■朝5時前にいつものようにホテルを出て周辺を散策した。フロントでホテル南側に広がる海岸の岸辺に降りる道を尋ねた。車道沿いに白い案内柱の傍の脇道が唯一の降り道だと教えられた。こんな情報はスマホでは得られない。
 教えられた脇道の木の茂った坂道を降りた。同じ時間に稚内では明るかった空が、ここではまだ薄闇に包まれている。月が今尚明るさを誇示していた。日本列島の南北両端の気象の違いを実感した。波打ち際に着いた。ごつごつした石に敷きつめられた荒瀬だった。南西の山川港の海岸線の丘陵の上に見事な三角錐の山容が見えた。開聞岳だった。戻ろうとした時、浜際の道に建つ「琉球人瀬」の記念碑が目にとまった。碑文は読めなかったが帰宅後ネットで調べると、300年前にこの山川港に上陸した琉球の先人達の記念碑のようだ。
 車道に出て山川港方面に歩いてみた。車道北側の山裾を走る指宿枕崎線の鉄橋にカメラを向けていたら、列車のやってくる音が聞こえてきた。待ちかまえたカメラで鉄橋を走り抜ける列車を捉えた。車道脇に群生しているブーゲンビリアの鮮やかな紫の花を眺めながら30分ほどの散策を終えて帰路に着いた。
■フロントで6時からのボランティアガイドによるホテル周辺の散策ガイドを案内された。部屋に戻り手早く支度して大浴場の朝風呂を済ませ、散策ガイドに参加した。20人位の宿泊者たちと一緒に高齢のガイドさんの開聞岳方向のガイドやホテル庭園の草木の説明を聞いた。
 8時半に昨晩と同じ相方と一緒に朝食を戴いた。焼き鮭、湯豆腐、薩摩揚げ、玉子焼きなどの和朝食だった。部屋に戻った時、電車音が聞こえた。咄嗟に窓からデジカメですぐ下を走る黄色いローカル電車を捉えた。
■7時50分に二台のマイクロバスでホテルを出発した。両側にヤシの木が並ぶ車道を走るマイクロバスの車窓から芋畑や開聞岳を眺めているうちに10分ほどで目的地に着いた。日本最南端のJR駅・西大山駅である。ホームに屋根組のあるベンチが置いてあるだけの無人駅だ。駅前に売店があり、ここでお土産と一緒に指宿市観光協会発行のJR最南端駅到着証明書を100円で販売していた。とはいえこの駅の風情は見事だった。駅ホームの西端に立つ「日本最南端の駅・北緯31度11分」の白い案内柱の向うには快晴の青空に開聞岳がくっきり聳えていた。その麓から手前に伸びた二本のレールが何ともいえない貴重な鉄道風景を描いていた。
 開聞岳方向から乗車列車が近づいてきた。ツアー仲間たちが一斉にカメラを構えた。遠すぎても近すぎてもいないギリギリのところでシャッターを押す。ほど良い構図の画像がSDカードに納まっていた。
■8時30分に西大山駅で乗車し、二駅先の山川駅で快速電車に乗り換えた。自由席ながら乗客数は少なくゆとりを持って海岸側の右側席に座った。指宿駅からボックス席の向い側に若い女性が席を占めた。聞いてみると女子大生の一人旅だった。しばらくすると車窓から煙たなびく山容が目に入りだした。桜島だった。激しい降雨の昨日は気づかなかった風景だ。桜島は鹿児島駅の真東に位置している。列車が進むにつれてその姿は大きくなり角度を変えた姿を見せる。様々な姿を愉しみながらシャッターを切った。
 喜入駅では年配の上品な女性がボックス席に仲間入りした。発車直前にそのオバサンが忘れ物に気づいたのか突然降車した。ドアが閉まった時に姿を見せたオバサンが運転席の窓を叩いて合図した。信じられないことにドアが開いて、日傘を手にしたオバサンが再びボックス席に仲間入りした。ローカル線の心温まる運転手の振舞いだった。くだんのオバサンは「これに乗らないと次は1時間後の乗車なんです」と口火を切った。そこから地元のオバサンと旅人たち4人の交流が始まり、鹿児島の市内観光予定の女子大生は貴重な地元情報を入手した。
