、いまも現役のショッピングアーケードである。ガラス天井を持つアーケードとしてはヨーロッパ初のもので、パリやミラノのギャルリーは、これにならって建造されたものだという。これはアールヌーボーの建築様式で、アールヌーボーはウイーンが本場かと思っていたら、ブリュッセルがアールヌーボー誕生の土地だと知った。ここには、ゴディバなど王室御用達チョコレートの一流店も軒を並べている。

私が、ベルギーについて連想するのは、ゴディバ、ヴィタメール、ノイハウスなどのベルギーチョコレートやベルギーワッフルなどのお菓子、それと王室が天皇家と親しい関係にあることくらいだったが、この地を訪れ、ビール、ムール貝料理、アールヌーボー、ダイヤ、変わりやすい雨勝ちの天候などが加わった。

アントワープの出港は遅れることなく、17:00に行なわれた。明日はサザンプトンに入港し、バスでロンドンへ行くことになっている。

<コメント>

◆投稿 ヒマジンスキー | 2007年5月27日 (日) 07時41分
モントリオールに駐在したときにベルギー料理に接し、ムール貝料理を楽しみました。帰国後、東京で食べたムール貝料理に貝が5つほどしかなかったことを覚えています。ベルギーではバケツに入ったムール貝を別の殻入れ用のバケツを横にムシャムシャ食べると聞いていたのに。

ゴディバもベルギーのチョコとは知りませんでした。HPで勉強しました。11世紀英国の伯爵夫人のレディ・ゴルバの物語、馬にまたがる裸婦のシンボルマークを次回よーく観察するようにします。

◆投稿 BOW | 2007年5月28日 (月) 08時13分
ヒマジンスキーさん
ムール貝の白ワイン蒸しを3〜40個、家内の分を2〜30個ガツガツ食べました。美味かった〜!

◆投稿 T-baba | 2007年5月27日 (日) 14時47分
☆印レストランが多い「美食の町ベルギー」でのビアカフェ巡り、、なんともウラヤマシ!

丁度こちらは日曜日の昼下がり、思いがけず和歌山から今朝クール宅配で届いた地ビール(なんと「軍艦ビール」と言う名前)と、浜松餃子をサカナにイッパイやってご機嫌の時に読みましたから、ビアカフェの興奮がこちらまで伝わってくるようで、ついつい二人ともマッカッカ(こんなことはめったにないことなのです)生ビール好きのT−baはBOW先生と同席してムール貝とフライドポテトをさかなにおいしいビールを堪能しました(笑)

ビタメール、ノイハウス、、どれも思い出いっぱい、懐かしいです。ワッフルも美味しいのですね。二日酔いがなくてなによりでした。さあ次回は大英帝国!楽しみにして、期待しています。

◆投稿 BOW | 2007年5月28日 (月) 08時20分
T-baba さん
ビアカフェ巡りほど楽しかった経験をほかに思い出せません。前日まで嵐だったというので、ほんとにラッキーでした(笑)

ムール貝とフライドポテトにご同席ありがとうございました。Drもビールを飲まれたとは、驚きです。ワインオンリーとばかり思い込んでいました!二日酔い、恥ずかしいです(笑)

◆投稿 SACHI | 2007年5月28日 (月) 10時45分
親友がデザインしたノーザンホースパーク K's garden(とっても素敵です。機会があったら是非訪れてください。)グランドオープンのため北海道に行ってました。心を癒し元気をくれる数々の花たち、おいしい魚貝、肉、野菜、限定ビール。。。北海道もいいですよー

帰宅後、ブログを見て わぁ!!日記に残していただけるなんて ありがとうございます。私もベルギービールを楽しみにしていたのですが 時間と許容量が・・・   (;^^A  ビアカフェ巡りと知っていたら ご一緒したかったです。(両親に叱られる エヘヘ)

父からは相変わらずメールが届かず・・・こちらのページで出会いを知りました。私の何を暴露されたのか 少々不安です

◆投稿 BOW | 2007年5月29日 (火) 05時35分
SACHI さん。お久しぶり
ノーザンホースパーク K's gardenへ機会があれば行ってみたいです。

>私の何を暴露されたのか 少々不安です
ご安心あれ! 今のところ何も把握していません(笑)。しかし、まだ日にちは充分あります。そのうちにタップリ聞き出しますので、お覚悟を!!

<メール>

◆MH | 28 May 2007 23:31:15
・ムール貝・フライドポテト
こりゃ美味しいです。この取り合わせはキリスト誕生以前からあるのではと錯覚します。西欧の塩は粗塩が多くてこれが又こたえられません。

「独立50周年記念門」(サンカントネール門)

「ブリュッセル公園」

「王宮」

「王立美術館」

世界で最も美しいといわれる広場「グラン=プラス」

「王の家」

「ギルドハウス」

「市庁舎」

「ギャルリ・サンチュベール」はヨーロッパ初のショッピング・アーケード

「小便小僧」の銅像


<2007.8.13.>

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