■「それで楽しかったですか?」と、向いの席の老婦人に怪訝な面持で訊ねられて、グッと詰まってしまった。列車乗りまくりの5日間の旅の最終日のローカル電車の車内だった。

■日本列島の南北両端を5日間かけて列車で縦断する旅を終えた。観光は全くなく、ひたすら列車で移動するだけというとんでもないツアーだった。主催した旅行社(クラブツーリズム)の話では、これがまたけっこう人気があるという。5日間の旅を振りかえって人気の秘密を探ってみた。
■最初に、自宅を出て帰り着くまでのツアー全体のデータを整理してみた。乗車した列車は21車両で20回の乗換えをした。在来線普通車を除いて、ひかり、はやて、白鳥、北斗、サロベツ、宗谷、あけぼの、さくら、九州横断特急、ソニックと10種の特急に乗車した。ネットの時刻表アプリで調べてみると乗車した列車の総営業距離は6,457kmだった。稚内駅にあった「西大山駅より3,095km」という列島南北の距離を示した標識の倍の距離を267km超えた数値である。なるほどと納得した。乗換え時間を除いた総乗車時間は58.5時間だった。2.4日に相当する乗車時間は5日間の旅の約半分を列車内で過ごしたことを意味している。ちなみにこの行程をJRの通常料金で乗車した場合の運賃合計は一人15.8万円だった。フルムーンパス利用でホテル代、食事代込みのパックツアー料金の一人10万円の価格設定の妙を理解した。尚、5回の昼食と寝台特急夕食の6食が駅弁だった。浅草の鶏弁当、札幌の三大蟹味くらべ弁当、札幌の海鮮弁当、青森の特製弁当、岡山の祭寿司二段弁当、熊本の九州うまか弁当である。
■このデータを念頭にあらためて今回のツアーを振り返ってみた。
 まず言えることは鉄道ファン(鉄ちゃん)にはたまらなく魅力的なツアーに違いない。クラブツーリズムという旅行社のターゲットを絞った「こだわりのあるツアー」というコンセプト・ツアーの典型だろう。様々の種類の鉄ちゃんの中の「乗り鉄」「音鉄」「撮り鉄」「食べ鉄(駅弁鉄)」「時刻表鉄」「車両鉄」などを満足させる旅だった。実際にツアー仲間たちが持参した詳細な時刻表によるツアーの自作資料、各車両の知識の豊富さ、プロ仕様の本格カメラでの撮影などにしばしば驚かされた。
■次に日本列島の南北の両端のJR駅を一度に到達できるという点ではあるまいか。最北端の稚内駅と最南端の西大山駅でその標識を前に記念写真を撮ったり到達証明書を入手したりすることで得られる達成感は否定できない。これに付随して北海道と九州という列島の両端の島の相違を意識させられた。稚内と指宿での早朝散策で列島の両端の日の出時間の違いを実感した。列車の車窓の風景に登場する山岳や樹木などの自然や民家の佇まいは、二つの地方の相違を写しだしていた。とりわけ気になったのはJR北海道とJR九州の違いである。車両や運行サービスのレベルがJR北海道に比べJR九州がかなり高い。JR九州はJR北海道に比べ営業キロ数は90%ながら売上規模は倍以上と圧倒的に効率が高いことが背景にある。それはとりもなおさず古代から開かれた地方だった九州に比べ、近代以降に開発が進んだ北海道という歴史の相違でもある。その歴史が二つの地方の人口密度の圧倒的な開きとなって両社の営業効率の違いを生み出している。
■フルムーンパス利用という点もツアーの特性である。熟年夫婦(必ずしも夫婦であることが条件ではない)がJR各社のグリーン車を購入チケット指定の期間内を乗り放題できる。今回のツアーのコストパフォーマンスの高さの背景でもあるが、それ以上にツアー仲間が熟年夫婦という同年代の共通の組合せでくくられることに意味がある。団体旅行でのその共通性はツアー仲間の交流を容易にしツアー自体の愉しさや充実感をもたらしている。もっとも観光がないだけに四六時中連れ合いと隣り合わせで過ごすのだから最低限の夫婦仲の良好さが求められる。
■寝台特急の利用という点も見逃せない。今や国内の寝台特急は、臨時列車であるカシオペアやトワイライトエクスプレスを除けば1日1往復の「あけぼの(上野-青森)」「北斗星(上野-札幌)」だけである。ブルートレイン、夜行列車、夜汽車と呼ばれたこれらの郷愁を誘う列車は風前のともし火といえる。何年か後には「あけぼの」の乗車体験が、もう誰にも経験できない貴重な体験になるにちがいない。とはいえ寝台特急の乗り心地は決してお勧めできるものではない。今回のツアーでもある夫婦のひとりがあけぼのの車中で体調を崩し、翌日にツアーをリタイヤしたという一幕もあった。
■気になる点もあったが、総じてめったに味わえない面白い体験をしたことは間違いない。鉄ちゃんほどのマニアではないものの鉄道の旅へのこだわりを満たしてくれた旅だった。列島の南北の最果ての地を踏みしめた達成感もあった。最低限以上の夫婦仲を何とか維持できていることも確認できた。心地良いとはいえなかったが初めての寝台特急体験もできた。 
■指宿枕崎線のローカル電車で乗り合わせた老婦人に、今なら断言できる。「一度は味わいたい旅情あふれる面白い旅でした」
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