■鹿児島中央駅で10時35分発「さくら552号」に乗り換えた。50分ほどで熊本駅に着いて、在来線の11時38分発「九州横断特急」大分行きに乗り換えた。始発駅のホームには金色文字のロゴマークが目につく二両連結の赤い車両が待ち受けていた。木の温もりと濃いグレーの4列シートのお洒落な内装の車内だった。発車して間もなく昼食の「九州うまか弁当」が配られた。九つに区分けされたスペースにいなり寿司や高菜飯、日の丸ご飯のご飯と焼鯖、鶏肉、辛子蓮根、煮物などの惣菜が彩り鮮やかに配されている。
 たった二両なのに発車しても中々車内販売のワゴンが来ない。弁当のおかずをアテにビールを呑もうという魂胆なのに。乗務員は運転手と若い女性車掌の二人である。女性車掌が車内検札を終えてワゴンの制服に変えてようやく回ってきた。早速、ツアー仲間のオジサンたちが相次いで缶ビールを注文する。同じ物を私が手にした頃にはおかずはあらかたなくなっていた。車窓に美しい風景が現れるとくだんの女性乗務員は運転席横のマイクで観光案内をしてくれる。終着駅到着後は車内清掃もするという。なんと九州横断特急の女性乗務員は車掌、販売員、ガイド、清掃員の四役をこなしていたのだ。
■それにしてもこの熊本-大分間の九州を横断する豊肥本線は見所満載の路線である。スイッチバックの運転で運転手が先頭と最後尾を行き来したり、雄大な阿蘇山と外輪山の風景を間近に眺めたり、豊後竹田のような山岳地に突然登場する美しい町並みを目にしたりする。とりわけ若い女性乗務員の愛嬌の良さは特筆ものだった。ツアー仲間たちとの会話にも加わってくれるし、オジサンとのツーショットにも気軽に応じたりする。車窓と車内で大いに愉しんだ九州横断特急の旅が14時28分の大分到着で終了した。女性乗務員の満面の笑顔に送られて次の乗換え列車に向かった。
■14時45分発「ソニック40号」博多行きに乗車した。ソニックは九州の東の海岸線を縦断する日豊本線の大分-博多間を結ぶ幹線列車だ。濃いメタリックブルーの車体に先頭車両のロボット風の独特の顔つきが印象的だ。窓の大きな明るい車内も4列シートのゆったりした構造である。外観、内装ともに斬新なデザインの最新鋭車両のイメージだった。
 下車駅の小倉までの1時間45分を家内を含めた三人の奥さんたちのおしゃべりに花が咲いていた。下車間近になってカメラマンの私を除く三組のご夫婦の集合写真をリクエストされた。今回のツアーで唯一の集合写真だった。
 小倉駅の乗換え途中の構内で、添乗員さんからの最後の連絡と挨拶があった。最終到着駅の新大阪では流れ解散になるようだ。そんなわけでいつの間にか仲良くなったツアー仲間たちがそれぞれに別れの挨拶を交わしあった。
■16時22分小倉駅発「さくら560号」が最後の乗り換え列車だった。指定席は驚いたことにグリーン車だ。添乗員さんに聞くと、フルムーンパスはグリーン車利用可能だが、数に限りがあり、ゆとりがある場合にツアー客にも割り当てられるようだ。往路の「さくら」でも何組かのツアー仲間が利用したようで、復路では私たちも含めた三組にお鉢が回ったとのことだ。さすがにグリーン車である。ゆとりのある重厚な内装に音響設備などの設備が備わっている。コンセントも各シートの手すりに付いている。このグリーン車の2時間20分の快適な時間があっという間に過ぎ、新大阪駅に定刻の18時44分に到着した。
■フルムーンパスを提示して在来線ホームに向かう。大阪駅で宝塚線に乗換え、最寄駅からはバスで自宅に向かった。20時過ぎに自宅に着くと、函館朝市で購入したお土産宅急便の不在票が待っていた。すぐに連絡すると10分ほどで北の幸満載の発泡スチロール容器が届いた。鉄道でめぐる日本列島縦断の旅が名実ともに完結した  
4部に戻る エピローグへ続く