2000年7月5日〜8日

高速列車「セマウル号」の慶州〜ソウルの旅
 朝7時40分、慶州ヒルトンをシャトルバスで出発。途中のホテルで何人かの観光客を乗せ、8時に慶州駅に到着。駅を背景に記念写真。セマウル特急の発車は8時30分。昨夜のホテル免税店で買込んだお土産でかなり重くなったスーツケースを引っ張り改札ホームの向いのホームに辿り着く。ほどなくセマウル号が滑り込む。車体の老朽化は覆い難く、グリーンとイエローのツートンカラーも汚れの目立つくすんだ色合いに変色している。外観とは違い車内は比較的快適な空間である。号車の違う金さんと別れて6号車の17−18番の指定席に。
前列座席の背ポケットにパンフレットがあり、金大中大統領と金正日総書記の握手姿の写真が掲載されている。ハングル文字はもとより読めない。国有鉄道の車内を利用した政府広報とのこと。携帯電話のコール音がしばしば車内に響く。韓国での携帯の普及率は日本を凌ぐ勢いだ。11:45約束通り食堂車に行く。金さん手配の車内弁当が待っていた。暖かいご飯におかずが満載の幕の内である。白菜、山菜、明太子と3種ものキムチがいかにも韓国風。食べるほどに汗が滲み出る。
車窓からののどかな田園風景の中に建設途中の高架工事がやけに目につく。金さんの話ではソウル〜釜山間の韓国新幹線の工事とのこと。狭い国土に新幹線が必要かとの声もあるとのこと。
13:03ソウル着。韓国鉄道は時間厳守だ。(マレーシア鉄道はかなりいい加減だったが・・・) 4時間33分の長旅だったが、弁当やら「地球の歩き方」予習やらであっという間に過ぎ去った。
李氏朝鮮の都、ソウルの旅情
韓国ドライバー事情
セマウル号を降りてホームからエスカレーターに乗り改札をそのまま抜ける。「チケットは記念にどうぞ」と金さん。ソウル駅構内のコンコースに出る。雰囲気は東京駅構内。スーツケースを引っ張り階段を降りて、駅隣接の駐車場に向う。ワゴンの側に初老のドライバーが待受ける。
市内観光に出発したワゴンは首都ソウルの車の洪水の中を縫うように走る。初老とはいえ、ドライバーの運転はやけに荒っぽい。そして周りの車の運転も負けず劣らず乱暴だ。車線の強引割込み、交差点での突込み等々。「韓国ではこの程度の運転ができなければ馬鹿にされる。譲り運転のマナーはこの国にはない。」と、金さんが平然という。コワ〜ッ。
李氏朝鮮王朝の正宮「景福宮
ソウル観光のメインは李氏朝鮮王朝の正宮「景福宮」だった。日本の植民地統治の際、この正宮を覆い隠すようにようにして巨大な朝鮮総督府の庁舎が建てられたという。1995年に金永三大統領によって庁舎は撤去され、現在は正門の光化門越しに正殿である勤政殿が視界に入ることになった。それでけに韓国の人にとって景福宮は民族の誇りの象徴なのかもしれない。
「勤政殿」は現在間近に迫ったワールドサッカーの開催に備えて修復工事中だった。その威容の下半分は工事用のパイプに覆われ、石造りの基壇の迫力は想像するほかなかった。勤政殿前を西に進むと池に浮かぶ巨大な楼閣が目に入る。「慶会楼だ。慶会楼を左に見ながら奥に進む。勤政殿の裏手に当たる位置に国王の政務庁舎「思政殿」と学問所「千秋殿」がある。
国立民族博物館と南大門遠景
景福宮から歩いて数分の所に国立民俗博物館がある。洋風の会館の上に五重塔を載っけるというかなり俗悪な建物ではある。韓国民族の伝統的な暮しぶりを時代ごとに模型やパノラマで展示している。
予定の南山公園をパスしてソウル観光は以上でおしまい。いよいよ奥様お待ちかねショッピングタイムである。南大門市場に向う途中にソウルのシンボルともいうべき南大門が車中から見えた。さすが!威風堂々。
最新のハイテク設備を誇るインターコンチネンタルホテル
韓国紀行最後のソウルでの宿は、漢江の南岸にそびえるインターコンチネンタルホテルだった。この超高層の最新ホテルの室内にはインターネット接続の環境が整えられていた。(もっとも、その設備に気づいたのは翌朝のことで、試すことはできなかった。残念!)窓からは、奇跡と呼ばれた韓国の高度経済成長のシンボル漢江を望むことができる。
ところで夫婦旅行の夫の特典は、ホテルでの様々な雑事から免れることではあるまいか。明日は帰国という夜のスーツケースの荷づくろい、下着の取り替え、バスの準備等々。
スーツケースと格闘しながら妻が言う。「○○さんとこの旦那さんはこんなことは皆自分でするって・・・」夫は近所の旦那の夫の風上にも置けない振る舞いに内心舌打ちしながら、ビール片手に心にもない台詞をはく。「ハイハイ。感謝、感謝」
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