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 船坂ビエンナーレの棚田エリアの散策を終えて、大多田川と有馬街道の車道を渡り湯山古道エリアに入った。正面のゆるやかな山道を登った先の船阪小学校東門を通り抜けた。校庭からバンド演奏や司会者のトークが聞こえてくる。「船坂ふれあい広場」の「収穫祭」の会場だ。いくつものテントの下では地元住民による多くの屋台が営業中だ。ポン菓子、古代米カレー、お米に地場野菜、おにぎりなど。一杯200円の船坂蕎麦には長い行列ができている。どの商品も専用食券で購入しなければならない。知人が受け持つ食券販売所でチケットを購入し、昼食用にかやくおにぎりを求めた。着席したパイプ椅子の前ではバンド演奏やフォークソングの野外コンサートが続いている。地元住民挙げてのビエンナーレの取組みが伝わってくる。
 棚田エリアから湯山古道エリアに入る山道の先に船阪小学校東門がある。積み重ねた歴史の深みを感じさせる石造りの二柱である。東門を抜け校庭東側の急階段を上り、山肌の斜面に建つ校舎を見学した。来年3月の廃校が決定し、明治6年の開校以来136年に及ぶ歴史を閉じようとしている西宮市最古の小学校である。日曜日ながらイベント協賛なのだろうか、教室には入れなかったものの校舎内は開放されている。内部を見学できる思わぬ機会を得た。ぬくもりのある木の廊下が、歩くたびにミシミシと音をたてる。窓越しに見える教室内は、映画・二十四の瞳に登場する小豆島の分教場を思わせる素朴さがある。横長の校舎を走る長い廊下が、幼い頃に通学した母校の郷愁をもたらしてくれる。正面玄関を出て、下り坂を下りたところから振り返った。校舎玄関周りの風情ある造作が目に映る。すぐ下の校庭隅には、今は見ることの少ない二宮金次郎の石像が歩きながら本を読んでいる。保存すべき貴重な文化遺産としてのこの校舎への想いが募る。
 13番目のオブジェは、船坂の古刹・善照寺本堂の中に設置されていた。本堂と庫裏は、ともに茅葺きをトタンで覆った風情のある屋根である。境内東側には鐘楼らしき建物が残されている。保育園併設の寺院に設置された境内のカラフルな遊具が、伝統的な古刹に生き生きした雰囲気を漂わせている。本堂正面の木の階段を上がると意外に広い縁が本堂の三方を囲んでいる。本堂内の40畳ほどの外陣は比較的新しい畳が敷かれている。天井から吊るされた大きな六角照明と「黄金山」の金箔の額がひと際目につく。内陣正面の須弥壇には、黒い阿弥陀如来立像が安置されている。別名・浮き足如来と呼ばれる本尊である。オブジェの鑑賞の機会は、一度は参拝しておきたかったお参りの絶好の機会でもあった。
 午後1時半頃に、ビエンナーレの全てのオブジェを見終えた。朝11時過ぎから2時間余りの散策だった。山王神社や隣りの国玉大明神を参拝したりして15分ばかりを過ごした。
 2時からは小学校体育館で催された人形劇公演を楽しんだ。生徒数にふさわしい小型の体育館では並べられたパイプ椅子を地元のお年寄りなどで埋められていた。3グループによる公演だった。最初は甲山高校の生徒たちによる紙人形劇「ねずみとりのトルーネさん」だった。決して上手とはいえないがその一生懸命さは伝わってくる。
 続いて街の紙芝居屋さん・コンちゃんの登場である。70歳を越えたかに見えるプロのおじさんが軽妙な語り口で3本ばかりを上演した。子供の頃に楽しんだ紙芝居が今目の前で繰り広げられている。物語のクライマックスで必ずその日の一巻が終る筋書きである。続きはまた明日・・・ということで次の日も次の日も待ちかねたようにお地蔵さん前に駆けつけた思い出が甦る。
 最後は戎座人形芝居館チームの出番である。西宮戎神社ゆかりの人形あやつり師の傀儡子を思わせる衣装に身を包んだメンバーたちが舞台前に陣取った。三味線、太鼓、語りなどの音曲の担当者たちだ。舞台では人形浄瑠璃風の人形を黒子たちが操っている。なかなか本格的な仕掛けである。西宮民話「逆顔大王」の物語が巧みな筋立てで展開する。初めて見る本格的な人形芝居をたっぷり楽しんだ。
 ビエンナーレとはイタリア語の「2年に一度」の意味のようだ。「西宮船坂ビエンナーレ2009」がスタートした。地元住民や15人のアーチストだけでなく多くの人びとの結集されたパワーが生み出したイベントだと思われる。それにしてもこのイベントを「ビエンナーレ」としたことの意味は大きい。2年に1度の開催を宣言したに等しい。どのような論議を経て決定されたのだろう。2009の西暦表示の駄目押しが並々ならない覚悟を示している。「「西宮船坂ビエンナーレ2011」に繋がることを願ってやまない。